「売れるゲームを作れ」の前に、目的を分けた方がいい

個人ゲーム開発の話を見ていると、よくこんな話になる。
「ゲームを作ったけど売れなかった」
「もっとウリを尖らせた方がいい」
「トレーラーを改善した方がいい」
「Steamでウィッシュリストを集めよう」
「売れなきゃ始まらない」
もちろん、それぞれ間違っているわけではない。
でも、そもそも違う仕事を全部「ゲーム開発」という一つの言葉に押し込んでいないだろうか。
自分はこう分けた方が分かりやすいと思う。
作りたいなら開発。
知ってほしいなら認知導線。
売りたいならマーケティング。
食っていきたいなら収益構造。

この4つは似ているようで、目的が違う。
そして重要なのは、下に行くほど偉いわけではないということだ。


作りたいなら開発

ゲームを作りたい。
だったらゲームを作ればいい。
ルールを考える。
システムを実装する。
絵を作る。
音を作る。
UIを作る。
遊んで直す。
ここでの目的は「作ること」だ。
完成して、
「俺が作りたかったのはこれだ」
と思えたなら、その目的については成功している。
それが100万本売れるか、10本しか売れないか、無料公開するか。
それは別の話だ。
ところがゲームの話になると、なぜか売上が作品の成績表として扱われやすい。
売れなかった。
だからゲームに問題がある。
グラフィックが弱い。
UIが弱い。
ゲームシステムが尖っていない。
キャラクターが弱い。
本当にそうだろうか。
誰にも存在を知られていないゲームなら、神ゲーだろうが0本でも不思議ではない。

知ってほしいなら認知導線

ここで初めてゲームの外側の話になる。
作品が存在することと、その存在を誰かが知っていることは別だ。
公開しただけでは知られない。
だから導線が必要になる。
SNSかもしれない。
口コミかもしれない。
イベントかもしれない。
実況かもしれない。
検索かもしれない。
ただ、ここにも最近ややこしい問題がある。
露出と認知が混同されている。
100万インプレッションを取った。
これは100万人に認知されたことを意味しない。
100万人の画面を横切っただけかもしれない。
「AIで一人でAAA級ゲームを作った!」
という投稿が100万回表示されても、
「で、そのゲームなんて名前?」
となったら、認知されたのは作品ではなく「AIですごいことをした投稿」の方だ。
SNSハックは露出を作ることには非常に強い。
しかし、
視界に入ることと、頭に残ることは違う。
本当に作品を知ってほしいなら、
「ああ、あのゲームね」
と作品そのものを想起できるところまで持っていく必要がある。

売りたいならマーケティング

そして「売りたい」となると、また別の仕事になる。
ユーザーは購入前に、
そのゲームが自分にとって面白いか分からない。
遊んでいないのだから当然だ。
だから購入時に判断しているのは「面白さ」そのものではない。
面白そう。
自分に合いそう。
みんな遊んでいる。
好きな実況者がやっていた。
レビューが良い。
このキャラクターが気になる。
この価格なら試してみよう。
そうした代理情報から、
「買ってみるか」
を決めている。
ここを設計するのがマーケティングだ。
だから、
「売れないからゲームをもっと面白くしよう」
は必ずしも正しくない。
認知されていないなら、ゲームを改造してもしょうがない。
ストアまで大量に来ているのに誰も買わないなら、その時初めて別の問題を考えればいい。
ゲーム開発と販売活動は別物だ。
Steamにゲームを出すことだって、単にファイルをアップロードするだけでは終わらない。
ストアページを作る。
トレーラーを作る。
スクリーンショットを作る。
ウィッシュリストを集める。
SNSで告知する。
発売時期を考える。
これらはゲームを作る仕事というより、ゲームを売る仕事だ。
だから、
「ゲームは作りたい。でもウィッシュリスト集めはしたくない」
という人がいても何も矛盾していない。
開発者になりたいことと、マーケターになりたいことは別だからだ。

しかも、売れれば成功でもない

さらに「ゲームで食っていきたい」まで行くと、売上だけでも足りなくなる。
1000万円売れました。
すごい。
でも、その1000万円を売るために1500万円使っていたら?
広告費はいくらだったのか。
外注費はいくらだったのか。
プラットフォーム手数料はいくらなのか。
開発に何年使ったのか。
発売後のサポート費用はいくらなのか。
売上は大きい。
でも赤字。
これは普通にあり得る。
逆に年間100万円しか売れない小さなゲームでも、維持費がほぼゼロで何年も売れ続けるなら、その人の状況によっては意味のある収益源になる。
つまり、
売れたことと、儲かったことも違う。
まして、
売れたことと、継続可能なことはもっと違う。
食っていきたいなら必要なのは「売れるゲーム」だけではなく、収益とコストが継続可能な構造になっていることだ。

「売れなきゃ始まらない」ではない

だから自分は、
「売れなきゃ始まらない」
という言葉には少し違和感がある。
商売として売上が必要なのは当然だ。
でも、その前に人はその作品の存在を知らなければならない。
なら、
「認知されなきゃ始まらない」
の方がまだ正確だと思う。
そして認知された後にも、
知ったけど興味がない。
興味はあるけど買わない。
無料なら遊ぶ。
実況だけ見る。
セールなら買う。
定価でも買う。
買って他人にも薦める。
いくらでも分岐する。
「売れなかった」というのは、この長い経路の最後に出てきた結果にすぎない。
それだけを見て、
「ゲームのウリが弱かった」
と作品を改造し始めるのは、原因分析としてかなり乱暴だ。

売ることは正解ではなく、目的の一つ

ゲームを作る。
人に知ってもらう。
ゲームを売る。
ゲームで生活する。
これらは一直線のレベルアップではない。
別々の目的だ。
無料で100万人に遊ばせたい人がいてもいい。
誰にも知られなくても自分が作りたいゲームを完成させたい人がいてもいい。
1000人くらいに売れれば満足な人もいる。
ゲーム会社を作って何十年も経営したい人もいる。
どれが上でも下でもない。
だから、
作りたいなら開発。
知ってほしいなら認知導線。
売りたいならマーケティング。
食っていきたいなら収益構造。

まず、自分がどれをやりたいのかを決めればいい。
「売れるゲームを作る」が唯一の正解になった瞬間、ゲーム開発はいつの間にか、
ゲームを作る仕事ではなく、ゲームを売るための仕事
へ変わってしまう。
売ることを目的にするなら、それでいい。
でも、売ることを目的にしていない人まで、そこへ行く必要はない。
売上は創作の成績表ではない。
それは販売という別の活動から生まれた、一つの結果にすぎない。

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