商業音楽を巨視的観点から俯瞰してみた(妄想)
個人的な意見ですが、音楽の革命的な発展ってもうないんじゃないか、と。
今ある音楽って平均律という音の分割方法で作られています。
歴史の必然性という観点から平均律で作られた音楽は対位法から和声法の作曲方法に移行します。
和声が発達すると自然にそうなります(暴論)。
さらに平均律の発明すら音律学的に必然性があると思います(演奏の簡易化と転調の獲得)(妄想)。
平均律で機能和声に基づく作曲というのは、時代的に対位法の職人バッハ達が新しいこの作曲法が登場した途端に完成させてしまいました(多分)。
その後クラシック音楽は全てこの和声法で作曲されました(嘘)。
作曲方法の例外は、唯一別のルートで発生したブルース音楽だけ。
クラシック音楽が技巧的に頂点に達したのがロマン派の時代。
その後、和声進行を重視して分散和音の様式化と和声の拡張で作曲を始めたのがジャズのビバップの人たち。
今までのメロディー重視の水平的アプローチから超高速でコードを分解していくコード重視の垂直的アプローチを発明。
この作曲方法も発明と同時にテクニカルな頂点に到達してしまいます。
ここから譜面に書ける再現可能な音楽というのは発展していません。
生身の人間によるアコースティックな音楽は後期ロマン派〜近代までのクラシックとビバップで極限に到達してしまいました。
AIにその後にどんな作曲方法の革命があったか尋ねてみましたが、どれも音響工学的な発展を示すばかり。
例えばジミ・ヘンドリックスの登場。
あの人は天才だったけど、やった事の本質は古いブルースのアレンジと楽器の電気化。
(ディスりじゃ有りません、尊過ぎて無理)
やっぱりビバップ以降に音楽のフォーマットって発展していない。
モードジャズとか色々な試みはありましたが、好きな人だけが聴く音楽という感じ。
それにモードジャズは教会旋法の焼き直しです(偏見)。
もし、これから革命的な音楽の変化が起こったとして、この平均律に慣らされた耳はその良さが理解出来るんでしょうか。
もうムリですかね、、。
以上です。
これは備忘録です。
日常耳にする商業的音楽の様式に対する個人的な妄想と感想です。
リズムに関する話は機会が有れば投稿します。
