京都に住む私が、京都に泊まってみる⑥
午後からは、智積院宝物館へ向かった。
まだ出来て3年ほどの新しい建物で、とても綺麗だ。
ここでは、長谷川等伯の国宝「楓図」、長谷川久蔵の「桜図」をはじめとする、金碧障壁画を見ることができる。
金色を背景に、鮮やかな色彩で描かれた花や木々。
その絢爛豪華な美しさに、私は思わず息をのんだ。
椅子に座って、しばらくじっと眺めていた。
これらの障壁画は、豊臣秀吉が、幼くして亡くなった息子・鶴松の弔いのために建てた「祥雲寺」を飾るために描かれたものだという。
鶴松は、わずか3歳で亡くなった。
400年以上も昔のことなのに、目の前の絵を眺めていると、秀吉がどれほど息子を愛していたのか、その気持ちが伝わってくるような気がして、胸が詰まった。
こんなに豪華な絵を描かせたのも、亡くなった息子のためだったのだ。
人の命は短い。
けれど、そこに込められた思いは、こうして何百年もの時を越えて残ることがある。
素晴らしい芸術って、永遠に残るものなんだな。
そして、もしかしたら、愛も永遠に残るものなのかもしれない。
そんなことを考えながら、宝物館を後にした。
次に向かったのは、名勝庭園。
「利休好みの庭園」ともいわれる庭で、中国の仏教の聖地・廬山をかたどった築山泉水式庭園の先駆としても貴重なものだという。
大書院の華やかな障壁画と、縁側の下まで入り込む池。
眺めているだけで、なんとも贅沢な気持ちになる。
私は畳に座った。
そして、何をするでもなく、ただ庭を眺めた。
考えるのをやめて、心を無にする。
聞こえてくるのは、セミの鳴き声。
そして、時々、池の鯉が泳ぐ音。
それだけだった。
さっきまで宝物館で、何百年も昔の人の愛について考えていたのに、今度は目の前の庭を眺めながら、何も考えない。
そんな時間が、とても心地よかった。
京都に住んでいると、こういう場所は「いつでも行ける場所」になってしまう。
でも、泊まってみると違う。
時間に追われることなく、庭の前に座っていられる。
「そろそろ帰らなくちゃ」と思わなくていい。
ただ、セミの声を聞きながら、池を眺めている。
それだけで、十分に旅をしている気分になった。
