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羽根田燈臺【再投稿】(羽田特別出張所) #395

※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁じます。
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※史料に基づき記述していますが、
 必要に応じて
 考察が入る場合があります。

大田区立郷土博物館より
写真のご提供とともに
新たな事実が判明したので、
本記事は再構成のうえ
改めて投稿することにいたしました。


灯台設置の経緯(加筆分)

この場所は
多摩川から流出した
多量の土砂が堆積して
形成された浅瀬
「羽田洲」があり、
多摩川の河口から
約2kmにわたって延びていました。

古くから海難事故が頻発していたため、
灯台の設置が求められていました。


羽根田燈臺(1875)

1875年 (明治8年) 3月15日点灯

イギリス人技師
リチャード・ヘンリー・ブラントン
によって
設計された
スクリューパイル
「螺旋柱(らせんちゅう)」構造
は、
当時の日本で唯一無二のものでした。


関東大震災(1923)(加筆分)

1923年 (大正12年) 9月1日
関東大震災の発生により
羽根田燈臺は東に4.3度傾きました。

照明器具は無傷であったものの
横浜のピンチガス製造所が焼失したため
ガスの供給ができなくなり
休灯となった。

しかしその直後
3000㌧級の輸送船2隻が
相次いで座礁したため
アセチレンガスの燃焼装置に切り替え
同10月24日点灯を再開しました。


新灯台 羽根田灯標の建設(加筆分)

1925年 (大正14年) 4月22日 地質調査(旧灯台より3.6mの地点)
1925年 (大正14年) 5月14日 着工
1926年 (大正15年) 9月 落成
1926年 (大正15年) 9月9日 消灯(旧羽根田燈臺)
1926年 (大正15年) 9月10日 点灯(旧羽根田燈標)
新たな灯台が役割を開始しました。

関東大震災の発生から
約3年の間、
羽根田燈臺は傾きながらも
航路標識としての役割を
果たし続けたことになります。

写真:震災によって傾いた羽田灯台と建築中の羽田灯標
所蔵:大田区立郷土博物館

羽根田燈臺の撤去(加筆分)

その後
羽根田灯標の点灯後も
旧羽根田燈臺は、
しばらく残されていましたが、
1926年 (大正15年) 11月9日 
撤去されました。

こうして
51年の歴史に
終止符が打たれました。

写真:羽根田灯標が完成し撤去される羽根田燈臺
1926年 (大正15年) 11月9日
所蔵:大田区立郷土博物館

羽根田灯標廃燈(加筆分)

その後、
灯台の一帯が
羽田沖廃棄物処理場として
埋め立て工事が始まったため、
1977年 (昭和52年) 3月22日休燈
3月31日付で廃止され、
その後取り壊されました。

写真:羽根田燈臺撤去後の羽根田灯標
所蔵:大田区立郷土博物館

羽根田燈臺 略歴(整理)

1874年 (明治7年) 6月 建設開始
1875年 (明治8年) 3月15日点灯
1876年 (明治9年) 縞模様に塗装
1887年 (明治20年) 1月17日 地震によりレンズが破損
(地震による修理の記録なし)
1900年 (明治33年) 4月17日 明暗器(めいあんき)設置
1923年 (大正12年) 9月1日 関東大震災により4東に.3度傾く
1923年 (大正12年) 震災直後2度の座礁
1923年 (大正12年) 10月24日 傾いたままアセチレンガスを用いて再点灯
1925年 (大正14年) 4月22日 新灯台の地質調査を開始
1925年 (大正14年) 5月14日 羽根田灯標着工
1926年 (大正15年) 9月 羽根田灯標落成
1926年 (大正15年) 9月9日 旧羽根田燈臺消灯
1926年 (大正15年) 9月10日 羽根田灯標点灯
1926年 (大正15年) 11月9日 羽根田燈臺撤去
1926年 (大正15年) 12月22日 すべての工事が完了
1977年 (昭和52年) 3月22日 羽根田灯標休燈
1977年 (昭和52年) 3月31日 羽根田灯標廃止


おわりに

この度は
新たな事実が見つかったため、
追記ではなく
再投稿という形をとりました。

Otapediaは
旧羽根田燈臺が消灯された
9月9日と
羽根田灯標が点燈された
9月10日と
旧羽根田燈臺が撤去された
11月9日を
「大田区記憶の日」
として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す
営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.『燈台要覧』 航路標識管理所  編纂
     江南写真店出版 明治37年3月  
 2.『灯台史資料』海上保安庁 
 3. What's KAP? It's Kite Aerial Photography
.   羽根田鉄製灯台 
 4. 航路標識資料データベース 
 5.『リチャード・ブラントン』 Wikipedia
 6.『大田区の文化財 第十七集』大田区教育委員会
 7.『写真で見る灯台文化九十年』燈光会
 8.『博物館ノート No.1~No.150』大田区立郷土博物館
 9. "Google Maps"(位置確認)
”ヘッダー”(写真提供:大田区立郷土博物館)
 羽根田燈臺 想像復元図(明治初期)
 資料写真を基にAIが作成
 ※羽田沖の浅瀬「円山瀬」に建てられた鉄製灯台

写真で見る灯台文化九十年 燈光会
https://www.tokokai.org/database/ex/file/M90020-1.pdf

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