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鋼のメンタルと豆腐の心臓

クリエイターに必要なのは、鋼のメンタルだけではないと思っている。
むしろ、豆腐の心臓も必要なのではないか。

つまり、
「鋼のメンタルと豆腐の心臓」
である。
あくまで、私個人の意見である。

なぜそんなことを思うようになったのか。

実は、私の作品にいただいた感想から、そう思うようになったのだ。
そもそも、ウェブ小説の一読者だったころ、私は感想欄にほぼ目を通さなかった。だから、あの感想欄も作品の一部だということを知らなかった。

それを教えてくれたのが、息子だった。
彼はウェブ小説読者歴十年以上の強者である。
師の言うことは拝聴する。

私の感想欄に、好意的以上の、声援と呼んでもよいような言葉をいただいたことがある。
ありがたかった。
これが、話に聞いていた「読者の応援が力になる」ということなのかと、胸が熱くなった。

一方で、「そこをつついてくる?」という感想もいただいた。
AIに相談した。
「気になる人は一定数いますよ」
と言う。
細部に目を向けて、疑問を呈してこられる方がいらっしゃるということだ。

そこに焦点を当てなくても作品は楽しめると思うんだけどなあ、と一クリエイターとしては思う。だが、それは自分がそれで楽しいと思うからだ。そこは線引きしないとな、と思った。
作品全体で納得したいという気持ちも、わかる。
次回作への課題にしよう、と思った。

そこで終わればよかったのだが、その感想の次の方は、もっとシビアな感想を送ってくださった。

おっしゃりたいことはわかる。わかるが、その「因」もないと話は進まない、という点を指摘してこられていたので、困ってしまった。
少し考えを整理してみる。

物語の世界では、理不尽、苦境、逆境、価値観の相違などが、起爆剤になって話が進んでいくものが多い。

私の大好きなシンデレラの話もそうだ。
彼女は、義理の姉たちにこき使われる生活をしている。それを哀れに思った魔法使い(精霊バージョンもありますね)が舞踏会へ行けるようにする。

でも、この話には根本がある。

彼女の親が、彼女をきちんと守らなかったということだ。

これがなければ、彼女は人目を惹く衣装や馬車に魔法で変身して舞踏会へ行く必要はなく、義理の姉たちと同じようなドレスをまとい、同じ馬車に乗って出席していたことだろう。

もちろん、現実なら親の責任を問う視点は大切だ。
ただ、物語の中では、その不在や理不尽さが、主人公を物語の入口へ押し出すことがある。

いただいた感想は、私にはシンデレラの親を批判するような内容に見えた。

唸るしかなかった。

「あなたの創作意欲を削ぐようなら、削除した方がいい。感想欄は作品の一部です」

と、AIに言われた。
息子と全く同じことを言ってくるとは思わなかったので、びっくりした。

結局、私は削除をしないことにした。
その感想は、作品の末尾にずっと載ったままだ。
これを見たら、その後に感想を書こうと思ってくださる方は少ないだろうなあ。私なら、そっとその画面を閉じちゃうなあ。
そう思った。
それでも、消さないと決めた。

感想欄は、私の作品を楽しんでくださる方に、気持ちよく使っていただきたい。
だけど、あえて苦言を載せてくださった方の勇気も、私は頂戴したいと思ったのだ。

苦言を呈するとき、怒りを見せるときは、その人の言葉の扱い方が表に出る瞬間だと思っている。
何に引っかかり、どこに怒りのポイントを置くのか。
それを人前に出すことは、自分の内側の地図を少しさらすことに近い。
だから、苦言を書く側もまた、無防備になる瞬間があるのだと思う。

その方は、自分の時間を割いて、その言葉をネット上に置いてくださった。

そのほかにも、理由はある。

まず、私の人格を否定するような内容ではなかったこと。
読んだ方が著しく不快な思いをする内容ではない、と判断したこと。
誹謗中傷ではないこと。

今回はそれで落着とした。

いろんな意見があっていい。
好意的な感想ばかりが並ぶことは、もちろんありがたい。
けれど、違う角度からの声がそこにあることで、作品の受け取られ方に奥行きが出ることもある。

タルムードには、死刑事件において、裁判官全員が有罪と見た場合には、かえって被告を無罪にする、という考えがあるらしい。

正確な運用や背景までは、私には語れない。
けれど、全員が同じ方向を向きすぎているとき、そこには何か見落としがあるのではないか、という感覚には惹かれる。
私は、この考えをなるべく採用していこうと思った。

で、冒頭の結論になるわけである。

私は、ほんのちょっと気になることがあっただけで打たれ弱くなる。
心臓がへにょりとなる。
けれど、それでも書くことを続ける。

なにしろ、全く読まれなかった歴を持っている。
noteも、そんなに読まれているとは思っていない。解析データもそれを示している。

読まれないことには慣れている、とは言いたくない。
けれど、そのぶん、のびのび書かせてもらっている。
だから、鋼のメンタルだ。

「それと、狂った精神な」
と、息子がつけ加えた。
その心は。
「読まれようが読まれなかろうが、一日に五千文字くらい書いている化け物クラスの作家がうようよいるじゃん」
とのことであった。

さらに息子は言った。
「作家にはどんどん苦しんでもろて。そこから搾り出た汁が、おいしい作品を生むから」
そう言って、にかっと笑った。

私は思わず、息子の尻にかぎ針しっぽを探した。

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