デジタルモールには、場所代がない

音楽配信について考えていたら、妙なことに気づいた。
Spotifyのような巨大配信サービスを「ショッピングモール」だと考えると、今起きていることがかなり分かりやすい。
ただし、リアルのショッピングモールとは決定的に違う。
デジタルモールには、ほとんど場所代がない。


リアルモールには「置ける量」の限界がある

リアルのショッピングモールに店を出そうとすると、当然ながら金がかかる。
テナント料がいる。
内装費がいる。
店員がいる。
在庫を置く倉庫もいる。
そして何より、
売場面積には限界がある。
100平方メートルの店舗に100万種類の商品を並べることはできない。
だから店側は考える。
何を置くか。
何を置かないか。
売れない商品をいつ撤去するか。
限られた棚を何に使うか。
この物理的制約そのものが、ある種の品質管理になっている。
もちろんリアル店舗にも粗悪品はある。
しかし、
「とりあえず100万商品並べて、そのうち10個売れればいい」
という戦略には物理的な限界がある。

デジタルになると棚が消える

ところがデジタルコンテンツになると事情が変わる。
音楽を一つ追加したところで、新しく棚を増築する必要はない。
在庫が腐ることもない。
返品されたCDを保管する必要もない。
実際、デジタル音楽は物理販売と比べ、追加的な保存・流通コストが極めて小さいことが以前から指摘されている。(国会出版物)
そしてオンラインプラットフォームの特徴として、実質的に「無限の棚」を持てることも研究上指摘されてきた。(Wiley Online Library)
これは本来、とても素晴らしいことだった。
地方では手に入らない音楽が聴ける。
廃盤になっていた作品にもアクセスできる。
小さなアーティストにも棚が与えられる。
いわゆるロングテールだ。
ところが、生成コストまで急激に下がってくると、この長所は別の顔を見せ始める。

製造コストまで消えたらどうなる?

仮に、音楽を1000曲作るのに1000万円かかるとする。
当然、誰も気軽に1000曲を市場へ投入しない。
ところがAIによって、
100曲作る。
1000曲作る。
1万曲作る。
ということのコストが急激に小さくなったらどうなるだろう。
さらに、

  • 在庫コストはほぼない

  • 棚面積はほぼ無限

  • 物理物流もない

  • 消費者は定額で聴ける

  • 出品者側もディストリビューター等の費用を払えば大量の商品を市場へ送れる

となる。
デジタルコンテンツが「非競合的で、制作・流通の限界費用が非常に低い」という性質は、プラットフォーム経済の研究でも指摘されている。(スプリンガーリンク)
つまりAIが突然slopを生み出したというより、
無限供給を受け入れられる市場構造が先に存在していて、AIがその限界を可視化した
とも考えられる。

デジタルモールというより「無限フリーマーケット」

こうなるとSpotify型のサービスをショッピングモールと呼ぶのも少し違う気がしてくる。
リアルモールなら出店場所そのものが希少だからだ。
むしろ、
場所代がほぼなく、売場面積無制限で、商品をいくらでも搬入できる常設巨大フリーマーケット
に近い。
そこへ全員が商品を持ってくる。
プロもいる。
趣味の人もいる。
大量生産業者もいる。
AI生成もある。
実験作品もある。
コピーすれすれのものもある。
素晴らしい作品もある。
全部同じ巨大倉庫へ入っていく。
すると今度は、
「何があるか」ではなく「どうやって見つけるか」
が問題になる。
そこで登場するのが推薦アルゴリズムだ。

でもアルゴリズムは品質保証ではない

ここが結構重要だと思う。
推薦された作品は、
「品質が保証された作品」ではない。
単に、そのプラットフォームの評価関数によって、
「あなたが再生しそう」
「離脱しにくそう」
「似たユーザーが聴いている」
などと判断された作品にすぎない。
つまり巨大モールの棚をアルゴリズムが整理してくれているだけだ。
もしモール全体に粗悪品が増えても、
アルゴリズムは、
「最近このモールの商品品質が低下しています」
とは教えてくれない。
むしろ、その中から比較的クリックされるものを引き続き出してくる。
利用者からすると、
モール内部しか見ていなければ、モール全体の品質変化そのものを認識しにくい。
これはちょっと怖い。

じゃあ、モールに行かなければいい

ここで、そもそもの疑問が出てくる。
なぜ音楽を作ったら、この巨大モールへ出品しなければならないのだろう?
別にそんな決まりはない。
音楽には、
ゲームがある。
映像がある。
Web作品がある。
ライブがある。
展示がある。
ダウンロード販売がある。
小さなコミュニティがある。
イベントがある。
即売会的な場所を作ってもいい。
期間限定のオンライン展示でもいい。
それなのに、
音楽を作る → ディストリビューター → DSPへ配信
という流れが、いつの間にか「音楽活動の正規ルート」のようになっている。
しかし、それは音楽そのものの入口ではない。
巨大ストリーミング市場へ商品を並べるための入口にすぎない。

定期市という別のモデル

リアルの世界には面白い仕組みがある。
定期市だ。
毎週日曜日だけ開かれる。
出店者は30組。
一人が使えるスペースは机一つ。
夕方になれば全部撤収する。
効率だけを考えれば巨大モールより圧倒的に不便だ。
でも、その不便さには価値がある。
今日ここにあるものしかない。
だから見る。
話す。
偶然出会う。
来週には別の商品になっている。
これをデジタルでもやればいい。
「今週は100曲だけ」
「参加者50人まで」
「展示期間7日間」
「来月は全作品入れ替え」
「一人3作品まで」
AI時代には、こうした制約が欠点ではなくなる。
むしろ、
誰かが無限の供給から有限個を切り出した
こと自体がサービスになる。

無限時代に希少になるのは「作品」ではない

AIによってコンテンツを無限に近く作れるようになれば、作品そのものの希少性は下がる。
すると逆に希少になるものがある。
人間の時間だ。
1日に聴ける曲数には限界がある。
見られる映像にも限界がある。
遊べるゲームにも限界がある。
つまり供給量が無限になっても、
鑑賞時間は無限にならない。
そうなると価値を持つのは、
「世界最大の1億曲があります」
ではなく、
「今日はこの50曲しかありません」
なのかもしれない。

巨大モールに出店しなくてもいい

モールは便利だ。
欲しいものが決まっていて、無難な商品が欲しいなら、とても便利だ。
同じブランドが全国どこでも買える安心感もある。
でも、
「見たことのないものに出会いたい」
となると話は違う。
知らない作家がいるイベントへ行った方が面白いかもしれない。
小さな店を覗いた方が面白いかもしれない。
誰かが勝手に開催している変な展示の方が面白いかもしれない。
音楽も同じじゃないだろうか。
AI時代の問題を、
「巨大デジタルモールにslopが増えた。どうやってモールを綺麗にしよう?」
だけで考える必要はない。
もう一つ選択肢がある。
そのモールに行かない。
そして別の場所で音楽と出会う。
大量生産技術が完成した時代だからこそ、
巨大常設市場ではなく、
小さな店。
期間限定イベント。
誰かの選んだ棚。
ゲームの中。
映像の中。
知らない人が作った変なWebサイト。
そんな場所の価値が、逆に上がるのかもしれない。
デジタル化によって棚は無限になった。
AIによって商品も無限になろうとしている。
だったら次に必要なのは、
もっと大きなモールではなく、あえて小さな市場を作ることなのかもしれない。

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