日本は本当に「危ない」のか。「流出する日本人」を、日本を離れて3ヶ月で読む
ぶどうの木が広がる丘にあるバーで、白ワインを飲みながら一冊の本を読んでいます。
現在地は、チェコ南部の小さな街、ズノイモです。目の前には夕焼け、手元には、Palavaという南モラヴィアの地物ワイン。これがとても美味しいのです。サムネにした写真は8歳の息子が撮りました。
ところで、本のこと。こういう時間に読むものとしては、少々場違いなものかもしれません。
「流出する日本人—海外移住の光と影」
日本を離れる人たちについて書かれた本です。いろんな観点から「海外に活路を見いだす」事例が考察されています。
私としては流出しているつもりはないのですが、一年以上日本を離れている予定なので、ひとまずは流出組になるのでしょう。

安全面、スキル面、リスク回避の対策なんかで「子どもを海外で育てる」という人が増えているらしい、という話題を読んでいるとき、懐かしい感じがしました。
「日本が(いろんな意味で)危ない」という説は、個人的にはある程度は本当のことだと思っているので、すこし前の私は明確に「日本が危なそうだから海外!」という立場でした。
そして実際、ある時は1歳の息子を東南アジアへ、またある時は3歳の息子を北米へ連れ出し、5歳の息子を連れてアフリカに本格移住する段取りをつけたこともありました。
海外への憧れに、「子どもを守るための危機管理」というちょうど具合のいい大義名分が追加され、私の決断がいつにも増して早かったことを覚えています。
で、逃げる?どうする?
「流出」と言われてピンとこなかったのは、そういうネガティブ(と私は受け取った)な理由で出て来たというのは、今回は1ミリも無かったからだと思います。読みながら、いまの私は「日本が危ないから海外」ではなくなったんだな、ということに気づいたのです。
もし日本があぶないのであれば、それは自分にも責任の一端があるとも言える。自分も子どもも日本人として生まれたわけですから、必要があるなら、ある程度、引き受けたらいいと思います。
その代わりに得られているもの。たとえば、
海外の人たちが日本という国や文化へ関心を持ってくれていること
パスポートが万能であること
日本人だと言うと、大抵の国の人は「コンニチハー」と言ってくれること(こちらは知らないのに…申し訳ない)
私が、駐在でも現地就職でもワーホリでも通学でもなく、ただ特権を駆使して国々を横断している立場だからかもしれません。いつも「やってもらいすぎている」と感じるのです。
もちろん私一人がイイトコドリしたところで、世界はなにも変わらないのですが、「今ここにいられていることで、自分になにができるのかなぁ」と思わずにはいられません。あぶないかもしれない日本を救うことも、世界を大きく変えることも、できないとしても。

この本を読んでいてふと思った、もう一つのこと。「私が機嫌よくで流出できたのは、いつでも帰れる場所があるからだよなぁ」。
私も、人の親であるよりまえに人の子ですので、私にとって母と弟が日本にいることが、間違いなく大きな安心になっています。
息子にとっても、実父や祖母をはじめ、成長を見守ってくれる私の友人たちを含めて、日本という場所が「いつでも帰れる場所」であることが、安心して今を楽しめる大きな拠り所になってくれているなぁ、と、彼と話していて感じます。
私は、彼に場所としての故郷は用意してあげられていない分、関係としての「いつでも安心して戻れる、頼れる場所」は提供したいと思っています。そして反面、物理的な故郷は、他の誰かにお願いするかたちになってますが。
遠くへ行くことと、帰る場所を持つことは、もしかすると反対ではないのかもしれません。
同書を読んでいて気づいた別のトピック、海外に来ることによる「経済面や税制面」については、また次の機会にでも。
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