真面目、お腹いっぱい|note向いてないと思った話
文章を書き終えて、読み返す。
……真面目だなあ。
noteとか、そもそも文書出すの向いてないんじゃない?
ひとつひとつの言葉は間違っていない。
ちゃんと意味も通っている。
誰かを傷つけないように、言い過ぎないように、丁寧に並べてある。
でも、なんだろう。
お腹いっぱい。
文章を書いていると、どうしてもこうなる。
誰かに届けようと思えば思うほど、言葉を慎重に選ぶ。
そして自分の言葉じゃないような違和感すらある。
これは言いすぎかな。
具体的すぎるかな。
誰かが嫌な気持ちにならないかな。
ちゃんと伝わるかな。
そうやってひとつずつ確認しているうちに、文章からどんどん角がなくなっていく。
そして最後には、まあ、なんともソレらしい文章ができあがる。
たいそうな感じ。
抽象的。
感じがいい。
……でも、誰?
普段のわたしは、そんなに立派じゃない。
くだらないことで笑うし、どうでもいいことを考えるし、しょうもない話を延々としていることもある。
なのに文章になると、急にお堅い?重たい印象。
初対面の人と話すときだって、たぶん似ている。
嫌われないように。
変な人だと思われないように。
失礼のないように。
そうしていると、いつの間にか「感じのいい人」にはなれても、「なんかこの人、おもしろいな」にはなれない。
たぶん、わたしはそういう人に憧れている。
話しているだけで、なんだか笑ってしまう人。
言葉の選び方がちょっと変な人。
どうしてそんなこと思いつくの、ということを平気な顔で言う人。
ちゃんとしていないわけじゃないのに、懐にするっと入っていて、どこか力が抜けている人。
そういう人を見ると、いいなあ、と思う。
わたしも、あんなふうだったら面白いのにな。
……なんて思う。
でも、その「面白い人になりたい」という気持ちさえ、わたしは真面目に叶えようとしてしまう。
面白い人になるには。
ユーモアのある文章を書くには。
なんて調べ始めたら、もう終わりだ。
また真面目な文章ができあがる。
だから、真面目を認めて諦めてみる
面白くならなくていい。
ふざけられるようにならなくてもいい。
ただ、そういう人に憧れている自分がいる。
それだけは、認めてあげようと思う。
「いいなあ」って思う自分も、
「わたしもそうなれたらな」って思う自分も。
とりあえず、そのままで。
もしかしたら、今日書いたこの真面目な文章だって、
そんな人への憧れを、わたしなりに真面目に書いてしまった結果なのかもしれない。
……やっぱり、お腹いっぱい 笑
きっと明日も車通りのない道の赤信号を守って、レジではバーコードを上にして、人の会話の切れ目を待って、生きる。
そんなのもいいじゃない。
