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第6回|「問いは誰のものか ― 教師の問い/子どもの問い」

『問いは誰のものか…』その本質に迫ります!


「この問いは、誰のものだろうか。」

授業づくりの中で、
私が、
何度も自分に投げ返している問いがある。
 
「この問いは、誰のものだろうか。」
 
子どもは「WHY?」を出せる。
でも、止まってしまう・・・
 
「なぜ、紛争は続いているのかな。」
「なぜ、日本は少子高齢化が課題と言われながら、解決できないのかな。」
こうしたWHY?は、
子どもたちも自然に口にすることができる。
 
しかし、そこから
「よし、もう少し詳しく調べてみよう」
「自分なりに追ってみよう」
という次の一歩には、なかなかつながらない。
 

情報があるれる今だからこそ…

情報があふれる今、
「まあ、気になったらあとで調べればいいか」
「すぐ答えは出てきそうやし」
と、問いを立てた瞬間に、
無意識のうちに思考が止まってしまうことも少なくない。
 
だからこそ、教師の問いが要る
ここで改めて感じている。
問いは、放っておけば育つものではない。
 
テストに出るから考える問いではなく、
「気になるな…」
「この道順で調べてみたいな」

と、学びに火が灯る問いを、
教師自身が持っているかどうか。
 
授業者の問いは、
子どもに答えを与えるためのものではなく、
学びの入口を照らす灯りなのだと思う。
 

学びの入り口を照らす灯り

前のめりな空気を生み出すために…

単元の課題に対して、

「次の授業が楽しみ」
「ちょっと続きが気になる」

そんな前のめりな空気が生まれるかどうかは、
問いの質に大きく左右される。
 
点の知識を、線に。線を、新たな発見へ
私自身が目指したい授業の核心は、
点の知識を、線に。線を、新たな発見につなげる学び。
 
そのためには、
問いが「一度きり」で終わらない構造が必要。
 
調べる
→ 考える
→ 話す
→ また資料に戻る
 
この往復の中で、
問いは少しずつ形を変え、深まっていく。
 
「今日の学び方は、何%の子に合っていたか」
授業後に必ず自分に問い返していることがある。
 
「今日の学び方は、クラスの何%の子に合っていたか。」
 
・委ねた方が伸びる子
・個別に支えが必要な子
・対話のタイミングが今ではない子
 
同じ問い、同じ活動でも、
受け取り方は一人ひとり違う。
 
だからこそ、
授業の中で
「自分で学べていない子」
「一人では厳しくなっている子」
を、リアルタイムで見取れる構造が必要になる。
 
問いを投げっぱなしにしない。
委ねっぱなしにもしない。
 

4月から共に歩んできた子どもたちへおもうこと…

4月から共に歩んできた子どもたちへ
ふと、立ち止まって自分に問う。

「この子たちは、自ら学びに向かえる子になっているだろうか。」
「先生がいなくても、学び続けられる子になっているだろうか。」
 
私たちが育てたいのは、
自律的に探究できる子どもたち。
 
そのために、
問いを誰が持つのか。
問いを誰に手渡すのか。
 
問いは、育てていくもの
問いは、
最初から子どものものでも、
教師のものでもない。
 
授業の中で、育っていくものだと・・

これからも、
問いを握りすぎず、
手放しすぎず、
子どもたちと共に問いを育てる授業を、
探し続けていきたい。
 
次回予告|第7回
「評価は誰のためのものか ― 見取る・返す・次につなぐ」

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