❤️ 第113話:加賀友禅の反物の独り言(石川編)
しんとした工房に、朝の光がやわらかく差してくる。
まっさらな白い体を、ぴんと張られて、わたしは職人さんの前に横たわっている。
これから、この体に、どんな景色が描かれるのだろう。そう思うと、繊維の一本一本が、そっと息をひそめる。
わたしは、反物。
加賀友禅として、これから一枚の着物に生まれ変わる、絹の反物やわいね。
まだ何も描かれていない、白いだけのわたし。けれど、職人さんの手にかかれば、ここに花が咲き、鳥が舞う。

まず、職人さんが、下絵を描いていく。
青花という、水で消える特別な染料で、花の輪郭を、すう、すうと。
その筆さばきの、なんとまあ、迷いのないこと。何十年も筆を握ってきた手が、わたしの上を、なめらかにすべっていく。
つづいて、糸目糊置き。
輪郭にそって、細い糊の線を、そっと絞り出していく。この糊が、染料がにじまぬよう、色と色のさかいを守る土手になるんや。
そして、いよいよ、彩色。
加賀友禅の特徴は、「加賀五彩」と呼ばれる、臙脂・藍・黄土・草・古代紫の五つの色。そして、花びらの外側を濃く、内側を淡く染める「外ぼかし」という技法や。虫が食った葉まで描く「虫喰い」もある。美しさだけやのうて、自然のありのままの姿を写しとるのが、加賀友禅の心なんやわいね。
筆が、わたしの肌に、色をのせていく。
ひと筆ごとに、花びらが立体を帯びて、まるで、ほんとうに咲いているみたいに見えてくる。
職人さんの息づかいが、すぐそばで聞こえる。
集中しているときは、息さえ止めて。ふう、と長い息をつくのは、ひとつの色を置ききったときだけ。
その真剣さが、わたしの体に、じんと染みこんでいく。
長い、長い工程やった。
下絵から、糊置き、彩色、蒸し、そして川での水洗い。何人もの職人さんの手を渡って、ようやく、わたしは一枚の着物になる。
やがて、わたしに袖を通す人が、あらわれる。
その人が、鏡の前で、ふわりと微笑む。
「まあ、きれいねぇ」
その一言のために、わたしは、これほど手をかけて生まれてきたんや。
わたしをまとった人の一日が、少しでも晴れやかであるように。
歩くたびに、裾の花がゆれて、まわりの人まで、ふっとやさしい気持ちになるように。
それが、わたしのいちばんの願いやわいね。
きものは、ただの布やない。
職人さんの息づかいと、着る人の願いが、そっと重なりあう、うつくしい景色なんや。
今日も、加賀の空の下で、わたしは誰かの晴れの日を待っている。
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