書き手は、自分の作品の魅力を一番知らない?
書き手は、自分の作品の魅力を一番知らない。
そう言い切ってしまうと、少し大げさかもしれません。
けれど、自分で書いた文章ほど、かえって見えなくなるものがあるのは確かだと思います。
これはいいのだろうか。
伝わるのだろうか。
どこか、ありきたりではないだろうか。
何度も読み返すうちに、最初にあったはずの手触りがわからなくなっていく。
書いた本人にとって、自分の文章はあまりにも近すぎるものです。
近すぎるからこそ、見えなくなるものがあります。
たとえば、何気なく書いた一文。
特別なつもりもなく選んだ言葉。
いつもの癖のように置いた間。
でもそれが、読んだ人の心にふと残ることがあります。
書き手にとっては当たり前の感覚が、読み手にとっては、その人にしか書けない魅力として映ることがあります。
自分では弱さだと思っていたものが、文章のやさしさになっていることもある。
遠回りだと思っていた表現が、余韻になっていることもある。
うまく言い切れなかった言葉が、かえって読み手の記憶に残ることもある。
作品の魅力は、いつも書き手自身が一番よく知っているとは限りません。
むしろ、書いた本人には見えていない光が、その文章の中にあるのだと思います。
だから、誰かに読まれることには意味があります。
ただ読まれるだけではなく、
「ここがよかった」と言葉にしてもらうこと。
「この一文が残りました」と伝えてもらうこと。
それは、書き手にとって、自分の作品をもう一度見つめ直すきっかけになるのではないでしょうか。
自分では気づけなかった表情を、
誰かの言葉を通して知る。
それは少し、鏡を見ることに似ています。
けれどその鏡は、正しさを映すためのものではありません。
点数をつけるためのものでもありません。
欠点を探すためのものでもありません。
その文章が、誰かにどう届いたのか。
どんな温度を残したのか。
どこで立ち止まらせたのか。
そうした読後の余韻を、そっと返すためのものです。
私たちがしているのは、まさにそのようなことです。
作品を読み、そこにある魅力を言葉にすること。
書き手さん自身がまだ気づいていないかもしれない光を、
ひとりの読者として見つけ、そっとお伝えすることです。
noteには、毎日たくさんの文章が生まれています。
書いた日には誰かの目に留まっても、時間が経つにつれて、タイムラインの奥へ静かに沈んでいくことがあります。
でも、読まれなくなったからといって、その作品の価値が消えるわけではありません。
あなたが自信を持てずにいる作品の中に、誰かの記憶と静かに重なる場面があるかもしれません。
あなたにとっては小さな作品でも、誰かにとっては、忘れられない文章になるかもしれません。
わたしたちは、その光を見つけにいきたいと思っています。
そして、見つけたものを、
あなたの作品のそばに、そっと言葉として残したい。
あなたの文章は、あなたが思っているよりも、
誰かの心に届く力を持っています。
水原 栞(しおり)
2ndpage編集部
