民主党オワコン解説がはじまるよ
民主党知ってる人は近年少なくなった気がします.
それもそのはず,2016年に分裂をしたからだ.
その後 立憲民主党と国民民主党になりましたとさ.
1.民主党政権誕生の背景
自民党の支持率低迷 2009年当時,麻生太郎内閣率いる自民党は深刻な支持率低迷に陥っていました.その原因となったのは,当時相次いだ複数の問題です.
消えた年金問題: 社会保険庁のずさんな処理により,5095万件もの年金記録が該当者不明となる大不祥事が発生しました.
政策の乱高下: ガソリン暫定税率を巡る与野党の攻防により,わずか1ヶ月でガソリン代が乱高下し,国民生活に混乱をもたらしました.
相次ぐ首相交代: 安倍・福田・麻生と,総理大臣がすべて1年以内に交代する不安定な政権運営が続き,麻生内閣の支持率は一時11%にまで急降下しました.
これらの失政を受け,野党第1党であった民主党が「政権交代」を掲げ,国民からの期待を集めることとなります.
2.2009年総選挙と民主党のマニフェスト
2009年8月30日,第45回衆議院議員総選挙が行われました.結果は自民党が歴史的な大敗を喫し,民主党が308議席を獲得して政権交代を果たしました.

当時の民主党が掲げたマニフェスト(政権公約)には,以下のような政策が含まれていました.
高校無償化
子ども手当2万6000円の一律支給
高速道路の無料化
沖縄・普天間基地の「最低でも県外」への移設
とかいう全部達成できたら歴史の教科書で英雄扱いされるほどです.
これらの政策を実行するための財源として,民主党は特別会計の見直しなどによる「埋蔵金(16.8兆円)」の活用を主張していましたが,その確保は後に困難を極めることになります.
3.鳩山由紀夫内閣の混迷
外交・内政の危機 2009年9月に発足した鳩山内閣ですが,掲げた理念や政策の実行を巡り,わずか数ヶ月で政権運営が行き詰まり始めます.
国際公約の発表と試算の不開示: 党内での十分な議論を経ないまま,国連の気候変動サミットで「温室効果ガス25%削減」を国際公約として発表しました.しかし,後に1世帯あたり最大75万円の負担増になるという試算が発覚した際,政府はその事実を積極的に公表しようとしませんでした.
普天間移設問題と日米関係の悪化: 「最低でも県外」とした公約の移設先選定が迷走しました.オバマ大統領に対して「Trust me(私を信じてほしい)」と伝えたものの合意形成には至らず,日米関係に深刻な不信感をもたらしました.
国会での答弁: 米紙から「ルーピー(愚かな)」と評されたことが国会で追及された際,鳩山首相が「確かに私は愚かな総理かもしれない」と答弁し,批判を浴びました.
資金管理団体を巡る問題: 実母から7年間で約12億円に上る資金提供を受けながら納税していなかった脱税疑惑や,故人名義を利用した虚偽献金が発覚しました.世論の強い批判を受け,内閣支持率は20%前後に急落し,発足から約8ヶ月で退陣へと追い込まれました.
4.実効性が疑問視された「事業仕分け」
民主党政権の目玉政策であった,予算の無駄を公開の場で削減する「事業仕分け」も議論を呼びました.
特に象徴的だったのは,スーパーコンピュータ「京」の開発事業において,蓮舫議員が発した「2位じゃダメなんでしょうか?」という指摘です.短時間の公開議論で専門知識を欠いたまま技術予算の縮減を判定したため,科学技術界から猛反発を受け,最終的には予算規模を縮小して継続する形へと修正されました.

この事業仕分けは政治の透明性を高めるパフォーマンスとしては注目されたものの,判定に法的拘束力がなく,後に決定が覆るケースも相次いだため,実効性の面で多くの課題を残しました.また,前原誠司国土交通相(当時)による八ッ場(やんば)ダム建設の突如としての中止発表も,地元自治体や住民との間に大きな混乱と対立を生じさせました.
5.菅直人内閣の発足と尖閣諸島沖での衝突事件
鳩山氏の辞任を受け,2010年6月に菅直人氏が新首相に就任しました. 菅氏自身も,過去に自民党議員の公的年金未納を激しく追及した一方で,自らの未納が発覚して引責辞任し,お遍路巡りを行うといった経緯を持つ人物でした.
この政権下で,日本の安全保障を揺るがす重大な事件が発生します. 2010年9月,尖閣諸島周辺の領海内で,中国漁船が海上保安庁の巡視船に故意に衝突を繰り返しました.しかし菅政権は,日中関係への配慮などを理由に,逮捕した中国人船長を処分保留のまま釈放しました.さらに,衝突の瞬間を記録した証拠映像の公開を制限しようとしました.
この対応に危機感を抱いた海上保安官の一色正春氏が,匿名アカウント「sengoku38」として動画共有サイトに映像を流出させたことで,事件の全容が公となりました.中国側の悪質な航行と政府の隠蔽姿勢に対する国民の不満は頂点に達しました.なお,菅首相は後に,この釈放判断への自らの関与について「記憶にない」と釈明しています.

