父は見栄っ張りで、母は大ざっぱで、私はそんなふたりにそっくりで
ひさしぶりに実家へ帰ったら、母が懐かしいカセットテープを聞かせてくれた。テープには私が3歳のときのクリスマスの様子が録音されていた。
私と母はクリスマスツリーに飾りつけをしている。
サンタさんが迷わないように、キラキラの飾りをたくさんつけようと、子どもの私は張り切っている。時おり、ジングルベルを口ずさむ、母の鼻歌も聞こえてきた。相当ご機嫌な様子だ。
そんな和やかな空気が、父の帰宅で一変する。
父は帰ってくるなり、母に「ご飯なに?」と尋ねた。「焼豚」と母が答えると、「クリスマスにはチキンだろ」と父が怒り出した。
そのあとも父はネチネチと文句を言い続けるので、母は「じゃあ、自分で買ってきなさいよ!」と言い返した。父は怒りにまかせて玄関のドアを乱暴に開け、そのまま外へ出ていく。
「いっちゃったね……」という私の寂しそうな声で、このテープは終わった。
最初は家族だんらんの時間が収録されていると思い、懐かしい気持ちで聞いていたのだが、まさか両親の喧嘩で幕を閉じるとは。
父と母の喧嘩は日常茶飯事だったので記憶としてたくさん刻まれているが、こうして記録されているのを聞くと、どっちもどっちだなと苦笑いが止まらない。
子育てや仕事で忙しい母が夕飯の支度をしてくれているのに、感謝の言葉を述べない父もどうかしているし、クリスマスに焼豚を食べようとする母のセンスもいまいちだ。
今ならそれが分かるのに、若い父と母は余裕がなくてぶつかることしかできない。
父は、クリスマスに焼豚で妥協ができないくらい見栄っ張りな人間だ。
仕事を定年退職した後、父は知り合いの名刺屋にパートで入った。ただ店番を任されただけだというのに、「自分も名刺をデザインできるようになりたい」と、パソコン一式を購入した。インターネット開通費込みで総額約20万円。
しかし、不況の煽りを受けて名刺屋は1年後に閉店。父のもとには千切りのように細かく刻んだ何十回払いのローンと、手垢のついていないパソコンが残った。
父の見栄っ張りはこれだけでは終わらない。家族旅行などイベント事があると、毎回新しい服を買う。普段は家族と離れて暮らしているので、顔を合わせるときだけでも父親の威厳をみせつけたいのかもしれない。
しかし、威厳は買って身に着けられるものではなく、日々を積み重ねた先ににじみでるものだ。このジャケットいいだろと父が無邪気に笑うので、危うくだまされそうになる。
そんな父を「格好つけすぎなのよ」と鼻で笑う母は、ものすごく大ざっぱな人間だ。
料理の調味料は目分量なので、日によって味付けが違う。我が家のおふくろの味は再現できない。ハロウィンのことは「かぼちゃ」と呼ぶし、ひどいときは「オレンジ」になる。
私の弟が中学生だったとき学校の家庭訪問があった。部屋が散らかりすぎて片付けが間に合わなかった母は、マンションのエントランスに椅子を二脚置いた。椅子は母がリビングから抱えて持ってきたものだ。
こうして家庭訪問は、配達員や住人が行き交うエントランスで行われた。まるで公開裁判のようだ。先生はどんな顔でそこに座っていたのだろう。周りをぎょっとさせたという罪に問われれば母は有罪だ。ちゃんと罪を償ってほしい。
こんな両親の突飛な行動を目にするたび、私は天を仰いできた。
そして残念ながら、私はふたりに似ている。つまり見栄っ張りで大ざっぱなのだ。
愛用のママチャリがパンクしたとき、私は近所のおしゃれな自転車屋へ行くことができなかった。
そこには小栗旬似の店員さんがいて、いつも涼しい顔で店先の観葉植物に水やりをしている。売っている自転車もロードバイクのような高級品ばかりだったので、自分の雨風にさらされてボロッボロのママチャリをその店に持ち込むことは憚られた。
私はパンクした自転車を引きずりながら、隣街にある昔ながらの自転車屋を目指した。そこは観葉植物の代わりに、工具や部品が転がっていて、アド街ック天国に出てきそうな親しみやすさがある。
だんだんと自転車の重さに手は痺れ、タイヤでズボンが汚れたが、イケメンに自分の自転車をさらしたくないという一心で、私は歩き続けた。
そして無事にタイヤ交換が終わり、家に帰れば、洗濯物を3日間干しっぱなしにしたりする。履いているスリッパはよく行方不明になるし、ケーキは皿に移さず箱のまま食べる。
そんな自分が情けなくて、この性格をずっと直したいと思っていた。
それがどうだろう。
ここ最近、両親の勢いがなくなってきている。
父は家族の集まりに着古した服で現れ、母は家の整理を始めた。
あんなに父の見栄っ張りが嫌だったのに、あんなに母の大ざっぱさに辟易していたのに、病気や老いによってふたりの火種が弱くなっているのを目の当たりにすると、急にさみしさを覚える。
新しい服を買わないなんて、家の片付けをするなんて、終わりに向かっているみたいじゃないか。
私は両親の火種が消えないように、新しい服をプレゼントし、それを着て出かけようと誘う。家の片付けは後回しにして、おいしいものを食べに行こうと声をかける。 クリスマスにはチキンと焼豚をならべ「お好きなほうをどうぞ」と、おどけたりもする。そうやって、ふたりの消えかけた火に必死で薪をくべ続けている。
それでもこの時間が永遠でないというなら、私は両親からもらった自分の性格を、意地でも直したくなくなるのだ。
