『幸せになる勇気』が100万部になりました。
『幸せになる勇気』の発行部数が国内100万部を突破しました。
2016年春の発売からちょうど10年。不思議といま、「やったぜ!」とか「いえーい!」と喜ぶ気持ちはありません。ただただ「ありがたい」と四方に頭を垂れている。それに尽きる気がします。
「ありがたい」ということばの起こりは「有り、難い」であり、「このような僥倖、滅多に有るものではございません」というアンビリバボー的な驚きとそこへの感謝を伝えるものだと言いますが、さすがに2冊続けてのミリオンだなんて、「ありがたい」以外にないでしょう。
滅多に有るものではない機会として、部数の話をします。
現在『嫌われる勇気』が国内345万部なので、シリーズ累計で445万部(有り難い)。もっとも、世界全体でいうと累計1800万部オーバーになるらしく、そちらはもはや現実感が皆無に等しいし、あまり考えないようにしているところです。数字がデカすぎるというだけではなく、自分の手を離れすぎた話なんですよね。

たとえば『嫌われる勇気』の米国版は『THE COURAGE TO BE DISLIKED』といいます。そしておそらく『THE COURAGE TO BE DISLIKED』は、米国の読者に読みやすいかたちでの翻訳・編集がなされています(実際出版社からそうした旨の連絡もありました)。さらに同書は、米国市場を踏まえたプロモーションがなされ、日本とは違った文脈のなか、日本とは違う読者に向けて届けられているわけです。そのへんの編集、市場分析、プロモーション戦略その他はまったく作者の力の及ぶところではなく、究極的に日本語版とは別の本なんだと考えるほうが自然です。おれの手柄ではないと。
このあたりの感覚はきっと、翻訳書の編集を経験されたことのある方ならわかっていただけるのではないでしょうか。翻訳書は、機械的に翻訳するだけで成立するものではありません。翻訳者の方が編集者と二人三脚、生きた日本語に翻訳していくのはもちろんのこと、邦題の決定、装幀の試行錯誤、あるいはそもそも版権の獲得と、日本語作者による本をつくるのと同じかそれ以上の手間がかけられています。
たとえるなら、一本のソメイヨシノが何千万本の桜として世界中で愛されているように、DNAを同じくする別の『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』が翻訳された国の数だけ存在している。咲き誇った桜の花を、見事なものだなあと眺めている。そんな感覚で各国版を受け止めています。
続いて『幸せになる勇気』の話を。
じつを言うと『嫌われる勇気』にくらべて『幸せになる勇気』のタイトルは、少しだけ誤解を受けやすいところがあります。
たとえばここに『幸せになる哲学』なる本があったとしましょう。そのタイトルから想起されるのは「この哲学を知れば、あなたも幸せになれますよ」とのメッセージです。これは『幸せになる言葉』でも『幸せになる子育て』でもそうですよね。いずれも「こうすれば幸せになれる」の話です。あるいは『幸せになるキノコ』なんてタイトルだった場合、「このキノコを食べれば、あなたも幸せになれますよ」という非常に脱法的な幻覚性を帯びたメッセージになってしまいます。
同様に『幸せになる勇気』のタイトルも、「この勇気を手に入れれば、あなたも幸せになれますよ」と言っているように聞こえなくもありません。お手軽に幸せをゲットするための、レシピを配っているような。
しかし、ぼくらがこのタイトルに込めたのは「あなたには、幸せを選ぶ勇気がありますか?」という問いかけであり、「その不幸は、あなた自身が選んだものではありませんか?」という右ストレートです。
それというのも人は、知らず知らずに自分から不幸を選んでしまう生きものなんですよね。自分を変えるのが恐ろしかったり、少しくらいの不平不満があってもこのまま生きたほうが楽だったり、不都合な現実に向き合う勇気を持ちえていなかったり。幸せになるには、お金よりも成功よりもまず、勇気が必要なんです。
なので、その意図するところを正確に伝えようと思えば『幸せを選ぶ勇気』あたりのタイトルがよかったのかもしれませんが、そうするとあまりに説明的になりすぎます。たとえるならそれは、前作のタイトルを『他者から嫌われる勇気』にするようなもの。一定の誤解があったとしても be動詞による『幸せになる勇気』以外にはありえない。そんな判断から、かなり早い段階でこのタイトルになりました。……わかってもらえてますよね?
10年前に書いた本です。
内容にかかわらない続編のさだめとして、10年間ずっと『嫌われる勇気』の影に隠れていた本でもあります。ふつうに考えて『嫌われる勇気』よりもたくさん読まれることは、この先もないでしょう。
ただ、個人的には『嫌われる勇気』以上に書き手としての自分が反映された本だと思っています。いまパラパラめくってみても「お前、こんなことまで書いていたのかよ!」と驚くくらい。アドラーの思想を語っているはずなのに、完全に「おれ」がそこにいるんですよね。『嫌われる勇気』が「きみたちはどう生きるか」を問いかけた本だとするなら、本作は「きみたちはどこへ向かうのか」を問いかける本です。
さて、こういうご挨拶では最後、関係各位への感謝のことばをもって締めくくるのが常道ですが、そして関係各位への感謝はどれだけ語っても語り足りないのですが、それはまた別の場所にゆずってここでは10年前の自分、これを書き上げた自分に感謝を述べて終わりにしたいと思います。
よくやったし、よく書いたよ。おれは知ってるよ、お前がどんだけ苦労したか。どんだけ途方に暮れて、どんだけ追い詰められて、どんだけの恐怖に向き合ったか。まさに勇気じゃん。逃げなかったじゃん。
10年前の自分も同じようなことを言っている
なお先日、担当編集の柿内芳文氏からこんな品が届きました。




もっと書け、ということなのでしょう。
何万年でも書け、ということなのでしょう。
とりあえず今後のメモや日記は、この万年筆で書いていくことにしました。発想の起点をすべて、この万年筆にしてみようと。
『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を読んでくださったみなさん、推してくれた書店員のみなさん、ダイヤモンド社の方々、ほんとうにありがとうございました。鶴は千年、おれは万年。これからもずっと書いていきます。
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