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学校踏切「No.3 11K936M」(入新井特別出張所) #408


※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁じます。
 © Otapedia 2025

※史料に基づき記述していますが、
 必要に応じて
 考察が入る場合があります。


学校踏切とは?「No.3 11K936M」

1872年 (明治5年) 
日本初の鉄道が開通し
1876年 (明治9年) 6月12日
大田区内初の駅となる
大森駅が開業します。

その少し前、
1875年 (明治8年) 2月28日
新井宿地区(山王周辺)初となる
新泉小学校が開校しました。

この学校は、
地図に示した踏切のすぐ脇
(学校が先か踏切が先かは不明)
に開校したため
この名前が付けられたと考えられます。

写真:赤丸が学校踏切 青丸が新泉小学校
出典:©Google Maps 2026

新泉小学校沿革

1911年 (明治44年) 12月3日
不入斗(いりやまず)地区の
磐井学校と合併し
入新井尋常小学校として開校

1922年 (大正11年) 4月14日
第一小学校と
(現・入新井第一小学校)
第二小学校に分離
東京府荏原郡
入新井第二尋常小学校が開校

1922年 (大正11年) 9月10日
現在の位置に移転。
(中央2‐15‐1)
校章は、
日本画家の
川端龍子氏が考案した
桜の花に2の字を入れたもの。

1925年 (大正14年) 4月1日
児童増加のため
入新井第三尋常小学校を
(現・山王小学校)
新設し児童226名を分離。

1931年 (昭和6年) 4月1日
児童増加のため
入新井第四尋常小学校を
(現・入新井第四小学校)
新設し児童571名を分離。

1940年 (昭和15年) 7月12日
児童増加のため
大森第六尋常小学校を新設し
(現・開桜小学校)
児童257名を分離。

1943年 (昭和18年) 7月1日
東京都入新井第二国民学校に改称。
プールが完成。

1944年 (昭和19年) 8月29日
熱海・焼津へ学童疎開
1945年 (昭和20年) 6月
岩手県・富山県へ。

1947年 (昭和22年) 4月1日
東京都入新井第二小学校に改称し、
現在に至る。


おわりに

学校踏切以外にも
大倉踏切や小竹踏切など
今はその地の存在しない
名称が付けれらた踏切が
大田区にはいくつか
存在します。

Otapediaは
学校踏切を
「大田区無名の風景」
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
旧新泉小学校を
「大田区無名の呼称」
「大田区未顕彰の地域遺産」
新泉小学校が開校した
2月28日を
「大田区記憶の日」
として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す
営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.『入新井第二小学校』大田区教育委員会

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