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【書評】『民族とナショナリズム』

アーネスト・ゲルナー 著 加藤節 監訳 亀嶋庸一・西崎文子・室井俊通訳 (2026年、岩波文庫)

精巧右読 評

ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である。

ゲルナー『民族とナショナリズム』107ページ

ナショナリズムとは不思議な用語である。一体その言葉にどういった含意があるのかが一見うかがいしれない。一方で、政治経済を学んだり、現実の政治的な議論をしたりする時には頻繁に出てくるからである。共産主義や自由主義などイデオロギー的な概念とは異なり、「美しい」とか「誇りある」などの言葉がナショナリズムに導入されるように、国民国家の中に内在する感情的側面を帯びたもので、理論としては掴みどころのない印象さえある。

近年ではナショナリズムに関連するものに対して実証研究も試みられている。実際に、中井遼 『ナショナリズムとは何か』が中公新書から刊行され、一般向け新書として流通している 。

こうしたナショナリズム研究には古典的な著作がある。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』やアーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』そして、アンソニー・スミス『ネイションとエスニシティ』の3冊である。最近、その中の一つゲルナーの本が岩波文庫化されたため、評者は購入した。

作家の佐藤優は『読書の技法』でゲルナーの本について取り上げている。佐藤氏は本書について「完全に消化できれば、民族紛争のみならず、グローバリゼーションが引き起こす問題や、アルカイダ型のイスラーム原理主義過激派の問題を解明することも容易になる」と主張している。

さらに、同氏は2022年に『国家と資本主義 支配の構造』という本でゲルナーのテキストを土台に同志社大学の学生らに国家の支配構造を説いている。こちらの本も評者は確認したが、ゲルナーの本を読んで、この本も併読すると理解は進んだ。ただし、こちらの本は講義形式を取っており、癖のある構成なので注意しながら読む必要がある。また、あとがきにウクライナのゼレンスキー大統領の分析をしているが、評者は全く異なる立場でもある。

話をゲルナーに戻すと、彼は哲学と人類学的なアプローチを応用して、ナショナリズムと民族についての考察を深めている。「狩猟採集社会」「農耕社会」そして「産業社会」という人類史的な区分が移行するなかで、最終的に産業社会以後の国家では、産業社会を構成する基礎教育や均質的文化などからナショナリズムが生まれ、その後、民族という観念が形成されていく過程を描いている。残念ながら、本稿では理論的細部には立ち入らないが(他の本を読んで紹介したいため)、最終的に秋の文学フリマまでに中身について書きたい。

現時点でいえるのは、ゲルナーの分析において複数の哲学者や社会学者の影響があることだ。例えば、ヒューム、カント、ヘーゲル、マルクス、そしてマックス・ウェーバーなどが挙げられる。特に産業社会の分析ではウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を取り上げている。ゲルナーは第3章で「非資本主義的な産業社会が出現した結果として、ようやくウェーバー後になって、資本主義の起源から産業主義の起源に(まったく健全なことに)関心は移った」と評価している。

評者は西洋の資本主義や産業社会論においてウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 を基礎とするのは、いささか古い解釈だと思っている。とはいえ、ゲルナーの主張には重要な要素もいまだ含まれているのは事実であり、読む価値のある古典であるといえる。

他にも、第5章「民族とは何か」でアンソニー・ホープ『ゼンダ城の虜』(書評時点では、版元には在庫なし)のルリタニア人の寓話を引いて、論を展開しているが、この本も読んでみたいと思っているため、そちらも読み終えたうえで内容を深堀していきたい。


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