幻の踏切「開かずの踏切」女塚踏切 (池上踏切) (蒲田東特別出張所) #380
※本記事は
Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
公開しています。
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はじめに
この踏切には
女塚踏切と
池上踏切の
2種類の呼び名が存在します。
表記は、
史料に基づき表記しました。
女塚踏切の位置
多摩堤通りの
アンダーパス付近。
最古の記録
1897年 (明治30年) 頃、
蒲田駅設置の陳情が
提出された際に
「女塚踏切」
の記録が確認されました。
京浜線誕生
1914年 (大正3年) 12月
京浜線へ改称され、
翌年より
本格的な電車の運行が
始まりました。
蒲田駅西口設置
1922年 (大正11年) 7月2日
西口が設置されました。
自動ドア設置
1926年 (大正15年) 9月28日
京浜線の電車に
自動ドアが採用されました。
蒲田駅地下道設置
1930年 (昭和5年) 7月12日
蒲田駅地下道が設置されました。
特急「つばめ」運行開始
1930年 (昭和5年) 10月1日
東京~神戸間に
特急列車「つばめ」が
運行を開始しました。
女塚(池上)踏切の痛ましい事故
1952年 (昭和27年) 7月21日
電車とトラックが衝突し、
三重衝突事故が発生。
この事故により
27名の重軽傷者が出ました。
女塚(池上)踏切の通行を制限
1954年 (昭和29年) 9月5日
蒲田警察署は
07:00~20:00の間
蒲田駅北口
女塚(池上)踏切の
自転車と通行人の横断が禁止されました。
路線名の正式変更
1956年 (昭和31年) 11月19日
「東北・京浜線」と
アナウンスされていた路線が
「京浜東北線」に改称されました。
開かずの踏切役目を終える
1964年 (昭和39年) 7月
女塚(池上)踏切廃止となりました。
東海道線下の蒲田交差道路開通
1966年 (昭和41年) 8月20日
多摩堤通りアンダーパス
正式名「池上架道橋」が
開通しました。
この名称からも
この場所が
「池上踏切」と
呼ばれていたことがうかがえます。

撮影:Otapedia

撮影:Otapedia
おわりに
今この場所に
開かずの踏切が
存在した痕跡は
全く残っていません。
Otapediaは、
女塚踏切 (池上踏切) を
「大田区無名の風景」
「大田区無名の呼称」
として
池上架道橋が開通した
8月20日を
「大田区記憶の日」
として記録します。
Otapediaは、
大田区の記憶を
未来へ遺すという
理念のもとに活動しています。
私たちは、
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
人々の活動や風景、
残された痕跡は姿を消しても、
地域に刻まれた軌跡を
未来へと伝えていきます。
記事内で使用している
独自の顕彰は、
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『大田区政五十年史』年表・資料・索引
2.『大田区史』下巻
3.『蒲田歴史散歩』伊藤一也編(大田区立図書館 郷土資料)
写真
4.『蒲田駅北側(大森寄り・西蒲田7丁目1番にあった
通称開かずの踏み切り)昭和20年代撮影』
大田区立郷土博物館 提供
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