フルンボイル⑤(呼伦贝尔:内モンゴル自治区)
野良牛のいる街
代理店の彼の実家から北に200kmくらい走って、恩和ロシア族の郷、というところまで来た。
結果的に、この場所が、自分が中国で行ったことがある場所の中での最北端となった。
後にスキーをしに行った新疆のアルタイよりも、さらに北に位置する。
これだけ走っても、フルンボイル市の南北700kmのうち一部を走ったに過ぎない。
ちなみに、東西は約630kmあるらしい。広大すぎる。
車で街に入ると、この街の中心街と呼べるようなところを、牛が普通に歩いていた。
車は牛を避けてゆっくり走る。牛も車に慣れていて驚きもしない。
これが草原なら放牧と呼ぶだろうが、ここは街中なので、野良牛とでも呼ぶべきか。
街中で、牛が何を求めてさまよっているのか。道端の草は綺麗に短くなっていた。
ここではシャワー、トイレ付きの民宿のようなところに泊まった。
夏なので、シャワーなしが続くと流石にしんどい。
旧日本軍の地下要塞跡地
フルンボイルの空港まで送ってもらう途中、ハイラル要塞跡地にある公園に立ち寄った。
代理店の彼からは、こちらに気を遣って、本当に行きたいのか?と聞かれたが、
こういう場所には、日本人として行っておくべき(知っておくべき)と思っているので、
彼らも一緒に行ってきた。
ここは1934〜37年にかけて建設された、対ソ連防衛のための巨大な地下要塞で、
約21平方キロメートルにわたって、地下坑道が掘られている。
その坑道を掘るために、数万人規模の中国人や捕虜が強制労働をさせられ、
最後は秘密保持のために殺害されたらしい。
同様の要塞は、黒竜江省にも何ヶ所もある。
自分は731部隊の本部跡や、要塞ではないが南京大虐殺紀念館にも行ったことがあるが、
日本の学校の歴史の授業で、腫れ物に触れるように、さらっと流すように教えて済むような内容ではない。
楽しい旅の終わりに、少し重い雰囲気になってしまったが、
彼らはもちろんこういうことを全て知った上で、我々に対して親切に接してくれているのである。
こういう過去の事象を、当の国民として、ちゃんと「知っている」状態で、
中国の人たちと接することが大事だと考えている。
少なくとも、「知らなかった」では恥ずかしすぎるし、今からでも知ろうとする姿勢は大事だろう。
もし、原爆のことを知らないアメリカ人がいたとしたら、我々はどう思うだろうか。
