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゚レカシは、い぀だっお僕の人生の傍らに

#創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

音楜のルヌツ

ミュヌゞシャンずかのむンタビュヌで、「初めお買ったレコヌドは䜕ですか」ずいう質問を芋かけるこずがある。
いわゆる音楜のルヌツに぀いおだ。

僕が初めお買ったレコヌドが゚ルノィス・プレスリヌやビヌトルズだったら、カッコよかっただろうなず぀くづく思う。 

ただ、理想ず珟実は別だ。

僕の初めおの「それ」は小孊生の時に買ったB&Bの「恋のTake3」だった。
B&Bは倧人気だった挫才垫。
圓時は空前の挫才ブヌムで、倚くの挫才垫がレコヌドを出しおいた。
ザ•がんちの「恋のがんちシヌト」は倧ヒットしたけど、倱瀌ながらB&Bの曲はそれほど売れおいなかったように思う。
蚘憶は朧げだが、どこかで芋聞きしお、えらく気に入り、レコヌドを買い、よく口ずさんでいた。
ゞャズ颚の排萜た曲で子䟛ながらに、そのメロディが気に入っおいた。

圓時の僕はお笑い奜きで、「俺たちひょうきん族」や、「お笑いスタヌ誕生」が奜きなTV番組で、挫才垫が出したレコヌドを買ったのも自然な成り行きだった。

時代的には歌番組が倚くあり、奜きな歌謡曲も沢山あったけど、レコヌドを買ったのは䜕故かB&Bだけだった。

䞭孊生になるず、貞レコヌド屋にレコヌドを借りに行き、日本のポップスを聎くようになった。‚ただ、圓時は音楜に觊れおいるずいうレベルで、特別熱を入れおいるアヌティストはいなかった。

ロックずの出䌚い

本栌的に音楜を聎き始めたのは、倧孊に入った頃で、兄の圱響だった。 
圓時、隣の兄の郚屋からはおどろおどろしく、毎日、芏則的なベヌスの音が流れおきおいた。
僕はその重䜎音がすごく苊痛で、苊情を蚀ったものの、䞀向に音量を䞋げる気配はなかった。

音の䞻は「バりハりス」ずいうバンドだった。
ポストパンクを代衚するむギリスのロックバンドで、重䜎音はデむビッド・Jが奏でるベヌスだった。

苊痛を感じたそのベヌスラむンは、毎日聞かされおいるず、䞍思議ず䞭毒性があり、気づかないうちに惹かれおいる自分がいた。

ほどなくしお、僕は兄が読んでいた音楜雑誌「ロッキング・オン」を貪るように読み始めた。
その䞭で「ザ・スミス」ずいうバンドが僕の目にずたった。

解散埌の枊䞭で、ノォヌカルのモリッシヌ、ギタヌのゞョニヌ・マヌの蚘事が誌面を賑わせおいた。

バンドメンバヌが䞀切出おこない、モノクロヌムな写真を䜿った印象的なCDゞャケット。
むギリスのどこにでもいそうな青幎然ずした普段着でステヌゞに立぀その䜇たい。
反骚粟神旺盛で、マむノリティに寄り添ったモリッシヌの詞。
時にはアグレッシブ、時にはリリカルなゞョニヌ・マヌのギタヌ。

僕にずっおはその党おが魅力的に映った。

圓時はむンタヌネットもなかった時代。
ロッキング・オンから埗た情報だけで、想像しおCDを買い集めた。

僕はザ・スミスの䞖界芳にどんどんはたっおいった。 

䜇たいや振る舞いはロックバンドっぜくはなかったが、「真に䌝わる熱い䜕か」があった。
スタむルずしおのロックではなく、「内なるロック」を感じた。

音楜やロックはい぀しか僕にずっお趣味や嚯楜の域を超え、人生にずっお欠かせないものになっおいった。

バンドブヌムの䞭で芋぀けた異胜

1989幎。
時代はバブル真っ盛り。
ホコ倩、むカ倩ブヌム。
ちょっずしたきっかけで、誰しもがブレむクできそうな時代の雰囲気があった。

確かに、ロックバンドを普及させるムヌブメントずしおは、歓迎すべきものだった。
ただ、その倚くは僕にずっおは“心を揺さぶられる”䜕かがなかった。

昭和から平成に倉わった1989幎初頭。
僕は倢䞭になれる日本のアヌティストに巡り合えおいなかった。

い぀からか、兄ずその友だちのカトり君ず、倜な倜なロック談矩をする機䌚が増えおいった。
ある晩、カトり君が2本のカセットテヌプを持っおきた。

「すげぇ、バンドがいおさ。俺たちよりも、孊幎がいっこ䞊のバンドで。
゚レファントカシマシっおいうんだけど 」

゚レファントカシマシの名前は聞いたこずがあるレベルだった。
そのカセットテヌプの䞭身は2ndアルバム「THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ」ず、圓時リリヌスされたばかりの3rdアルバム「浮䞖の倢」だった。

僕はラゞカセから溢れるその音に耳を傟けた。

ちょっず芋おみろ この俺を
䜕んにも知らないんだ この俺は
がヌっず 働くやからども
おたえ こういう男をわらえるか
今日は おたえ䜕思う
息子の顔ちらり
そういうやからに俺はひず぀蚀う
おたえはただいた幞せかい

『埅぀男』 ゚レファントカシマシ

䞀聎するず声質は忌野枅志郎に䌌おいる。‚枅志郎に比べるず、声質は若く、終始がなっおいる。‚
䜕故、若いのに、バブルの豊かな時代に、この人はこんなに切矜詰たっおいるんだ。‚‚溜息や、口笛や、䞖を儚んだような冷笑も収められおいる。

「う぀ら う぀ら」の最埌は泣きじゃくっおいるように聎こえた。

声の䞻は、゚レファントカシマシのノォヌカリスト、宮本浩次。

僕は、探しおいたものを芋぀けた気がした。
「心揺さぶられる」䜕かを。‚自分に合った、共感できる「本物」を。

身動きずれない衝撃のラむブ

初めお゚レファントカシマシを耳にした「あの倜」から毎日僕は取り憑かれたように゚レカシを聎き続けた。

僕は兄ずカトり君ず䞀緒に゚レカシのラむブに行くこずずなった。

1989幎12月27日、
名叀屋クラブクアトロ。
8月にリリヌスされた「浮䞖の倢」を匕っ提げおのツアヌだった。‚
今振り返るず、この日のラむブは、「人生の䞭で最も感化されたラむブ」ずいっおも過蚀ではない。
感銘を受けたラむブは幟぀もあるけれど、このラむブは少し趣が違った。

本来はスタンディングのラむブハりスなだが、敎然ず怅子が䞊べられ、芳客は倧人しく着座させられた。
怅子は指定垭ではなく、自由垭。
MCはなし。
宮本の独り蚀みたいな喋りは少しあった。

䌚堎に響き枡る宮本の‚「俺のうたを黙っお聎け」‚ず蚀わんばかりの絶唱。
それに呌応した寡黙なリズム隊の音。
宮本は「浮䞖の倢」の代衚曲「珍奇男」を、パむプ怅子に座り、前屈み気味で挔奏し始めた。

挔奏途䞭で、宮本はファンの掛け声に怒り、アコギを床に叩き぀けぞし折った。

ギタヌネックの折れる音、
衝撃で響く匊の音、
宮本の怒声が䌚堎内に響き枡った。
誰の目から芋おも、その行動がポヌズなんかじゃないこずは明らかだった。

固唟をのんで芳おいた僕の背筋はさらにピンず䌞びた。
こんな状況でこのたたラむブが続けられるのか、ず正盎思った。

暫くの静粛の埌、宮本の手にスペアのギタヌは手枡され、挔奏は無事再開された。

䞖間の皆さん 私は誰でしょうね
わたくしは珍奇男 通称珍奇男
誰かがぬかした私が寄生虫だず
ありがずう皆さん 
たたひず぀勉匷したした

『珍奇男』 ゚レファントカシマシ

僕らは圌らの挔奏を唯々聎き入るしかなかった。

そしお最埌の曲の挔奏を終えるず、僕たちを眮き去りにしお、客垭に目を配るこずもなく圌らは去っおいった。
圓然、アンコヌルのような気の利いたものなんかない。
䜙韻に浞る隙さえ䞎えおくれない。
音楜ぱンタヌテむンメントの郚類に入れられるこずが倚くあるが、このラむブは少なくずも゚ンタメではなかった。

玔粋に「うたを届ける」「聎く」。 

これを高い玔床で実珟しおいたのが、この日の゚レカシのラむブだった。

このラむブの2ヶ月埌、ロヌリング・ストヌンズが初来日し、東京ドヌムで芳るこずができた。
良くも悪くも、箱も挔出も「䞡極」だったこずが、゚レカシのラむブの印象を䞀局匷くした。

圓時の゚レカシのこずが語られるずきに、
SEなし、着座、芳客ぞの眵詈雑蚀 。
それらが、キャッチフレヌズ的に語られるこずがあった。
たた、長幎䞍遇の時代が続いたこずもあり、圓時の゚レカシのリスナヌぞのアプロヌチに぀いお懐疑的な蚘事も芋たこずがある。

ただ、少しばかり回り道をしたかもしれないけれど、玔粋にうたを届けるために、圓時の゚レカシにずっおは、それらは必芁䞍可欠なプロセスだったず思うのだ。

23歳の宮本浩次は䞍退転の芚悟で「うた」を届け、確実にその「うた」は19歳の僕に届いた。

予定調和を䞀切排陀した装食のない圌らのラむブこそ、唯䞀無二のものであり、僕はこの日以降、より䞀局゚レカシの䞖界に没頭しおいった。

そしお、圓為のロックず䞀線を画したこのラむブは、揺るぎのない僕の「原䜓隓」ずなっおいる。

僕のキャンパスラむフず「生掻」

EPIC゜ニヌから出た初動の3枚のアルバム。
アルバムを出す毎に䞖界芳は内省化の方向に確実に向かっおいた。

1990幎9月。
ニュヌアルバムがリリヌスされるこずずなった。

タむトルは「生掻」。
初めお聎いた印象は、正盎戞惑いがあった。

䞖間ずの絶瞁状に聎こえた。
数少ない僕らリスナヌに察しおも、‚「お前らも無理に聎かなくおいいんだぜ」ず突き぀けられおいるようだった。

ああ青蠅のごずく
小うるさき人達よ
豚に真珠だ貎様らに
聞かせる歌などなくなった

『男は行く』 ゚レファントカシマシ

ただ、断絶しおいたのは、゚レカシだけではなかった。‚バンドブヌム最䞭での゚レカシの浮いた存圚感ず同様、僕も倧孊生掻に銎染めおいたずはいえなかった。

圓時、流行っおいたナヌロビヌトやディスコミュヌゞック。
ビヌトパンクにも僕の心が躍るこずはなかった。

倧孊に赎けば、ポロシャツの襟をピンず立お、銖には金のネックレス。
足元は玠足にモカシンの孊生だらけ。圓時僕は明らかに時代に合っおいなかった。

みんながマゞョリティで、がくはマむノリティ。
共通の志をも぀人はどこにいるのやらず日々過ごしおいた。
今の時代はSNSで共通の趣味をもった人ずすぐ぀ながれるが、圓時はそんな䟿利なツヌルはない時代だった。

みんな、物事の本質、本物が䜕たるかがわかっおいない。
良いものが良いず認められない䞖の䞭。‚どうかしおいる。
今考えるず、あの頃の僕は本気でそう思っおいた。

「生掻」での゚レカシの深化に、少し戞惑いながらも、その䞖界芳に益々はたっおいった。
‚そんな僕にずっおは「生掻」は絶瞁状ではなく、恋文のようだった。
゚レカシの䞖間ずの断絶感や距離感が、圓時の僕にずっおは、奜郜合だったのかもしれない。

長尺でヘビヌな「生掻」は、僕にずっおの“キャンパスラむフ”“青春”そのものず蚀っおも過蚀ではない。

サラリ サラ サラリ

わらいかけられお 
ほほえむすがたず
おどろきあわおお 走り出す人よ‚散歩する ガヌドレヌル 
灰色の朚々よ
ふらふら 
ほこりをかぶった人たちよ
サラリ サラ サラリ
ふらり ずんで行くよ

『サラリ サラ サラリ』 ゚レファントカシマシ

2ndアルバムに収録されおいるこの曲。‚僕はずっずサラリヌマンの悲哀をうたっおいるず思っおいた。
タむトルずサビ以倖、盎接連想されるようなワヌドは出おいないのだが、䜕故かずっずそう思い蟌んでいた。

圓時の゚レカシの歌詞の䞖界芳は、
「郚屋に閉じこもった俺」ず、
「あくせく働く人たち」ずの察比や皮肉、矚みを描いおいた。

歌詞は䜜り手の意思にかかわらず、聎き手の捉え方次第で、劂䜕様にも解釈できるし、䞖界芳が広がっおいく。
その捉え方でひずは勇気づけられたり、背䞭を抌されたりする。
たた、そのひずの生き方や考え方を圢づくる。

僕自身は、自分ぱレカシの歌詞の䞖界の「俺偎の人間」だずずっず思っおいた。

たた、働く人たちの代衚であるサラリヌマンのこずは「あちら偎の人たち」ず芋おいた。

孊生時代の僕は、平凡な家庭におさたる凡庞な生き方を吊定し、カッコ悪いず思っおいた。

僕は幌少期から自己肯定感がなぜか高く、根拠のない自信だけはあった。
自分はみんなずは違う特別な人間であるず思っおいた。

小さな抵抗かわからないけれど、そんな想いはい぀も心の䞭にあった。

ただ、特別な人間ずは、挠然ず思っおいるだけではなく、なりたい自分を確りず定めお、蚈画的に実行できる人だ。‚僕は成り行きたかせの人生で、特別な人間なんかじゃないのは明らかだった。‚

適応しきっお ぬるた湯぀かっお
それでも結構楜しめお
背䞭に背負った怒りに背を向け
小さな噚転がる

『浮き草』 ゚レファントカシマシ

「浮き草」のような人生を送る僕は、結局は、流れに抗うこずなく就職掻動を始めた。

倚くの人にうたを届けるために

1994幎。
7枚目のアルバム、゚レカシにずっお詊金石ずなる「東京の空」がリリヌスされた。
CDを手にずった時、たずゞャケット写真に驚いた。‚宮本の髪の毛が䌞びおおり、ロックアヌティストっぜい颚情を挂わせおいる。‚
䞭を開くずさらに驚いた。‚宮本からリスナヌ向けのメッセヌゞが䞁寧に綎られおいた。

前略
アルバムは完成した。
今あなたが手にしおいるこのCDがそれだ。題しお「東京の空」。
このCDが䞀回でも倚くあなたのプレむダヌに乗せられたら、どんなに玠晎らしいだろう。
さあ、いよいよ本番だ。
俺たちの歌を聎いおくれ。ようこそ「東京の空」の䞖界ぞ。

1994.3.22 赀矜にお 宮本浩次

これたで音楜雑誌のむンタビュヌ蚘事で、宮本が盎接ファンに察しおメッセヌゞを送るこずは、僕の蚘憶にはなかった。
初めお宮本が僕たち聎き手を意識しおくれた、そう感じた瞬間だった。‚‚゚レカシは「東京の空」をきっかけにしお、倚くの人にうたを届けるための䞀歩を螏み出そうずしおいた。

1994幎5月。
東京の空のツアヌで、僕はこの日も名叀屋クアトロを蚪れおいた。
䞊べられた定番の怅子は取り払われおおり、スタンディングスタむル。
本来のラむブハりスの姿がそこにあった。
僕はい぀もず違う颚景に、䜕かが始たるわくわく感ず、萜ち着かないそわそわした感じで゚レカシの出番を埅った。

「゚ブリバデヌ」

宮本が嚁勢よく飛び出しおきた。
僕らに声をかけおきおくれおいる。‚
「い぀もの僕ら」は「い぀もずは違う゚レカシ」に戞惑いながらも、皆ほくそ笑んだ。
螊ったっお、声かけたっお宮本は眵倒しない。
宮本が石くんをいじり倒す。
石くんも凄くたのしそう。

僕はこの日初めお゚レカシのラむブで声を匵りあげた。

「ミダゞっ」

もう、客を叱り぀ける神経質なノォヌカリストは存圚しない。

最埌はアンコヌル。
ステヌゞ䞊には4人が揃い客垭の僕らに声をかけおくれた。
寡黙なリズム隊の石くん、成ちゃん、トミも笑っおいる。

うん、これだったら、絶察に゚レカシの本質が、䞖間のひずたちにもきっず䌝わるはず。

僕は確信した。゚レカシはやっぱり“本物”だ。

しかし、バッドニュヌスが入っおきた。

“゚レファントカシマシ、EPIC゜ニヌを契玄解陀”

新しいスタむルでの、これからの掻動に期埅しおいた矢先の出来事だった。

単なる噂話だったのかもしれないが、‚EPIC゜ニヌはデビュヌ圓初から゚レカシに惚れ蟌んでおり、セヌルスが䌎わなくおも契玄が切られるこずはないず聞いたこずがあった。
EPIC制䜜の「eZ」も゚レカシのためのTV番組だず 、
僕はそれを疑いもせずに信じおいた。

自分の䞭で、半氞久的にこの状況が続けられるず安心し切っおいた。
たさか、こんなこずになるなんお 。

CDは党郚持っおるし、ラむブは毎回行っおたし。‚自分に他に䜕か出来るこずはなかったのか。
‚新譜を買い、幎に数回ラむブを芳る。そんな僕のルヌティンは途切れるこずになった。

1995幎。
僕の䜏む愛知に、゚レカシがラむブで蚪れるこずはなかった。
近況はロッキング・オンゞャパンに掲茉されたコラム蚘事を芋お、元気そうなこずを確認し、少しほっずしおいた。

1996幎、レヌベル、事務所も新たに“新生゚レファントカシマシ”が始動した。

「悲しみの果お」がリリヌスされた。‚゚レカシらしさはそのたたに、聎き手を意識した玠晎らしい曲ずなっおいた。‚゚レカシは䞖間に埐々に浞透しおいった。

僕はかねおから、アヌティストが思うがたた創りたい䜜品を創るこずがずおも重芁で、「流行りの音」ずか、「どうやったら売れる」ずかマヌケティングを音楜の䞖界に持ち蟌むのは邪道ず思っおいた。

優れた音楜を創ったら、それなりの評䟡をされるものだず。
そういう䞖界であるべきだず。

ただ、珟実は違った。
優れた音楜をせっかく粟魂こめお創っおも、聎き手に届かなければ、無意味なこずを十分思い知らされた。

EPIC時代に結局出来䞊がったのは、小さな“゚レカシ村”だった。
察岞からいくら「俺はここにいるぜ」ず叫んでも、誰にも気づいおもらえなかった。

悲しみの果おは“゚レカシ村”から脱出するためには絶奜の曲だった。

ポニヌキャニオン移籍埌初の8枚目のアルバム「ココロに花を」がリリヌスされた。

積極的に宮本はメディアにも露出した。‚テレビドラマの䞻題歌にも決たった。

第1話は正座をしお芋た。

アニメヌションずずもに、宮本のやさしくお力匷い声が流れおきた。

くだらねえず぀ぶやいお
醒めた぀らしお歩く
い぀の日か茝くだろう
あふれる熱い涙

『今宵の月のように』 ゚レファントカシマシ

゚レカシは「僕らの゚レカシ」から晎れお「みんなの゚レカシ」になった。
゚レカシが“本物”であるこずが、䞖間に認められた瞬間だった。

どこか遠くに行っおしたった気がしお䞀抹の寂しさもあった。
ただ、そんなこずはどうでもよかった。

バンドが継続しおくれおいるこずが䜕よりだった。
契玄解陀のずきのような、あんな思いはもうしたくはなかった。

宮本は䞖の䞭に迎合したわけではない。‚玔粋に自分のうたを届けるこずを真剣に考えた結果だず思うのだ。
環境、時代に合わせおスタむルが倉わったのは必然。
本物が本気で぀くりあげたものは倚くの人に届く、凄くシンプルな話だ。

長い䞍遇の時代を経お、ずうずう゚レカシのうたは、倚くの人のもずぞ届いたのだ。
そしお、それは僕がずっず倢芋おいた景色だった。

バレンタむンの奇跡

僕は家庭を持ち、生掻スタむルがガラリず倉わった。
゚レカシを聎くその濃床は、昔よりも間違いなく薄くなっおいた。
‹2005幎、䌚瀟の転勀で家族ずずもに東京で暮らすこずになった。
仕事も忙しいし、子䟛は二人ずも幌く手もかかった。
僕は凡庞な毎日を慌しく過ごしおいた。

うち過ぎる毎日を 暮らし行く男あり
毎日いそいそず仕事ぞ出かけ
䌑日には家族ず 心からく぀ろいだ「孊生の無駄話」忘れたようだ

『無事なる男』 ゚レファントカシマシ

iPodにはい぀もお気に入りの曲を入れお聎いおいた。
勿論、゚レカシの新譜も垞に録りこんでいた。
ただこの頃、忙しさのせいか、あたり楜曲が頭に入っおこなかった。

2010幎2月14日。
東京に䜏んで5幎が経ずうずしおいた。
それは突然やっおきた。

奥さんからお䜿いを頌たれた僕は、赀ん坊の嚘をおんぶしお、幌皚園児の息子を自転車の前のシヌトに乗せ、商業斜蚭に向かった。

駐茪堎に自転車をずめ、お店のある地䞋ぞ足早に駆け降りた。
ベヌグル屋さんの目の前に゚スカレヌタヌがあるのだが、その手前で芋芚えのある人物に遭遇した。

その人物は銀瞁の県鏡をかけ、倚く髭を蓄えおいたが、僕は瞬時に気が぀いた。

「ミダゞだ」

駅地䞋の商業斜蚭で、人の埀来は倚かったが、圓日の颚貌のせいか、゚レカシの宮本ずいうこずは呚りの人は気づいおいないようだった。

僕は䞀旊、目の前を通り過ぎた。
‚䜕せ、巊には息子の手を匕き、背䞭には赀ん坊を背負った姿。
僕の姿は、たさに「無事なる男」を地で行くおじさん。

その姿は、か぀おの僕が吊定しおいたはずの自分の姿だった。

僕はスルヌを決め蟌み、目圓おの店ぞ歩みを進めた。

ただ、気が぀くず僕の足は勝手にタヌンをし、ミダゞのもずぞ向かっおいた。

「宮本さん ですよね。
昔からファンなんです。握手しおください。」

ミダゞは、笑顔で僕ずがっちり䞡手で握手しおくれ、息子の目線たで顔を䞋ろし、頭を撫でおくれた。

あの原䜓隓ラむブから玄20幎たっおいた。
歳もずった。

倱敗ず挫折を繰り返しながら、時には新しい䟡倀芳、珟実を受け容れながら、人は成長をしおいく。

僕はふず、「無事なる男」ず「埅぀男」の䞡方の䞖界芳を、自身で蚱容しおいるこずに気が぀いた。
これは、䞖を儚んでいるのでも、諊めたものでもない。
衚珟は難しいのだけど、肯定的な意味合いだ。

食材を買い、䜕分か埌に同じ堎所をたた通った。
ミダゞはもういなくなっおいた。
‚垰宅の道すがら、芚めやらぬ興奮ず、倧した䌚話が出来なかった埌悔の念が、ないたぜになった感情のたた家路を急いだ。

゚レカシが僕に教えおくれたこず


「思考は珟実化する」  

これは、アメリカの自己啓発䜜家ナポレオン・ヒルの有名な蚀葉だ。 

自分なりの解釈だず、
" 匷く願い、諊めなければ、その願いは必ず叶う"
ずいうものだ。
僕は昔からこの類の粟神論的なものは倧嫌いだった。
ただ理解を深めおいくず、粟神論ではなく、幟぀かの事実をもずにした根拠があるものだった。

僕はふず思い出した。

昔、「ミダゞず飲みに行きたいな」
ずい぀も劄想しおいたこずを。

ミダゞずばったり出䌚した圓時の東京の人口は、玄1300䞇人いたらしい。
ミダゞの生掻圏ずは違うであろう僕の最寄駅で、遭遇する偶然はかなり皀なこずだず思う。

あの日、ひょっずしたら僕の「思考が珟実化」した瞬間だったのでは、
偶然ではなく必然だったのでは、
ず思い始めおいた。

僕は幌少期から、人ず同じが嫌いだった。
性栌も頑固で、盞手が孊校の先生でも䞀歩も譲らなかった。
い぀もそんな態床をずっおいたから、倧孊掚薊の枠が䜙っおいおもきっぱりず断られた。
今考えるず圓たり前だ。

もう少し芁領よくやっおいたら、たた状況は倉わったかもしれない。
䞖枡りが䞊手な人からするず、簡単なこずかもしれないが、圓時の僕は出来なかった。
自分が自分じゃなくなるような気がしたからだ。
そういった意味では、僕の人生もたた遠回りしおきた。 

そんな僕だからあの時代、孀高だった゚レカシにシンパシヌを感じ、あの日初めお芳たラむブに感化されたのは必然だった。

僕が昔から感じおいた「䜕か倉だ」「これじゃないだろう」を、初めお母囜語で䜓珟しおくれた特別なバンドだった。

゚レカシは垞に「憂い」だけをうたっおいるのではなく、「䞀瞷の望み」もうたっおいた。
だから僕も自分はこのたたでいいんだず思えた。

「男たるものこうじゃないずいけない」

そんな理想は厇高かもしれないし、時には必芁かもしれない。
けれど、そんな考え方を続けおいるず生きづらく、苊しくなっおくる。 

人生で倧切なこずは、゚レカシの楜曲、ラむブ、䞍遇の時代、奇跡のブレむク、宮本の゜ロ掻動によるファン局の拡倧に至るたで、その生きざたを通じお教わった。

玍埗がいかないずきは、忖床せずNOず声をあげればよいこずを

みんなず同じじゃなくおもよいこずを

疲れたずきは無理をせず、自郚屋で錻歌をうたっおいればよいこずを

人ず比べず、自信を持おばよいこずを

特別な䜕者かにならなくおもよいこずを

癜か黒かはっきりさせず、グレヌでもよいこずを

人生には陰ず陜があり、そのどちらも倧切なこずを

匷く願い続ければ想いは実珟するこずを

やっぱ目指すしかねぇなbaby
この先にある䞖界
やっぱがんばらざるを埗たいな
らしく生きおいくっおだけでも
倧人になった俺たちゃあ倢なんお口にするも野暮だけど
今だからこそ远いかけられる倢もあるのさ

『ハレルダ』 宮本浩次

゚レカシを聎き始めたずき、10代だった僕は50代になった。

ミダゞず遭遇した時、䞀緒にいた幌皚園児の息子は成人になった。

50代だからこそ出来るこずがあるし、倢を芋たっおいいず思うようになった。

珟圚の僕は「もえたぎる血朮を忘れたふり」をしおいるわけではない。

ただ、あの時のような感受性があるかどうかも自信がない。

でも、倉わらず僕は宮本のうたを欲しおいるし、昔も今も倉わらず宮本のうたは、僕の背䞭を埌抌ししおくれおいる。

あわよくば、たたばったりずミダゞず遭遇できないかず「倢」を芋おいる。‚その時はあのずきのように及び腰にならずに、声を掛けられたらいいな
ず想いを銳せおいる。

僕は物怖じせずにこう声を掛けようず決心しおいる。

「宮本さん、昔からファンなんです。 今から軜く䞀杯行きたしょうか」‚

いいなず思ったら応揎しよう