「ゲームを売るには面白さを伝えろ」なら、ぜひ囲碁・将棋界に教えてあげてほしい
ゲームを売る方法について調べていると、よくこんな話を見る。
「ゲームを売るには、そのゲームの面白さを伝えることが重要だ」
なるほど。
確かに間違ってはいないように聞こえる。
面白いゲームを作る。
その面白さが伝わる動画を作る。
面白そうに見せる。
興味を持ってもらう。
購入してもらう。
綺麗な流れだ。
ただ、これを見るたびに少し思う。
それ、本当に「ゲームの面白さ」の話なんだろうか。
もし「面白いゲームなら、その面白さを伝えることで人を呼べる」という技術が確立されているのであれば、ぜひその方法を、
囲碁界や将棋界にもレクチャーしてあげてほしい。
たぶん結構喜ばれると思う。
囲碁を30秒で「面白そう」にしてください
囲碁はかなり長い歴史を持つゲームだ。
今でもプロが存在し、大会が開催され、研究が続いている。
これほど長期間遊ばれているゲームなのだから、
「売れたゲームは面白い」
という論理を採用するなら、少なくとも相当な面白さを持つゲームということになるだろう。
では、その面白さを初心者に伝えてみよう。
盤を置く。
黒石を置く。
白石を置く。
また黒石を置く。
また白石を置く。
初心者:
「……何が起きてるんですか?」
経験者なら違う。
「そこに打つのか!」
「そっちを捨てるの?」
「ここを受けない?」
盤面を見ただけで大量の情報を読み取れる。
ところが初心者には、その情報がまだ存在していない。
同じ盤面を見ているのに、見えているゲームが違う。
さて。
ここからTikTokの3秒フックで、
「うわ! 囲碁めちゃくちゃ面白そう! 今すぐやりたい!」
まで持っていくにはどうすればいいのだろう。
ぜひ「ゲームの面白さを伝える技術」を使って実演してほしい。
将棋でもいい
将棋でもいい。
盤があります。
駒があります。
交互に動かします。
王を詰ませたら勝ちです。
これだけなら、それほど派手なゲームには見えない。
もちろん将棋には、
駒の働き。
読み合い。
戦型。
手筋。
持ち駒。
詰み。
攻めと受け。
形勢判断。
膨大な構造が存在する。
でも、それらを理解していない人に、
「ほら、ここが面白いでしょう?」
と言っても分からない。
面白さが存在しないからではない。
面白さを知覚するために、ある程度の経験や理解が必要だからだ。
これはかなり重要なことだと思う。
「面白い」と「面白そう」は同じではない
ここで妙なことが起きる。
囲碁を面白そうに紹介しようとして、
「千年以上の歴史があります!」
「世界中で遊ばれています!」
「プロ棋士が存在します!」
「世界最高峰の頭脳ゲーム!」
「AI研究でも重要な舞台になりました!」
などと言い始めたとする。
それは囲碁の面白さだろうか。
違う。
権威、歴史、実績、社会的証明、物語を使って期待を形成している。
つまりマーケティングだ。
将棋なら、
「藤井聡太が!」
「タイトル戦が!」
「天才棋士たちが!」
という話もできる。
これもゲームシステムそのものの面白さではない。
それを見た人に、
「なんか凄いゲームらしい」
と思わせるための文脈だ。
別に悪いことではない。
むしろ非常に有効だろう。
ただ、それなら素直に、
マーケティングが重要です
と言えばいい。
面白さはゲームの中に固定値として入っているのか
そもそも「面白さ」というものを、ゲーム内部に存在する性能値のように扱うこと自体が少し怪しい。
囲碁初心者が盤面を見る。
「???」
囲碁経験者が同じ盤面を見る。
「うわ、そこに打つのか!」
盤面は変わっていない。
ゲームのプログラムも変わっていない。
ルールも変わっていない。
変わったのは、
プレイヤー側だ。
知識が増えた。
経験が増えた。
盤面から読み取れる情報が増えた。
選択肢の意味が分かるようになった。
その結果、以前は何も感じなかった一手に興奮するようになる。
なら、
面白さはゲームの中に入っていて、それを広告で取り出して見せればいい
というほど単純ではない。
ゲームは構造を提供する。
人間がそれを体験する。
その関係の中で「面白い」という感覚が発生する。
少なくとも囲碁や将棋を見る限り、その方が自然に思える。
「面白そうに見せる」は別の技術では?
もちろん商業ゲームなら、
「面白そうに見せる」
ことは重要だ。
知られなければ買われない。
興味を持たれなければストアページも開かれない。
購入する理由がなければ購入されない。
だからトレーラーを作る。
スクリーンショットを選ぶ。
キャッチコピーを書く。
実況者に触れてもらう。
レビューを集める。
SNSで発信する。
それ自体は何もおかしくない。
ただし、それは、
ゲームを面白くする技術
とは別だ。
ゲームのどこを切り取るか。
どんな順番で見せるか。
何を強調するか。
誰に届けるか。
どんな文脈を与えるか。
どんな期待を形成するか。
これはむしろ、
マーケティングの技術だ。
「面白さを伝えれば売れる」なら困っていない
もし本当に、
面白いゲームを作る
↓
その面白さを正しく伝える
↓
売れる
という再現可能な方法があるなら、ゲーム業界だけで使うのはもったいない。
囲碁。
将棋。
チェス。
その他、長い歴史を持ちながら新規参加者の獲得に苦労している競技や遊び。
そこにはすでに何十年、何百年、場合によっては千年以上、人を惹きつけてきたゲーム構造が存在する。
なら後は、
「その面白さを伝えるだけ」
ではないだろうか。
ぜひレクチャーしてあげてほしい。
たぶん、
「そう簡単じゃないんですよ」
という話になると思う。
そう。
そう簡単じゃない。
だからこそ、
「ゲームを売るには面白さを伝えることが重要です」
という言葉だけでは、ほとんど何も説明していない。
面白さではなく、目的を分ける
以前から考えている整理がある。
作りたいなら開発。
知ってほしいなら認知導線。
売りたいならマーケティング。
食っていきたいなら収益構造。
そして今回もう一つ加えるなら、
面白いかどうかは、体験した人が決める。
開発者が作れるのはゲームだ。
マーケターが作れるのは、認知や期待や購入への導線だ。
市場が作れるのは、人気や評判や流行だ。
でも、
「私はこれを面白いと感じた」
というところまで市場に決めてもらう必要はない。
じゃんけんは何本売れたのだろう
極端なことを言えば、じゃんけんもゲームだ。
世界中で知られている。
子供でも遊べる。
何世代にもわたって遊ばれている。
今後もたぶん残る。
では、
じゃんけんは何本売れたのだろう。
0本かもしれない。
それでも世界的なゲームだ。
囲碁も将棋もチェスも、ゲームそのものと商品としての盤・駒は別物だ。
ここまで考えると、
ゲームが遊ばれること
と、
商品が売れること
すら同じではないことが分かる。
まして、
売れること=面白いこと
ではない。
ゲームを商品として売りたいなら、マーケティングを考えればいい。
それは立派な技術だ。
だからこそ、わざわざそれを、
「面白さを伝える技術」
と呼んでゲームデザインの中へ戻さなくてもいいのではないだろうか。
面白そうに見せる。
興味を持たせる。
価値を感じさせる。
購入したくさせる。
それにはちゃんと名前がある。
マーケティングだ。
そしてもし、
「いや、面白いものなら、その面白さをちゃんと伝えれば人は来る」
という確かな方法を知っているのであれば――
ぜひ一度、
囲碁と将棋で実演してほしい。
結構本気で見てみたい。
