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ねばならないパスポート


強制力

『ねばならない』
この言葉にどんなイメージを抱くだろう。
僕にとってはおよそ強制的で義務感にあふれたきわめてストレスフルな概念。それが素直な感想だ。

社会を闊歩できるパスポート

僕らはおそらく物心つく頃から、何らかの『ねばならない』を押し付けられ育っていく。どうやらそれは社会をスムーズに渡り歩くための大切な要件のひとつらしい。そして周囲の大多数の大人たちは、このコレクションを多く持つ人を『適合者』として認めていく。
そしていつしか社会のなかでは快適な生活を送っていくわけだけど、それは対外的で表面的な話、片方で自分のなかでは多くの『ねばならない』に窒息しそうな思いで生きているのだ。
そんなことを考えると軽はずみに口にすることではないかもしれない、そう思いながらも『あぁ、俺は社会不適合者だな』などとよく思う。

自分にとって社会をスムーズに闊歩できる価値はそんなに高いのか?

自分の気持ちを押し殺してまで、手に入れる価値のあるパスなのか?

自分へのパスを発行する

それならいっそ、自分のやりたいことに『ねばならない』をつけてみるのはどうだろう?ふとそんな思いが降りてくる。
子供が突然『いいこと思いついた!』などと急に目をキラキラさせて走り出す、そんな気分に似ている。
なぜ今までこんな簡単なことに気が付かなかったのだろう、自分への人生パスポートは自分で発行できるのだ。

発行したら使う

義務ではなく、やりたいことに『ねばならない』というラベルを付ける。
それだけで自分の心の赴く先へのパスポートは発行できる、そうなればあとは使うだけ。
僕は自分で制限していた渡航範囲を自分で広げる概念を書き換えることに成功したのだ。
人生のアディショナルタイムがどれだけあるのかはわからない、できるだけ悔いの残らない人生のためにも、ここはひとつ自分のスキを訪ねる『強制渡航』に出かけてみよう。

その思いで少しだけ、目の前の風景は変わるかもしれない。


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