30時間、寝返りが打てない
連載「カーテンの向こうから 〜緩和ケア医が、患者になった日〜」第3話
治療を終えた私は、集中治療室へ移されました。
そこで告げられたのは、こういうことでした。
しばらく、寝返りを打たないでください。
カテーテルを入れた右手首の止血のため、そして心臓に負担をかけないため、身体を動かすことが制限されます。結果として私は、三十時間ほど、ほとんど同じ姿勢のまま過ごすことになりました。
スマートフォンも使えません。本も読めません。テレビもありません。
やることが、何一つ、ありません。
動けなくなった人間の耳は、鋭くなります
最初の数時間は、ただ天井を見ていました。
そのうち、目を閉じるようになりました。開けていても、見えるものが変わらないからです。
そして気づきました。
聞こえてくる音の量が、異様に多い。
もちろん、音そのものが増えたわけではありません。集中治療室は、いつでもさまざまな音がしています。モニターの電子音、輸液ポンプの動作音、遠くの話し声、扉の開閉。
変わったのは、私のほうでした。
視覚が使えず、身体も動かせないと、人間の意識は聴覚に集まります。そして、しばらくすると——音の裏側が聞こえるようになります。
足音で、誰が来たのかがわかるようになりました。
急いでいるのか、そうでないのか。こちらへ向かっているのか、通り過ぎるのか。誰かに呼ばれて向きを変えたのか。
扉やカーテンの開け方でも、わかることがありました。そっと開ける人と、勢いよく開ける人がいます。開けたあと、一拍おいて中の様子をうかがう人がいます。
声もそうです。同じ「失礼します」でも、これから何かをする人の声と、様子を見に来ただけの人の声は、はっきり違いました。
私は病室のベッドの上で、目を閉じたまま、その日の病棟の忙しさを推測できるようになっていました。
医療者が出す音は、すべてメッセージです
これは、なかなか厄介な発見でした。
医療者は、患者に何かを伝えるとき、言葉を使います。説明をして、質問をして、声をかける。コミュニケーションとは言葉のことだと、私たちはどこかで思っています。
けれど動けない患者は、言葉より先に、音を受け取っています。
廊下の歩き方。ノックの仕方。カーテンを引く速さ。物を置くときの音。それらはすべて、こちらに届いています。しかも、その人が意図していないぶん、正直に届きます。
急いでいる人の足音は、急いでいると伝えます。
面倒だと思っている人の物の置き方は、面倒だと伝えます。
隠せません。少なくとも、私には聞こえていました。
そして、ここが大事なのですが——当の医療者は、自分がそれを発信していることに気づいていません。
三十年間、私も気づいていませんでした。私はきっと、たくさんの患者さんに、言葉以外のものをたくさん伝えてきたはずです。
背中に、ビニール袋が入りました
三十時間のあいだに、忘れられない出来事がありました。
ある看護師さんが、私の背中とベッドのあいだに、ビニール袋のようなものをすっと差し入れて、さっと引き抜いたのです。
一瞬の動作でした。
その瞬間、身体がベッドから解放されました。
この気持ちの良さは、言葉になりません。本当に救われた気になりました。
「背抜き」といいます。
説明しておくと、こういうことです。人がベッドに寝ていると、身体の重みで皮膚や筋肉が引っ張られ、衣類やシーツにしわが寄り、背中とマットレスのあいだに圧力とねじれが溜まっていきます。動ける人なら無意識に寝返りを打って解消しているものが、動けない人には溜まり続けます。
そこに滑りのよいものを一度差し入れて抜くと、そのねじれが解けます。皮膚が本来の位置に戻る。ただそれだけの、数秒の技術です。
褥瘡(床ずれ)の予防として教えられる、看護の基本手技のひとつです。
私は、名前も目的も知っていました。教科書に載っていることです。
知らなかったのは、それがどれほど気持ちのいいものか、ということでした。
ケアとは、究極のコミュニケーションでした
背抜きには、人によって差がありました。
うまい人と、そうでない人がいます。手つきのなめらかさが違います。
そして、言葉を添える人と、添えない人がいました。
「ごめんなさいね、失礼しますね」
そう言いながら手を入れてくれる人がいました。何も言わずに、手だけが動く人もいました。
どちらも一生懸命でした。それは伝わってきました。ただ、受け取る側の感触は、はっきり違いました。
そのとき、私はようやく理解したのです。
ケアとは、究極のコミュニケーションである。
相手の身体を思い、言葉と手つきを同時に差し出す行為です。技術と、気持ちと、言葉が、一つの動作の中で統合されている。看護師さんたちが日々やっているのは、そういうことだったのだと。
医療の現場に三十年以上いて、私は「ケアは大切です」と何度も言ってきました。講演でも話しました。
背中にビニール袋が入るまで、その意味を知りませんでした。
「きれいだね、青空って」
このことを書きながら、一人の患者さんを思い出しています。
がんの治療で入院していた男性でした。食欲がなく、起き上がるのもやっとという日が続いていました。
ある朝、看護師がふと声をかけました。
「今日、天気がいいですね」
彼は、こう答えたそうです。
「窓の外をこんなにちゃんと見たのは、久しぶりだ。……きれいだね、青空って」
そのとき彼の表情が少しゆるんだのを、私はいまでも覚えています。
動けない人には、動ける人が思いつかないほど、味わえるものが少ない。だからこそ、そこに残されたわずかなものの解像度が、恐ろしく上がります。
青空。背中の感触。誰かの足音。
私の三十時間は、たしかに長く、退屈で、苦しいものでした。
けれどあの時間がなければ、私はいまも「背抜きは褥瘡予防のための手技です」と説明していただけだったと思います。
次回、第4話「あなたが、あなたであるということ」。
カーテン一枚の向こうで、スタッフの雑談が続いていました。悪気はありません。ごく普通の会話です。それを聞きながら私は、「この場に、私はいない」と感じていました。
公開は9月1日(火)です。
