39歳11か月、外国籍エンジニアと日本企業の間で働き始めた


はじめまして。花田と申します。

現在、外国籍エンジニアの採用からインターンシップ、入社後の受入れ・定着まで、企業と本人の間に立って支援する仕事をしています。

このnoteでは、仕事を通して見てきた「外国籍エンジニアと日本企業の間にあるもの」について書いていきたいと思っています。

制度や手続きの解説というよりも、採用や受入れの現場で実際に起きる、言葉にならないすれ違いや、思いがけず心を動かされた出来事を記録していくつもりです。

まずは、私がなぜこの仕事に関わることになったのか、お話しさせてください。


39歳11か月、「このままでいいのか」と思った

私は中小企業のバックオフィスで、13年間働いてきました。管理職としてある程度の裁量もあり、仕事は楽しかった。決して、前職が嫌で辞めたかったわけではありません。

けれど、2度目の育児休業が終わる少し前、漠然とした不安を感じるようになりました。

「このままでいいのだろうか」

当時の私は、39歳と11か月。

今思えば、あれはミッドライフクライシスだったのかもしれません。「40代になる前に、何かをやり遂げなくては」と、勝手に焦っていたようにも思います。

そこで、転職活動を始めました。

ところが、現実は思った以上に厳しいものでした。

子どもが二人いて、下の子は当時まだ1歳。祖父母の手助けもありません。これまでの経験にはそれなりに自信がありましたが、応募書類は驚くほど通りませんでした。

「ああ、これが今の私の転職市場での現実なんだ」

そう思い知らされていた頃、一通のマーケティングメールが届きました。

それが、インド人学生を対象としたインターンシップの案内でした。

前職でも、外国人学生のインターンシップを受け入れていた私には、その内容が強く響きました。

メールの差出人は、現在の上司。そこには、なかなか格好よく撮られた写真も添えられていました。

「おお」

なぜか気になって、気がつけば求人サイトではなく、会社のホームページから直接、採用について問い合わせていました。

そこからは、本当にスピーディーでした。

すぐに当時の社長と会うことになり、話はとんとん拍子に進みました。

「では、2月からよろしくお願いします」

そうして私は、インド人エンジニアを日本企業へ紹介し、採用後の受入れまで支援する仕事に就きました。

物事が進むときは、本当に進むものです。

あれほど応募書類で落ち続けていた私が、最後に手にした仕事。おそらく、これが私にとって最後の「転職活動」だと思います。

私が初めて出会ったインド

仕事としてインド人と深く関わるのは、これが初めてでした。

前職で受け入れていた外国人インターン生は、台湾・中国・香港など中華圏の学生が中心でした。退職前には、モンゴルやタンザニア、ケニア出身者の採用面談にも立ち会いましたが、入社までを見届けることはできませんでした。

ただ、思い返してみると、私が初めてインド人に出会ったのは大学生の頃です。

アメリカの大学に留学していた私は、大学院で数学や地学を研究していたインド人たちと知り合いました。

そのとき、インドについて非常に衝撃的な話を聞きました。今考えれば、その話が事実だったのか、冗談だったのか、ある地域や時代に限った話だったのかさえ分かりません。

けれど、若かった私は、それをそのまま「インドという国の姿」として受け取ってしまいました。

「世界の人々が分かり合うのは難しいのかもしれない」

未熟ながら、そんなことまで考えました。

そのため、後に「インドはこれから大国となり、世界をリードしていく」と聞いても、当時の私には、なかなか現実感がありませんでした。

でも、インドは14億人を超える人が暮らす国です。民族も、言語も、宗教も、生活環境も、一つではありません。

私が20代で出会ったインド人も、その巨大で多様な社会に暮らす「一人」にすぎなかった。

20年も経てば、世代も変わります。そして実際に多くのインド人学生やエンジニアと関わるようになり、当たり前ですが、一人ひとりがまったく違うことを知りました。

「インド人はこうだ」と、ひとまとめにすることなどできません。

それでも、日本企業との間に似たようなすれ違いが起きることはあります。一方で、異なる考え方が交わるからこそ生まれる、思いがけない成長や、琴線に触れる瞬間もあります。

その両方を見ていくことが、この仕事の奥深さなのだと思います。

「文化の違い」で終わらせない

少し、私自身の話をします。

私の夫は外国籍です。

もう人生の半分近くを日本で過ごしているため、今では私よりゴミの分別にうるさい。5分前行動どころか10分前行動で、私との待ち合わせにも必ず時間どおりに現れます。私の実家へ帰省のさいの手土産も欠かせません。

そんな彼も、出会ったばかりの頃は、私から見れば「THE 外国人」でした。

忘れられない出来事があります。

ある日、彼から「今から帰るね!」と連絡がありました。

当時はまだLINEもありません。私は、その言葉を「今いる場所を出て、30分くらいで家に着く」という意味だと受け取り、スパゲティを作る準備を始めました。

ところが、待てど暮らせど帰ってきません。

ようやく帰宅したのは、約2時間後でした。

「おいおいおい。“今から帰る”って、うちに帰ってくるという意味じゃないの?」

少し、けんかになりました。

彼には彼の事情がありました。

帰り際に知り合いに会った。必要なものを思い出して買い物に寄った。ところが現金が足りず、ATMを探しに行った――。

私には「言い訳」に聞こえましたが、彼にとっては、帰る途中で起きたことを順番に説明しているだけだったのかもしれません。

これを「文化の違い」と呼ぶことはできます。

でも、「文化が違うから仕方がない」と片づけてしまったら、私のスパゲティは、その後も何度も伸び続けていたでしょう。

私は考え方を変えました。

スパゲティは、帰宅してから作る。

それだけです。

あれから15年。家でスパゲティを食べること自体、ほとんどなくなったことは、いったん置いておきます。

大切なのは、違いの原因を国籍だけに求めることではなく、お互いが言葉をどのような意味で使い、何を当然だと思っているのかを知ること。そして、必要なら仕組みや行動を少し変えることなのだと思います。

これは家庭でも、職場でも、それほど変わりません。

英語が話せれば、問題はなくなるのか

私は留学経験があるため、英語を比較的流暢に話します。ただ、家庭では日本語を使っているので、現在、英語を話すのはほとんど仕事の場面だけです。

そんな私を見て、よく言われます。

「英語が話せるなら、外国籍社員とのコミュニケーションには困らないでしょう?」

企業の担当者さんから、

「いやいや、花田さん。それは英語を話せるから、そう思うんですよ」

と言われたこともあります。

確かに、共通の言語があることは大切です。私自身も、道具としての英語をきちんと手入れし、アップデートし続ける必要があります。

けれど、言語はあくまで一つの道具です。

大事なのは、その道具を使って何を聞くか。相手の答えをどう受け取るか。自分の「当たり前」を、相手も同じように理解していると思い込んでいないか。

初めて異文化に出会ったときに感じるショックは、言葉の違いだけから生まれるものではありません。

質問してこない。

「分かりました」と言ったのに、期待した行動になっていない。

本人は自分で考えているつもりなのに、上司からは「いつまでも悩まず、早く聞いてほしい」と思われている。

会社は十分説明したつもりでも、本人が想像していた仕事とは違っている。

こうした出来事を、すべて「文化の違い」「外国人だから」で終わらせたくない。

本人の問題なのか。上司の伝え方なのか。採用時の説明なのか。配属や評価の設計なのか。それとも、それぞれが少しずつ異なる前提を持っているのか。

一つずつ整理していくことで、次にできることが見えてきます。

このnoteで書いていきたいこと

このnoteでは、外国籍エンジニアの採用・インターンシップ・入社後の受入れ支援に携わるなかで、私が見てきたこと、考えたことを書いていきます。

企業側だけを正しいとするのでも、外国籍社員だけを擁護するのでもありません。

両者の間に立つからこそ見える、

  • 言葉になっていない期待

  • 「分かりました」の奥にあるもの

  • 自走やコミュニケーションをめぐる認識の違い

  • 採用時には見えなかった配属後の課題

  • 異なる背景を持つ人が交わることで生まれる変化

などを、できるだけ現場の言葉で綴っていきたいと思います。

これから、外国籍エンジニアの受入れに悩む企業の方々から、直接ご相談を受ける活動も始めたいと考えています。

その前に、まずはこのnoteを通じて、私がどのような人間で、何を見て、何を大切にしているのかを少しでも知っていただけたらうれしいです。

外国籍エンジニアと、日本企業の間にあるもの。

簡単には答えが出ないからこそ、ここで一つずつ考えていきたいと思います。

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