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行雲流水

【#c2w_ACCEPTANCE――Human Bug Report】
人は、自分の人生には流れを受け入れられるのに、世界の流れは受け入れられない。

今、世界が荒れている

私は、座右の銘を「行雲流水」としていた時期がある。
必要はない。
しかし、時に座右の銘を求められるのである。

雲のように流れ、水のように流れる。
人生を表す、美しい四字熟語だと思っていた。

しかし、この言葉はもともと人生論ではない。
北宋の文人・蘇軾が、友人へ宛てた手紙に記した文章論だった。

良い文章とは、無理に飾るものではない。
雲や水のように、自然に流れ出るものだ。
それが長い時を経て、生き方そのものを表す言葉になった。

北宋。
蘇軾(そしょく)が生きた北宋は、文化と経済が世界屈指の繁栄を誇った時代だった。

だが、その外には遼、西夏、高麗といった国々が並び立ち、均衡の上に平和が成り立っていた。
国はそれぞれ異なる部族が建国していた。
当時は民族意識は薄かったと言われている。

漢民族
契丹族
女真族 ※後の清国、満州国を建国
モンゴル族
タングート族

異なる部族であるが、後世の調査ではDNA的には殆ど違いがみられない。
生活様式の違いだけである。
各民族は時代と共に同化した。
不思議と現代では、過剰に意識する様になっている。
今の中国は漢民族が中心と言う論法があるが、的外れなのである。

当時の蘇軾は、時代の流れに翻弄される。

改革をめぐる政争。
左遷。
投獄。
思うようにならない人生。

それでも彼は書き続けた。
流れを恨むのではなく、その流れの中で自分にできることを選び続けた。

「行雲流水」は現実を受け入れる強さの言葉なのだと思う。

ところが、国家は違った。

保守派の蘇軾が無くなった数十年後。
北宋は、自国では倒せない宿敵・遼を倒すため、新興勢力の金と手を組んだ。
遼は滅んだ。
だが、その金が北宋を滅ぼした。

北宋から生き残った南宋は、
金を倒すため、今度はモンゴルと手を組む。
金は滅んだ。

そして、そのモンゴルが南宋を滅ぼした。

宋と言う国は、
奇しくも二度、同じパターンで滅んだ。
金を滅ぼさなければ、南宋は残ったかも知れない。

もちろん歴史は、これほど単純ではない。
ただ、この流れを見ていると、一つのことを考えさせられる。

人は、自分の人生には「なるようになる」と言える。
失敗しても、「これも人生だ」と受け入れようとする。

組織になると違う。
大衆になると違う。
国家になると違う。
世界そのものを、都合のいい形へ変えられると思ってしまう。

歴史は、その思い込みを何度も裏切ってきた。

■ 猫は川のごとく

人間は、流れる川を見て言う。

「逆らわないほうがいい。」

でも、その同じ人間が地図を広げると、

「この国がなくなれば平和になる。」

と言い始める。

猫には、その違いがよく分からない。
流れは、川も歴史も、そんなに変わらない。

【デバッガー所感】

人は「解決」を好む。
問題を消せば、安心できるからだ。

しかし現実には、多くの問題は消えていない。

姿を変えているだけである。
会社でもそうだ。
担当者を替えれば終わりではない。
部署をなくせば終わりでもない。

世界は、空白を嫌う。
一つの力が消えれば、別の力がそこを埋める。
均衡は、形を変えながら続いていく。

だから本当に必要なのは、「敵をなくす方法」ではなく、「変化した後の流れを読む力」なのだろう。

蘇軾は、自分では変えられない人生の流れを受け入れた。
国家は、変えられない歴史の流れを変えようとした。

人間は、自分の人生では自然を受け入れられる。
集団になると、その自然の流れに勝てると思ってしまうことなのかもしれない。

行雲流水。

蘇軾(そしょく) 生没年:1037–1101

北宋を代表する文人で、詩・詞・散文・書・画に秀で、政治的挫折と流謫の経験を通じて独自の思想と文体を確立。

科挙に合格して官界に入り、改革派の王安石の新法をめぐる党争に関与。
何度も左遷・流謫を受けた。
黄州・惠州・儋州などでの流寓期に代表作を多く残した。

蘇軾は保守的な考えであり、時間をかけた改革を目指した。

この時代以前、諸葛孔明の戦略「天下三分の計」は宋国には取り入れられなかった事になる。