信州佐久平みち : 前編
「街道をゆく」を訪ねる旅
令和8年8月25日
はじめに
今回の「街道をゆく」旅に限った話ではないが、私は司馬遼太郎氏の行程を忠実になぞるつもりはない。氏が訪れていない場所でも気が向けば立ち寄るし、逆に氏が歩いた土地でも心が動かなければ足が向かない。
本を旅の指針として借りるのは、あくまで自由に楽しむためであって、原作に縛られて旅を窮屈にするためではない。
大作家の著作をそんなふうに“都合よく”使うのは、いささか不遜かもしれない。しかし、そもそも「街道をゆく」は旅の随筆であり、読者が自分の旅に重ねて楽しむことこそ本懐なのだろうと勝手に思っている。

善光寺
4時過ぎに起床し、簡単に朝食を済ませて、5時50分に道の駅を出発した。
司馬氏は作中で善光寺を訪れてはいないが、一遍上人や当時の聖たちとの関係を語る場面や、他のエピソード等でも善光寺はしばしば背景として姿を見せている。

6時45分、善光寺着。境内裏手に大きな駐車場があり、そこから入場した。表玄関と言える仁王門側には、駐車場がないようだ。

善光寺は飛鳥時代の創建とされ、宗派を問わず参拝者を受け入れてきた。ご本尊は絶対秘仏で、住職であっても見ることができない。7年に一度の御開帳で公開されるのは、その分身である前立本尊だという。
境内の運営は天台宗と浄土宗が共同で担っており、境内にある大勧進は天台宗、仁王門横の大本願は浄土宗の尼僧寺院である。

裏から表へ歩いていくと、本堂の縁側にツアー参加者らしき一団が並び、早朝の修行体験をしているようだった。彼らの前を、紫の袈裟をまとった僧侶が静かに通り過ぎる。小柄で華奢な姿だが、傘持ちや警備員が従い、周囲の人々が手を合わせている。
その後、一行は仁王門を出てすぐの大本願へ入っていった。尼僧寺院であることを思えば、華奢に見えた理由も納得である。

本堂内陣や資料館、山門、経蔵は有料で拝観できるが、開館は9時から。時刻はまだ7時前で、さすがに待つことはできなかった。

長野駅
7時50分、長野駅を通過。司馬氏が歩いた当時は3代目の駅舎で、銅板葺きの寺院風のデザインだったという。善光寺の御開帳に合わせて1936年に建てられたものだ。
現在は北口に門前回廊が設けられ、善光寺への玄関口らしい雰囲気を残しているが、駅舎自体は現代的な造りになっている。

上田城跡
9時30分、上田城跡に到着。こちらも司馬氏は訪れていないが、「上田の六文銭」のくだりで登場する場所だ。


上田城(松尾城)は真田昌幸が築いた城で、徳川家康・秀忠の軍勢を二度退けたことで知られる。関ヶ原後に廃城となり、戦後の城主となる仙石氏が再建を始めるが、さらにその後の松平氏への城主交代で工事は中断されたまま幕末まで維持された。明治期に破却・移築され、昭和期に再び移築されている。

現在は本丸堀の中に天守のない本丸、西櫓、復元された東虎口櫓門、市立博物館などが整備されている。北東に大きな駐車場があり、1時間以内なら無料。桜の木が多く、春はさぞ華やかだろう。

明治28年、松平神社として松平家の氏神として創建。
昭和28年、上田神社として、真田家、仙石家も合祀。
昭和38年、真田神社に改名。

博物館は本館と別館の2棟ある。本館は仙石氏〜松平氏の資料、別館は真田氏関連のみ。
司馬氏が「上田市は『真田の上田』のつもりであり、仙石時代など記憶にほとんどなく、松平時代も無視したい気持であるらしい。」と書いていたが、真田関連の資料だけで1棟を占める展示を見ると、その気質は令和になっても健在らしい。


常楽寺
11時30分、常楽寺に到着。ここで、ようやく司馬氏が訪れた寺院に到着した。

常楽寺は平安時代の創建で、北向観音堂の本坊にあたる。
塩田平には寺院が集まり、別所温泉が湧く。鎌倉期には「信州の学海」と呼ばれ、学問と宗教の中心地だったという。常楽寺は、その中核にあったらしい。
境内は広くないが、石造多宝塔が重要文化財に指定されている。

作中では「参拝者は北向観音堂へ行き、常楽寺には来ない」とあるが、一般人でも入山料100円で本堂まで参拝できる。(参拝者の数は、少なそうだが。)
境内の隅には美術館があり、企画展が行われていた。鬼女紅葉伝説をテーマにした絵画展で、受付では絵に描かれた鬼女の人数を当てるクイズが渡された。
展示された絵は、鬼退治にまつわるものだが、ターゲットの鬼女は単純な鬼の姿をしているわけではない。人に化けているものも含めて数えねばならず、絵のモチーフをよく考えないと答えは見つからない。
ちなみに、私は正解だったようで、記念の絵葉書をいただいた。受付の方いわく、正解者は半分もいないとのことだったが、よく考えればある程度まで人数を絞ることができる内容だった。

作中では、司馬氏と当時の住職・半田孝淳氏とのやり取りも記されている。ご住職は作中から約30年後の2007年に天台宗の座主に就任されているのだが、寺務所の掲示板には座主就任について小さく誇らしげに掲示されていた。

安楽寺
12時10分、安楽寺に到着。実は、常楽寺から歩ける距離にあるが、気温は35度を超えている。たまらず、車で移動した。

創建は平安期とされるが詳細は不明のようだ。平安末期は律宗、その後は盛衰を経て安土桃山期に曹洞宗となった。
境内には鎌倉期建立の八角三重塔があり、現存唯一の八角塔として国宝に指定されている。

駐車場から本堂までは少し歩くが、森に囲まれていて直射日光がなく涼しい。拝観料は不要で、山の中腹のわずかな平地に本堂や塔が点在する。塔の周囲は墓地で、檀家寺としての機能もあるようだ。
参道も木陰になり、風が心地良い。暑さが和らぐと、少し心にも余裕が生まれるのだろうか。
蝉時雨が旅の情景に溶け込み、旅の道中を彩る楽曲のように響いていた。

別所三楽寺と北向観音堂
別所温泉にはかつて常楽寺・安楽寺・長楽寺の「三楽寺」があったが、長楽寺は江戸初期に焼失したらしい。千曲市には現在も同名の寺があるが、こちらは全くの別物とのことだった。

北向観音堂は今回立ち寄らなかったが、本堂が北向きという珍しい造りだ。多くの寺社は南向きが基本で、古代中国の「南面北座」に由来するという。
古来より参拝者も多い北向観音堂は、南向きの善光寺と両参りすることで願いが成就する。という民間信仰も生まれたらしい。そのあたりの成立要因についての司馬氏の意見も作中にある。(少し皮肉めいているように思えるものだが。)

この観音堂は別所温泉街にある。湯治とお参りの組み合わせが、巨大な「善光寺」と肩を並べる魅力になっていたのだろうか。
駐車場料金が善光寺と同額なのも、どこか足並みをそろえているようで面白いと感じた。
以下、後編に続く。
