壊れたトイレと、うまい飯。ヨーロッパのチグハグが教えてくれた「人生の余白」
春風というより、ビル風が強い日だった。
見慣れたオフィスビルを見上げ、ここに来るのも最後かもしれない、と思った。花束が詰まった紙袋を抱えて、JRの人の波に流されながら、ぼんやりと帰路につく。
7年間、それなりにうまくやってきた。けれど、いつの間にか、どこかで自分を置き去りにしている感覚があった。
新卒から勤めた会社を30歳で辞めた。そして翌日、世界一周の旅に出た。とりあえず、行けるところまで。
旅のかたわら、昔から興味があった建築やアートについて学び始めている。
これは、ヨーロッパで見た景色の話。
そして最後は、自分の生き方の話になる。
ヨーロッパすごい病
桜の季節に退職してから一ヶ月半、タイ、ベトナム、インド、ケニア、エジプトに滞在してきた。
これらのほとんどの国は、僕の中の空港の概念をぶち壊してくれた。
日本の空港サービスに慣れてしまっていた僕は、彼らの運営方法に唖然とした。
手持ち無沙汰なスタッフ配置、混雑しているのに謎に使われていないレーン、そして無駄とも思えてしまう度重なる荷物検査。非効率極まりない運営を幾度となく目にしてきた。
でも、これはこれでしょうがない——逆にこちら側のスタンダードに慣れてしまっていた。
そして4月末、ギリシャ・アテネにたどり着いた。

空港に到着した時から、僕の心はざわついていた。入国審査、空港の預入荷物の受け取り、ATMの無料引き出し——全てがスムーズに進行したのだ。
アテネ空港の入国までのテンポの良さには度肝を抜かれた。
到着ゲートを出る。しかし、客引きは1人もいない。今まで当たり前すぎたので逆に不安になってくる。
平然を装い、中心地までのエアポートライナーへ向かう。
駅に着くと、券売機でチケットを買っている人はいない。
もしかして……心臓の鼓動が早くなる。
僕は財布からカードを取り出し、改札機の黒い読み取り面に、そっと近づける。
コンマ数秒の沈黙。
軽快な電子音を奏でて、ゲートはサッと開いた。
す、すげぇ、これが、ヨーロッパか……
公共交通機関までもキャッシュレス社会が実現している。
タイ・バンコクでさえ当たり前だった光景。けれど、ついさっきまで現金が主流の国々を渡り歩いてきた僕にとって、そのスムーズさは何よりの快感だった。ゲートを抜ける足取りが、心なしか軽くなる。
街に出ても、僕の驚きは止まるところを知らなかった。
まず、建物が美しい。鮮やかな白い石壁が、地中海の光を吸って、内側から発光しているように見える。もはや、歩いて建物を見ているだけで、口角が勝手に上がる。街自体もゴミが散乱していない。それだけのことが、こんなにも街を綺麗に見せるとは。

極め付けは、ホステルである。何軒かホステルをはしごしても、シャワーの温水と水勢が当たり前のように正常だった。
こんなことは、今まで稀だった。インドとケニアのホステルでは、シャワーから出るのは冷たい水か、申し訳程度のぬるま湯がほとんどだった。温水が出ないときは、修行僧のような気持ちで入浴したのが懐かしい。
そして驚くべきことに、ハエがいない。今まで通ってきた国は、どこへ行ってもハエだらけだった。一番いて欲しくないレストランにさえ、それは日常風景の一部として居座っている。客たちも、特に気にするでもなく、ハエと共に食事を楽しむ。
急な文明の度合いの変化に頭が追いつかないまま、僕はすっかり「ヨーロッパすごい病」にかかってしまった。
しかし、その熱も、幻想とともに徐々に引いていった。
崩れ落ちたフランスの幻想
ギリシャからいくつかの国を抜けて、フランスにたどり着いた。

フランス・パリも例に漏れず美しい街だった。しかし群を抜いていると感じたのは、フランス人の建築の装飾に対するこだわりの強さだ。
ルーブル美術館は、絵画や彫刻だけが見どころだと思っていた。いや、むしろルーブルという宮殿空間の装飾がそれらを凌駕してしまうほど圧倒的だった。既に展示作品の情報量が多い中で、装飾の応酬を立て続けに食らわされる。美術館を出る頃には、ほぼ思考停止状態だった。

他にも、ノートルダム大聖堂などのフランスのカトリック教会をドイツのものと比較すると、内装がとても装飾的であるということに気づいた。もちろんドイツにあるケルン大聖堂など例外もあるが、基本的には、壁の装飾やステンドグラスのディテールはフランスの方が特徴的だったと思う。

そして、パリのディズニーランドも例外なく「狂っている」としか言えないような装飾祭りだった。パーク内の建築を注意して見回してみると異常なまでにリアルなのである。
ピノキオやピーターパンのアトラクションがあるお伽話がテーマのエリアの、売店の壁一つとってみても、家の素材の経年劣化を完全再現している。最初は自然すぎて通り過ぎてしまったが、あまりの自然さに逆に戻ってきてしまったぐらいだ。
そして、カリブの海賊の洞窟内の奇岩は、見ていて鳥肌が立ってしまうほどリアルだった。

ここ誰が気づくんだ?と素人目線では思ってしまうような箇所がもう大量にあった。テーマパークというより、巨大な工芸品の中を歩いている気分になる。
しかし、これだけのフランス人の美意識に触れても、「ヨーロッパすっげぇ!」とは、もう簡単にはならなかった。というのも、建物内の機能としてのインフラは、欠陥が多かったのだ。
宿のインフラが壊れていることはざらだった。一度、ビジネスホテルにも宿泊したが、そこでもエレベーターが壊れていた。スタッフにそれを伝えても貼り紙一つ貼られない。
駅でも、改札のチケットQRコード読み取り機が全く機能しないことがあった。角度を変えてみたり、なぜか少し強めに押し当ててみたりするが、改札は沈黙したまま。やがて駅員がやってきて、ゲートを手で開ける始末である。
パリのディズニー内でさえ、機能としてのインフラは微妙だった。あるトイレの洗面所で、4つ中3つの自動水道が壊れていた。自動石鹸が出ないことは普通で、もはや帰る頃には驚かなくなっていた。

建築の装飾や内装はとんでもなく素晴らしい一方で、建物内の機能としてのインフラは欠陥だらけ。それが日本人からすると「ん?」となってしまう。
ヨーロッパ滞在がしばらく経ち、「ヨーロッパすごい病」は徐々に快方に向かってきていた。
背後にあった「宗教OS」
不思議だった。
あれだけ壁の経年劣化を作り込む執念があるのに、なぜ本物の蛇口は放置するのか。美意識と機能性が、なぜこうもチグハグなのか。
そういえばドイツでは、こんなことはなかった。エレベーターは静かに動き、改札はちゃんと反応し、蛇口からはきちんと水が出た。
同じヨーロッパなのに、この差は何だろう。気になって、僕はホステルのベッドの上でスマホ片手に調べ始めた。
行き着いたのは、キリスト教の中でもカトリックとプロテスタントでは、そもそも労働に対する考え方が違うらしい、という話だった。
ざっくり言うと、もともとカトリックの世界では、労働は必ずしも神聖なものではなかった。それが16世紀の宗教改革で、プロテスタントは「勤勉に働くこと自体が、神の意志にかなう行いだ」と考えるようになったらしい。
もちろん、これは労働観の話であって、「だからトイレがしっかりしてる」なんて、本には一言も書いていない。完全に僕の勝手な連想である。
でも、この補助線を引いた瞬間、目の前のチグハグが、カチッと噛み合う感覚があった。
これを地図に重ねてみると、いよいよ確信に変わる。

きっちり者の印象があるドイツや北欧は、歴史的にプロテスタント圏。一方、どこかおおらかで、人生を楽しむのが上手な印象のあるフランスやスペインなどの南欧は、カトリック圏。
なるほど、そういうことか。
宗教とは、その社会に最初からインストールされている、いわば「OS」のようなものなのかもしれない。
カトリックOSか、プロテスタントOSか。
その土台の上に、歴史や風土といった後天的な要素が積み重なり、互いに影響し合いながら「文化」が発現していく。
そう考えると、壊れた蛇口の向こうには、その土地に染みついた何かが、確かにある気がした。
期待を裏切らないスペイン
フランスを後にして、スペインのバルセロナに着いた。

スペインも、カトリック圏だ。例の仮説が正しいなら--と、いやな予感が頭をよぎる。ホステルに着いたのは0時前。ドミトリーでは、既に寝静まっている宿泊者がちらほらいた。
なるべく音を立てないように、寝る支度を始める。洗面所がドミトリー部屋に備え付けなのが便利でありがたい。用具を持っていき、洗面所で顔を洗おうと蛇口をひねる。
ビシャァァアアアーーーッッ
水は、決壊したダムのように蛇口から溢れ出てきた。
跳ね返った飛沫が服に直撃してくる。水勢を調整しようとしても、ちょうどいいところに、まるで定まらない。6〜7%ぐらいの水勢のところから、わずかに蛇口を捻ろうものなら、途端に気持ち120%ぐらいの勢いに振り切れる。
こういうのは水勢が弱すぎて困るのが定石なはずだ。しかし、予想の逆を行き、凄まじい水量でスペインは僕を歓迎してくれた。みんなが寝静まった薄暗いドミトリーに僕の顔を洗う音が響き渡る。そして、備え付けの石鹸ポンプを押しても、石鹸は出てこない。
シャツが微妙に濡れて肌に張り付いてしまっている僕は、声を殺して笑うしかなかった。
別のホステルでは、蛇口の水勢は問題なかった。しかし、洗面所のタオル掛けにタオルを掛けた瞬間、金具がもげた。同時に、真っさらなタオルが無慈悲にも便器の近くの床に落ちる。チェックイン後で疲れきっていた僕は、深いため息をついた。
安宿だからだろう、と思うかもしれない。
しかし、知人のつてで訪問したスペインの大学でも、水回りに問題があった。外観や内装はクラシカルで華麗だ。さすがの風格だなと感心したのも束の間、施設内の教室と隣接したあたりに、やけに臭気が漂うエリアがあった。どうやら、トイレの排水システムに異常があるっぽい。
在校生の日本人に聞いてみると、スペインの機能インフラはやはり微妙なのだという。フランスから立て続けにこの有様を見て、僕は思った。
宗教OSの仮説、やはり少しは当てになるのかも……
コインの裏もあった
インフラは色々と物申したい。だが、スペインの食事は文句のつけようがなく最高だった。
バルセロナのバルで食べたピンチョス。フードコートでかきこんだイカ墨パエリア。これまで旅をしてきた中でも、圧倒的に美味しい。

節約のために、格安スーパーでチルドのパエリアを買ったこともある。でも、それすら驚くほど美味しいのだ。
そういえば、と思い出す。ラテン文化圏の代表格・イタリア育ちの友達が前に言っていた。
「ドイツ人は、味覚が適当だからね」
そう言って、当時同棲していたドイツ人の彼女の味覚をディスりにディスっていた。詳しく聞いてみると、その彼女は、食へのこだわりが薄く、イタリア人の彼から見ると「燃料補給」にしか見えないらしい。
たしかに、彼の食へのこだわりは異常だった。コーヒーは毎回、直火のマキネッタで手間をかけてエスプレッソを淹れる。スーパーの買い出しに付き合えば、トマト一つ選ぶのにやたらと真剣だった。
なるほど、同じヨーロッパでもこんなにグラデーションがあるのか。まあ、たぶん裏では、イタリア人も「気分屋なお調子者」とディスられているのかもしれない。(筆者の推測)
そして面白いことに、ラテン文化圏が突出しているのは、食だけではなかった。アートの世界でも、多くの傑物がラテン文化圏から輩出されている気がする。
フランスで見た印象派の巨匠、モネやルノワールの絵の溢れんばかりの色彩。スペインで見たガウディの、歪だけど生命力に満ちた建築。蛇口を直すことにはとことん無頓着な彼らだが、溢れた情熱はすべて「美」の方へ流れ込んでいた。

きっと、これは同じコインの裏表なのかもしれない。きっちり管理することを手放した分だけ、人は歪に、自由に、美しくなれる。
じゃあ、きっちり者のプロテスタント圏には、美が生まれなかったのか?
いや、むしろ、彼らは別の美をつくったのだと思う。
ドイツで生まれたバウハウス。その影響を受けたモダニズム建築は、ラテン圏の美とは真逆だった。装飾を削ぎ落とし、機能だけを剥き出しにする。「Less is More(より少ないことは、より豊かである)」——そんな思想が、その建築の根っこにはある。
ベルリンの街並みで見たモダニズム建築は、他のヨーロッパの土地で見てきた建築とは違った美しさを放っていた。

もしかして……
移動中の読書で知った近代建築の三大巨匠。
彼らのバックグラウンドを調べてみる。
ミース。コルビュジエ。ライト。
彼らはいずれも、プロテスタント圏を中心に巻き起こった合理主義やバウハウスの思想を、色濃く浴びていた。
点と点が、綺麗に繋がっていく感覚がする。
おおらかなラテンは、情念の美を。きっちりしたプロテスタントは、合理の美を。
どちらも、それぞれの文化が生んだ、美しさの結晶だったのだ。
二つの十字架を背負った特殊な国
カトリックOSとプロテスタントOS、どちらが正しいなんてわけでもない。
両方がいい面も悪い面も持ち合わせているなと旅をしていて感じる。もし働くならプロテスタント圏、そして休むならラテン圏がいい。そんな妄想が勝手に膨らんでしまう。
システムとしての規律性と、人間としてのクリエイティビティ。
ただ、その両方を無理やり一国で背負ってる変な国を知っている。日本だ。
旅をしてみて、改めて日本の素晴らしさに気付かされた。基本的なインフラのレベル、そして商品・サービスの質、全てがおしなべて素晴らしいと思う。
一番思い知ったのは、日本の食事のコスパの良さだった。インフラが進んでいると言えども、比較的手頃な価格で美味しい食事ができる。そして丁寧なサービスをしてもらっても、チップを払う必要もない。海外で、微妙なサービス、そしてボロいインフラに出会うたび、日本の凄みを感じさせられた。
しかし、それ自体、本当に「良い」のだろうか?
二つの十字架を、一国で背負う。それは、この国で働く一人ひとりが、両方を背負っている、ということだ。
そういえば自分も、その一人だった。
欠点のない人が、優秀だった
新卒で入った大企業は優秀な同僚が多かった。
営業部署に長く在籍したが、特に「優秀」な人は、欠点がないような人だった。当初、単にクライアントにいい提案をして、ちゃんと最終的に納品ができれば「優秀」になれると思っていた。
しかし、そんな甘い話はなく……。挨拶ができて、愛想があって、飲み会も盛り上げられて、経費精算ができて、いい部下であり、いい上司である。
あらゆるスタンプをそろえて初めて「優秀」の証明書を掴むことができた。どれか一枚でも欠ければ、優秀から一歩遠くなる。どちらかというと、加点ではなく、減点方式。
今思うと、会社という構造自体が「個人が欠点なく働く」という前提で社員をマネジメントしていたと思う。
自分はというと、特別器用なわけではない。先輩と昼食に行ったら、話をするのに箸がほぼ進まないような男である。気づけば、営業の仕事に慣れてから、目の前のタスクを回すのに精一杯だった。
社会人になってからというもの、学生時代に仲良くしていた人との交流はどんどん薄れていった。
旧友からチャットがきても、数往復だけしてキリのいいところで切り上げてしまう。それならまだいい方で、LINEの通知バッジを消す気力すらなく、画面のポップアップで内容だけ盗み見て、そのまま放置する時さえあった。
そうして、いくつかの関係が自然消滅していった。
他人に全く興味がないというわけではない。多分、優等生であろうとすることに疲れて、余裕をなくしていた。
そういえば、もともと誰かを喜ばせたくて始めた仕事だった。しかし、いつしかタスクを落とさないこと自体が目的になってしまっていた。
それでも仕事は忙しいし、充実はしている。
社内の人間関係も悪くはない。
でも、自分はなんのために働いているのだろう?
休日になっても、そんな問いに立ち止まることはなく、ビジネス書や教養書を中心にインプットし続けた。
勉強は楽しい。買った本は、入社してから少しずつ、狭い1Kの部屋の一角で無秩序に積み上がっていった。
しかし、インプットをしても心の隙間は埋まることはない。
なぜ働くのかという問いは、宙に浮いたまま。
平日は仕事を回し、休日はインプットで心を満たす。
ギターをかき鳴らしたり、旅に出たり、見知らぬ誰かと語り合ったり——そうやって世界を広げる。
そんな学生時代の面影は、もうどこにもなかった。

旅は終わり、また始まる
ヨーロッパで見た、ボロいトイレと美味い飯。それが教えてくれたのは、たぶんこういうことだ。
システムとして完璧でいることと、人間としてのびのびクリエイティブに生きることは、どうやらトレードオフらしい。
蛇口を直すことに気が回らない代わりに、その情熱は美味い飯や、美しい建物の方へ流れていく。きっちり全部を管理しようとすると、今度はどこか、遊びの部分が削れていく。
これは、国の話だけではない。
僕自身が、まさに「全方位で80点以上」を取ろうとして、すり減っていた人間だった。 会社員時代、「将来どう生きたいか」なんてことを考えるのは、いつしか億劫になっていた。
いや、正確には、考えないようにしていた。考え始めると、立ち止まらざるを得なくなる。立ち止まる余裕なんて、どこにもなかった。
でも、旅は強制的に、その「余白」をくれた。
スペイン・グラナダの、遅い午後だった。

一日の予定を立てず、僕は広場の木陰で、ケバブとコーラだけの昼飯を食べていた。やることは、何もない。ただ、行き交う人を、ぼんやり眺めている。
会社員のころ、こういう時間に罪悪感を覚えることが多かった。勤務中、スマホの通知にいち早く反応して、返信速度が速いときは、悦に浸る自分がいた。
それでも、旅を経て、何もすることがない時間に馴染んできていた。
旅をする意味ってなんだろう。
自分はいつ、結婚するんだろうか。
問いは軽いものから重めのものまで。浮かんでは消えて、運が良ければ、いつの間にか答えが出ている。
そんな時間がとても豊かだった。
その日の夕方、暮れていく空の色が、街並みに溶けていくのを、ホステルの屋上から眺めた。

そうしていると、ふと、両親のことを思い出す。
ここまで来られたのも、おかげさまだな。
安定した企業を辞め、海外の大学院を目指すと言い出した矢先、帰省もそこそこに世界一周へ旅立ってしまった息子。
どう考えても、心配しているだろう。それでも迫る大学院出願をできる限りサポートすると応援してくれている。
彼らがいたからこそ、一歩踏み出すことができた。
働いていた頃は、自分のことで精一杯で、こんなふうに誰かを思い出す余裕さえ、あまりなかったように思う。
やることがない時間に、ずっと蓋をしていた感情が、ぽつぽつと顔を出してくる。
自分は、どんな人生をつくりたいんだろう。
そして旅先で出会う人たちとの、利害もしがらみもない対話が、その問いの輪郭を、少しずつ削り出してくれた。会社員時代、数往復で切り上げていた他人との会話を、僕はいま、何時間でも続けている。
たしかに、自分ってこんなだったわ。
もともと僕は、アートや音楽、感性を揺さぶるものに興味があった。そして、こうやってものを書くことも好きだった。優等生であろうとするうちに、いつのまにか、それらを置き去りにしていた。
退職して、引っ越しの荷造りをしているとき、ふと気づく。僕のクローゼットは、いつのまにかモノクロで無難な服ばかりになっていた。
もちろん、壊れたインフラの放置を肯定したいわけではない。整理整頓ができることや、細やかな気配り。それらは間違いなく、日本人が持つ、そして僕自身も大切にしていきたい強みだ。
たぶん大事なのは、いったん俯瞰してあげること。「あ、今、優等生モードに入ってるな」と気づいて、意図的に、ギアを外してあげる。
全てで80点を取ろうとするのをやめて、余白を作る。 その余白の中でこそ、ずっと向き合えなかった感情と、ようやく向き合える。そして、本当に自分が熱狂できるものが、そっと舞い込んでくる。
無事に「ヨーロッパすごい病」は治った。
でも、一度ほどけてしまった自分は、もう元には戻らない。旅の前のように、自分を脇に置いて、何となく働き続けることは、できないだろう。ある意味、もっと大きな病にかかってしまったのかもしれない。
そんな人生の転換点が、ヨーロッパのボロいトイレから始まったのだから、人生は分からない。

旅も、そろそろ終わりに近づいていた。
世界半周した最後、僕は大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬に立っていた。
目の前には、果てしない大西洋。背後には、これまで渡り歩いてきた長い大地。
その境界に、一つの石碑が立っている。刻まれていたのは、ポルトガルの詩人の、こんな一節だった。
「ここに地終わり、海始まる」

あと数日で、僕は日本に戻る。
また、新しい日常が始まる。
たぶん日本に帰れば、周りからは心配されて、いろんな声を聞くことになるだろう。自分の意思が揺らぐ瞬間も、何となく想像できてしまう。
そして、帰国後が怖くないと言ったら嘘になる。退職し、旅をして、大学院出願。こんな順番で人生を進めている人を、僕は他に知らない。しかし、会社を辞めた今、もう後戻りはできない。
同期は着実にキャリアと貯金を積み上げている。一方、僕の手元には、汚れたバックパックとすり減った預金残高だけが残った。
内定も合格通知もない。大学院に受かる保証も、どこにもない。最悪の未来を想像すると、あれほど愛おしかった「余白」は、一瞬で空虚に変わる。
それでも、「自分はどんな人生をつくりたいのか」
これからも、その問いと向き合うことはやめない。そういう意味では、日本にいたとしても旅は続いていく。
先の見えない深い霧の中を、一歩ずつ。
少しずつ、進んでいこう。

