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どうしてダジャレはだめなのか。

もう何年も前の話である。

仕事とは関係のない、有志的に集まったなんとも不思議な会合で、広告畑の方々とご一緒したことがある。クリエイティブ・ディレクターとかアート・ディレクターとか、あるいはコピーライターであるとか、そういった肩書きの、しかも超一流のみなさんだ。そして会合というのか打ち合わせというのか、ともあれミーティング的なものが終わり、じゃあ解散しましょうか。最寄り駅までの道すがら、隣を歩いていたコピーライターの方がボソッとつぶやいた。


「うーん、あれでいいのかなあ。おれなんか、会社に入って最初に言われたのが『ダジャレ厳禁』だったからさあ」


ミーティングの席では、幾人かの出席者がダジャレっぽいコピー案を出し、「案外いいんじゃない?」みたいな声が多く聞かれていた。そこに違和感を持っていた彼が、「まあうちのやりかただけが正解じゃないけどさ」みたいなトーンで、そうつぶやいたのだった。

へえ、と思った。

彼は当時、日本を代表する広告代理店に勤務していた。そして広告に疎いぼくでもよく知っている広告を、多数手掛けていた。なるほどあの会社ではそういう教育がなされているのか。そんな伝統があるのか。やっぱりことばを扱うプロとして、誇りみたいなものがあるんだろうな。深く考えることなくシンプルに、そう感心していた。

ただ、なんとなくその後も「あの会社では最初に『ダジャレ厳禁だからな』と釘を刺される」という事実がちょっとした宿題のように胸に残り続けた。もちろんこれは会社全体の方針ではなく、彼の配属先、その上司の個人的なポリシーだったのかもしれない。でも「ダジャレ厳禁」と断ずるにはそれなりの理由があるはずで、ずっと気になっていた。

そしてどのタイミングだったか忘れたけれど、気づいたのだ。

なぜダジャレがいけないのか。日常会話におけるダジャレはおおいに結構だけれども、どうしてコピーやタイトルでそれを使ってはいけないのか。つまらないからか。おやじくさいからか。


答えは簡単で、ダジャレはアイデアを殺すのである。


ダジャレとは、どこまでいってもことば遊びの戯れでしかない。間違ってもアイデアではない。宮本茂さん曰く、アイデアとは「複数の問題を一気に解決するもの」なのだ。なにも解決していないだろう、ダジャレは。

しかしダジャレには、その発案者を「やった気」にさせる毒がある。そして実際に笑いがとれたり、感心されたりもする。笑ってもらえて関心されれば当然「やった気」になるだろうが、それは「複数の問題を一気に解決」しないのだ。ダジャレやパロディに逃げることなく、うまいこと言って悦に入らず、堂々と正面突破するアイデアとしてのコピーを、アイデアとしてのタイトルを、考えなければならないのだ。

ぜんぜん違う業界の、聞きかじりにも程がある教えだけれども、タイトルを考えるのが苦手な自分にとってはとてもありがたい戒めとなっている。


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