世界の幸せ報告(ミャンマー編)〜笑顔の奥にある、人と人のぬくもり
1.はじめに
2012年、私は仕事の縁でミャンマーのヤンゴンを初めて訪れました。当時は軍事政権から民主化へと移行したばかりで、NTTコムが通信整備に乗り出し、ANAが成田―ヤンゴン便を就航させ、日本企業の進出が相次いでいた時代です。羽田からバンコク経由で乗り継ぎ、ヤンゴンに降り立つと、想像していた田園風景とは異なり、近代的なビルが立ち並ぶ街並みに驚かされました。
一方で、停電は日常茶飯事。ドコモの携帯がつながらない3カ国のうちの一つ(北朝鮮、ソマリア、そしてミャンマー)で、インフラは未整備のまま、急速に世界へと扉を開こうとしていた国でした。
あれから14年。2026年の今、ミャンマーは政変を経験し、地方では紛争が続いています。一方でヤンゴンでは経済が動き続け、外国人も暮らし続けています。「ランキングが示す数字の向こうに、ミャンマーの人々の本当の幸せはあるのか?」――この問いを軸に、現地の声や当時の記憶からミャンマーの幸福観を探ってみたいと思います。

2.ミャンマーといえば――2012年の記憶
アウンサンスーチーさんという存在
ミャンマーを語るとき、アウンサンスーチーさんの名前を外すことはできません。ビルマ独立運動を指揮した建国の父・アウンサン将軍の娘として生まれた彼女は、民主化運動のリーダーとして1991年にノーベル平和賞を受賞。15年間にわたる自宅軟禁生活にも耐えながら、非暴力・人権回復のために立ち向かいました。
訪問直前に映画「The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛」(監督:リュック・ベッソン、主演:ミッシェル・ヨー)を観て現地へ向かいました。夫と子どもをイギリスに残したまま闘い続けた家族の物語が深く心に残り、現地でご自宅を外から見学したときには胸が熱くなりました。隣が米国大使館というのも、時代を象徴する光景でした。

黄金の聖地・シェダゴーン・パゴダ
到着初日に訪れたのが、ミャンマー最大の聖地「シェダゴーン・パゴダ」。歴史はなんと2500年以上。タポゥタとパッリカという兄弟商人がインドでブッダと出会い、8本の聖髪を授かってこの地に奉納したのが起源とされています。金箔の輝きは金閣寺をはるかに凌ぎ、頂上にはダイヤモンドが輝いています。街のいたるところに僧侶があふれ、宗教が日常に深く溶け込んでいることを肌で感じた時間でした。

ミャンマー人の国民性
現地に進出した日本企業の関係者たちは、ミャンマーの国民性について口をそろえて「非常によい」と話していました。「これほど日本人にやさしく、フィーリングが合う国はない」と絶賛する声も多く、週刊東洋経済(2012年9月号)の特集でも同様の声が多数紹介されています。
その国民性は「親しみやすく」「非常に親切」「我慢強く」「穏やか」。困った人には自然に手を差し伸べる。タイが「ほほ笑みの国」と呼ばれるのに対し、「本当のほほ笑みの国はミャンマーだ」と豪語する日本人もいたほどです。国民の約90%が仏教徒という背景と、日本を独立の恩人として敬意を表してくれる親日国家としての歴史も、この温かさと無縁ではないでしょう。
忘れられない珍道中と、ティラワ経済特区
2日目は日本企業が注目する「ティラワ経済特区」の視察でしたが、レンタカーのバッテリーが何度も上がるというハプニングに見舞われました。交換しても直らず、代車も同じ状況。最終的にはオーナーのとっておきの「トヨタ クラウン」まで止まってしまい、午前中を丸ごと費やしました。



そこで目にしたのが、繁華街のいたるところにある「バッテリー充電屋さん」。バイクの横に座り充電器を携えて待機する人々の姿は、インフラの未整備がそのままビジネスになっているミャンマーらしい光景でした。
ようやく辿り着いたティラワの開発地区は2,400ヘクタールという広大なエリア。当時はほぼ一面の草原でしたが、日本がマスタープランを手がけ、将来的に大きな経済規模になるという期待が膨らんでいました。


視察の最後に案内していただいたのが、貧困層が暮らすバンブーハウスのエリアでした。湿地帯に建ち並ぶ竹造りの家々。確かに豊かさとは言えない暮らしです。しかし、そこで出会った子どもたちは、無邪気な笑顔で駆け寄ってきました。「物がない」「貧しい」はずなのに、その笑顔は満ち足りていて、何かに感謝しているようでもある。一緒にいた日本人のメンバーが静かに言いました。「昔の日本みたいだね。みんな、心が豊かだ」と。


3.世界幸福度ランキング、ミャンマーは147カ国中129位
毎年3月20日、国連が「世界幸福度ランキング」を発表しています。評価軸は①一人当たりGDP(経済的豊かさ)、②社会的支援、③健康寿命、④人生の選択の自由、⑤寛容さ、⑥腐敗・政府への信頼度の6指標です。2026年版でミャンマーは147カ国中129位。最下位はアフガニスタン、上位は北欧諸国が占めています。
この数字について、2021年の政変後も現地に留まり続ける日本人に聞いてみると、こんな答えが返ってきます。
では、なぜ129位と低いのでしょうか。6つの評価軸で見ると、ミャンマーが特に低いのは「一人当たりGDP」「健康寿命」「政府への信頼度」の3項目です。軍事政権による長年の経済停滞と、2021年のクーデター以降の混乱が数字に直接影響しています。医療インフラの未整備により健康寿命も短く、低評価につながっています。一方で「寛容さ(他者への助け合い)」の項目は相対的に高く、これは「徳を積む」仏教文化の表れといえます。数字の低さの主因は政治・経済・医療の構造的な課題にあり、人々の心の豊かさとは必ずしも一致しない——それがミャンマーのランキングが示す実情です。
「ヤンゴンは何も起きていなくて、普通に日常生活が送れていますし、むしろ経済はどんどん発展している感じなんです。地方と都市の差がすごく大きいので、もしヤンゴンだけで数字を出したら、もう少し上なのかなとは思います」
地方の紛争地帯を含む国全体の数字と、平和が続くヤンゴンとでは実態が大きく異なります。同じ「ミャンマー」という枠に収めることの難しさを感じさせる言葉です。

4.ヤンゴン、今の姿
ヤンゴンでは、2021年の政変以降も外国人向けの高層マンション群に整備されたインフラと24時間のジェネレーターが整い、生活環境は快適に保たれています。
私が2012年に視察したティラワ経済特区は、その後、日本政府の支援で道路が整備され多くの企業が進出しました。しかし政変以降、多くの外資が撤退し、今は再び草が生い茂るエリアも出てきているといいます。それでも「ヤンゴン中で一番いい道はティラワまでの道」と現地の日本人が語ります。
「日本が作った道だけは、雨季でも穴が開かず、ずっと綺麗なまま。夫婦でよく走るんですが、やっぱり日本の技術はすごいなと改めて思います」
計画通りに進まないのが当たり前のミャンマーで、日本の仕事の丁寧さが際立ちます。その誇りは、現地で暮らす日本人の口から何度でも語られるものです。
5.ミャンマーの幸福観――さまざまな声から
笑顔の国へ、14年後の証言
2012年当時から「これほど日本人にやさしい国はない」と言われていたミャンマー。14年後の現地でも、その印象は変わっていません。現地に長く暮らす日本人によれば、タイ人よりミャンマー人の笑顔の方が素晴らしいと語るのは欧米人たちも共通して口にすることだといいます。
「ミャンマー人は普段すごくシャイで、むすっとしていることも多いんですけど、こちらが笑顔を向けたときの向こうの笑顔が本当に素敵で。外国人みんなの共通意見です」
シャイだからこそ、心を開いたときの笑顔が純粋に輝く。私が2012年に最終日に訪れたシーフードレストランでも、10歳前後の子どもたちがウエイターとして、厨房でも、とにかく笑顔で生き生きと働いていました。貧しさの中で働きながらも、その笑顔には不思議なほどの満足感がありました。あの子どもたちと、バンブーハウスで出会った子どもたちの笑顔。どちらも、何かに感謝しているような、満ち足りた表情でした。

現地に住む方が聞いた「幸せってなんですか?」
現地在住の日本人が、現地の日本語学校の生徒たちに「幸せってなんですか?」と問いかけたことがあるそうです。答えはシンプルでした。第一位は「家族と友人と一緒にいる時間」。日本行きを目指す20代の若者たちが「親と過ごすことが幸せ」と口をそろえたのが印象的だったといいます。第二位は「達成感」。「物を買ったとき」という回答は少数派でした。
経済的な豊かさより、人とのつながりと達成感。この答えは、2012年に現地で感じたものと14年の時を超えて一致しています。
6.仏教・コミュニティ・忍耐力――ミャンマーを支える3つの力
「徳を積む」という日常
ミャンマーの国民の約90%は仏教徒です。仏教は単なる信仰を超えて、日常の行動規範として深く根づいています。「徳を積む」という考え方がその核心にあり、見知らぬ人にさっとお金を渡すような行為が珍しくない光景として語られます。自分のためなのか人のためなのか、境界があいまいなまま、みんなが喜んでいる――そんな温かい循環が社会全体にあるようです。
現地に住む日本人から聞いた、日本語学校の寮でのエピソードがあります。
「4人でインスタントラーメンを作っていて、卵を5つ入れた。4人で5つだから1個余る。じゃんけんで勝った人が取ったのかと思ったら、最後の1個を4人で分けた。これが幸せだって言いながら」
少ないものを分かち合うことを、自然に「幸せ」と言える感性。ミャンマーの国民性の核心がここにあるように思います。
赤ちゃんが泣かない国、嵐を生き抜く人々
ヤンゴンでは、赤ちゃんが泣く声があまり聞こえないそうです。お母さんが一人で子育てを抱え込まないから、とのこと。近所の人が自然にあやし、親族がいなければ近くにいる誰かが代わりを担う。赤ちゃん自身がゆったりと安定した環境で育てられているのだといいます。日本では電車内で泣く赤ちゃんに冷たい視線が向けられることもあります。コミュニティの在り方そのものの違いを感じさせます。
そのミャンマーは、1988年、そして2021年と、大きな政変を経験してきました。人々の生活がガラリと変わる出来事が繰り返されてきた国です。それでも現地に暮らす日本人の目に映るのは、こんな姿だといいます。
「外から見ていると、何があっても「ああ、はい」という感じで、自分たちなりに幸せに生きていく方法を見つけている。その忍耐力はすごいと思います。お金がない、大変だって口ではよく言うけど、みんな普通に楽しんでいる」
困難を嘆くより、今ある環境の中で楽しみを見つける。歴史の中で深く鍛えられた生命力のように感じられます。

7.旅の学び――「幸せ」は関係性の中にある
ランキング129位という数字の向こうに、数字が見えにくくしているものがあります。
人と人の距離の近さ。分かち合いの喜び。徳を積むという日常の習慣。シャイだからこそ輝く笑顔。赤ちゃんを一人で育てない共同体。どんな嵐の中でも楽しみを見つける忍耐力。
「幸せって何ですか?」という問いに、ミャンマーの若者たちは即座に答えます。「家族と友人と一緒にいること」。豊かさの定義が、根本から違うのです。

8.日常・仕事・経営に活かすヒント
ミャンマーの旅から感じたことを、日常・仕事・経営の場面に引き寄せて、少し考えてみました。
■ 日常生活のヒント:「幸せのモノサシ」を増やしてみてはいかがでしょう
卵1個を4人で分け合い「これが幸せ」と笑うミャンマーの若者たちの姿は、とても印象的でした。モノや情報が溢れる現代の中で、今日の食事、誰かとの何気ない時間、小さな達成感に目を向けてみると、意外なところに満足感があるのかもしれません。
■ 仕事のヒント:「見返りを求めない親切」が、じわじわと効いてくるのかもしれません
ミャンマーでは「誰かへの親切が自分の幸せになる」という感覚が自然に根づいているように見えました。職場でも、見返りを期待せずに誰かを助ける小さな習慣が、じわじわと信頼関係を育てていくのではないでしょうか。「徳を積む」という言葉は仏教的ですが、人と関わる上での普遍的な何かを含んでいるように感じます。
■ 経営のヒント:「それでも楽しむ」という姿勢が、組織の底力になるのかもしれません
政変や経済的混乱の中でも、嘆くのではなく「自分たちなりに楽しみを見つける」ミャンマーの人々の姿は、どんな組織の中でも通じるものがあるように思います。変化が多く、先が見えにくい時代だからこそ、「今ここでできることを楽しむ」という感覚が、チームの雰囲気や結束に影響してくるのではないでしょうか。
9.おわりに
バンブーハウスが並ぶ湿地帯のエリアを歩いたとき、あの子どもたちの笑顔が忘れられません。その後、視察を終えて町に帰る道中でも、車はアクセルを踏んでも動力が通じなくなり、ギアの入りが悪くなり、非常灯がつきまくり、スピードメーターまで動かなくなりました。最後は手押し車。「ちゃんとしたレンタカービジネスをやったら絶対儲かるのでは」と苦笑いしながら、仲間と車を押したあの午後も、今となっては大切な記憶です。
あれから14年。現地の声を聞きながら、バンブーハウスで出会ったあの子どもたちの笑顔の質感は、間違いではなかったと改めて感じています。
ミャンマーを訪れる前に観た映画の中で、アウンサンスーチーさんはこのような言葉を残しています。

「人間だから衝突することもある。それを解決する手段は、銃で殺しあうのではなく対話です。必ず協調点はあります。絶えず相手の気持ちをわかろうとすること。自分が希望や恐れを抱いているのであれば、相手も希望と恐れを持っていることを、共感を持って理解することからはじめましょう。」
― アウンサンスーチー
「一人の人間としてこの世に生を承けながら、ただただ自分のことだけを考えて生き、それで死んで行くなんて。……せっかく人間として生まれた甲斐が、ないのではないでしょうか。」
― アウンサンスーチー
人のために何かをすることが、自分の幸せになる。ミャンマーの人々が日常の中で自然に体現しているその循環は、スーチーさんが命がけで訴え続けたことと、どこかで通じているように感じます。
この旅の記憶を携えながら、また次の国へ向かいたいと思います。
幸せ冒険家 小泉大輔
