アイデアは枯渇するものではない。満足すると消えるもの

生成AIによって、ものを作るハードルが急激に下がった。
絵を描けなくても絵を作れる。
コードを書けなくてもアプリを作れる。
楽器を弾けなくても曲を作れる。
文章を書くのが苦手でも、小説や記事を形にできる。
そこでよく聞くようになったのが、
「技術はなかったけど、アイデアはずっとあった」
という話だ。
これはたぶん、本当なのだと思う。
作りたかったものがあった。
でも技術がなかった。
時間がなかった。
お金がなかった。
生成AIによって、その壁が一気に低くなった。
ならば、これからアイデアを持っていた人たちが大量に作品を作り続けるのだろうか。
最近、少し違うのではないかと思っている。
アイデアは、思っているより早く消える。
ただし、枯渇するからではない。
満足してしまうからだ。


「これを作りたい」はどこから来るのか

そもそもアイデアとは何だろう。
新しい発想。
独創的な組み合わせ。
誰も思いつかなかった仕組み。
そう説明することもできる。
でも、もっと手前にあるものを考えると、
「これが欲しい」
「こうだったらいいのに」
「なんでこうなっているんだろう」
「自分ならこうする」
という、現状への小さな違和感がある。
現状がAで、自分が満足できる状態がBだとする。
AとBの間に差がある。
その差を見つけたとき、
「こうすればBに近づくんじゃないか?」
という仮説が生まれる。
それがアイデアなのではないか。
つまり、
アイデアとは、不満足と満足の間に生まれる仮説である。
そして「作りたい」という感情は、その差を埋めて満足したいという動機なのだと思う。
AIは満足までの時間を短くした
これまで、アイデアを形にするには時間がかかった。
ゲームを作りたいならプログラミングを覚える。
曲を作りたいなら楽器やDAWを覚える。
絵を描きたいなら何年も練習する。
一つの「これを作りたい」が、数か月、場合によっては何年もの動機になった。
ところがAIによって、この距離が猛烈に縮んだ。
「こんな曲を作りたい」
作る。
できた。
「こんな絵が見たい」
作る。
できた。
「こういうアプリが欲しい」
AIとコードを書く。
動いた。
もちろん高度なものになれば簡単ではない。
それでも、アイデアから実物までの距離は以前とは比較にならないほど短くなった。
すると別の問題が出てくる。
満足するのも早くなる。
ずっと頭の中にあったものを作った。
もう一つ作りたかったものも作った。
それもできた。
さて、次は?
ここで止まる。
これは「アイデアが枯渇した」のだろうか。
少し違う気がする。
やりたかったことをやって、満足したのだ。

「アイデアがたくさんある」は在庫の話かもしれない

AI以前なら、
「自分には作りたいものがたくさんある」
と思いながら何年も過ごすことができた。
なぜなら、それを消費する速度が遅かったからだ。
10年間温めていたアイデアが2つあったとしても、一作品を完成させるのに数年かかるなら、それだけで十分だった。
本人からすれば、
「自分はずっとアイデアを持っている人」
になる。
ところがAIで制作期間が数日や数週間になれば、その在庫は一瞬でなくなる。
1個目。
作った。
2個目。
作った。
次は?
ここで初めて、
「アイデアを持っていたこと」と「アイデアを生み続けられること」は違う
と分かる。
これはかなり大きな違いだと思う。

作るほどアイデアが増える人もいる

一方で、逆の人もいる。
一つ作る。
「できた」
そこで満足する。
でも、
「ここ、もう少し変えられないか?」
と思う。
直す。
すると、
「この仕組み、別のものにも使えるんじゃないか?」
と思う。
試す。
すると今度は、
「そもそも、この前提って必要なのか?」
という疑問が出てくる。
また作る。
こういう人にとって、制作はアイデアを消費する行為ではない。
制作そのものが、新しい違和感を発見する装置になっている。
作る前には見えなかったものが、作ったことで見える。
知識が増える。
可能性を知る。
比較対象が増える。
すると、それまで満足していたものにまで違和感を持つようになる。
だから、
アイデア → 制作 → 満足
で終わるのではなく、
アイデア → 制作 → 観測範囲の拡大 → 新しい違和感 → 新しいアイデア
になる。
この循環に入ると、作れば作るほどアイデアが増えてしまう。

満足できないのではなく、次の満足が見える

これは「永遠に満足できない人」ともちょっと違う。
作ったものには満足している。
「これはこれでできた」
と思える。
ただ、その瞬間にはもう、
次に満足したいものが見えている。
一つの不満が解消されたことで、それまで見えなかった次の不満が見える。
山を登ったら、さらに向こうの山が見えたようなものだ。
だから終わらない。
アイデアを大量にストックしているわけでもない。
最初から100個のアイデアを持っているわけでもない。
一つ作るたびに、次の一つが発生する。

AI時代に問われるのは「アイデアの数」ではない

生成AIによって技術的な障壁が下がれば、
「作れる人」と「作れない人」の差は小さくなっていく。
その代わり、別の差が見えるようになる。
何を作りたいのか。
そしてさらに、
作ったあと、次に何を作りたいと思うのか。
ここはAIが簡単には埋めてくれない。
AIにアイデアを100個出させることはできる。
でも、その100個を見て、
「別にどれも作りたくない」
なら動機にはならない。
アイデアとは単なる文章ではない。
自分が現在の状態と満足できる状態との差を感じ、
「この差を埋めたい」
と思うことなのだと思う。
だから私は、
アイデアは枯渇するものではない。
満足すると消えるものだ。

と考える。
そしてアイデアとは、
満足するための動機である。
AIはアイデアを枯渇させるのではない。
これまで何年もかかっていた「満足」までの距離を、一気に短くしている。
だからこれから見えてくるのは、
「アイデアを持っている人」と、
「満足したあとにも、次に満足したいものを見つけてしまう人」
の違いなのかもしれない。

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