第43話:昭和の暮らしを支えた 名もなき仕事図鑑『行灯絵師さん──灯りに命を吹き込む絵の仕事』(repost)
昔は、どこに どんなふうに おられたんですか?
あの頃はな、夏祭りや芝居小屋のまわりによう見かけたもんや。
暗い夜道をほの明るく照らす行灯──そこに絵や文字を描く人を「行灯絵師さん」言うてな。
町の端っこの小さな工房におって、和紙に墨と彩色でさらさらっと筆を走らせる。
あたりに漂うのは墨の匂いと、障子紙を貼ったときの糊の甘い香り。
道行く人が「おお、今年の祭りの絵は誰が描いたんやろ」と足を止めるほど、行灯絵師さんの腕は町の誇りやったんよ。
どんなことをしてはったんですか?
仕事はただの字書きやのうて、“灯りに命を吹き込む”ことやった。
お祭りなら華やかな花火や相撲取りの絵。芝居小屋やと役者の顔や演目の題名を。
和紙の上に描くけん、光を通すと絵が浮かび上がるんよ。昼間に見るのと、夜に灯りが入ってから見るのとでは表情がまるで変わる。
「絵師さん、もうちょっと派手に頼んますわ」と町内の人が注文して、
「よっしゃ、ほんなら紅を強うしてみまひょ」と答える。
そうやって祭りの景色は彩られていったんや。
どんな人たちが その仕事を?
多くは看板描きや表具師の仕事もしながら、行灯も手がける人が多かった。
絵筆ひとつで食べていくのは楽やなかったけんど、祭りの季節には引っ張りだこやったそうな。
子ども心に覚えとるんは、細い筆先をすいすい動かしながら、無駄な迷いもなく絵を仕上げていく姿やな。
口数少ない人が多かったけど、絵には魂がこもっとった。
灯りが入った行灯を見上げて、子どもらが「わぁ、きれいやなぁ」て声を上げると、絵師さんの口元がふっとゆるむんよ。
その仕事、どうして 見かけんようになったんですか?
時代が進むにつれて、電灯のネオンや印刷物が主役になった。
ポスターや看板が安うて早う作れるようになって、行灯はだんだん影を潜めていったんよ。
昭和の終わりごろには、もう本物の行灯を見かけることは少のうなった。
祭りも安全性を考えて電飾が主流になったしな。
けどな、行灯のやわらかい光は、ネオンには出せん“あったかさ”があったんよ。
最後にひと言、もらえますか?
行灯絵師さんの手仕事は、ただの装飾やのうて、人々の心を照らす灯りやった。
にぎやかな祭りの夜に、ふと立ち止まらせる力を持っとったんや。
せやから今でも、あの灯りを思い出すと、胸の奥がじんわりするんよ。
――あれは確かに、暮らしを支える“名もなき仕事”やったと思うわ。
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