見出し画像

結婚十年を、母のワンピースで祝う

ここに一枚の写真がある。

私の結婚が決まり、両家顔合わせをした時の写真だ。

両親に囲まれて座る私は、ぎこちなく笑っている。

私が着ているワンピースは、母が若い頃に着ていたものだ。当時の私は古着が好きで、ハレの日に着ていく上品な服をもっていなかった。それを知った母が「着てごらん」とクローゼットの奥から出してきた。ブティックで買ったものだという。

ブティックという響きに時代を感じる。たまたま立ち寄った店でひと目ぼれしたらしいが、働き始めたばかりの母にとって、そのワンピースは気軽に買える値段ではなかった。一度は諦めたがどうしても忘れられず、翌日店に走ったという。私も突飛なところがあるので、親子だなと苦笑いしてしまう。

ワンピースは時間を経ても古くささを感じず凛としていた。首元はきれいなVラインで、ウエストはお腹より高い位置で切り替えられている。スカートの裾は動くたびに控えめに揺れ、袖にはくるみボタンがついていた。細かいところまで作り手のこだわりを感じる。

私もひと目見て好きになった。

母はこれを着て、友人たちの結婚式に参列したという。その幸せな思い出もまた、ワンピースを特別なものにしている気がした。

私は母よりも背が低いのでサイズが合うか心配だった。試着してみると、この時を待っていたかのように私の体に馴染んだ。無造作に結んでいた髪を慌てておろし、手持ちのアクセサリーをつけてみる。安物のアクセサリーもワンピースに合わせると輝きが増した。

鏡の中には、見慣れない私がいた。

母は手を叩いてはしゃいでいる。「こんな日がくるなんてね」「きれいに保管しておいて良かったわ」「わたしはなにを着ようかしら」陽気なおしゃべりは止まらない。

母が喜べば喜ぶほど、手足が重くなっていく。

私は、母に隠し事をしていた。

結婚する前から、私たち夫婦は子どもができないことが確定していた。

二回目のデートでそれを夫から告げられた時は驚いたし、私は子どもをもつことを夢見ていたので言葉に詰まった。「子どもは何人ほしい?」と放課後の教室で、友人たちと無邪気におしゃべりしていた過去がモノクロになっていく。

しかし、人生には自分ではどうすることもできないことがある。

私も大学時代に大病を患い、治療のために大学を退学した。部屋に閉じこもる日々の中、就職活動をする友人たちがまぶしすぎて、通知がこないよう携帯の電源を切った。真っ暗になった画面とこれから先の未来を重ねる。

だから、夫からその話を聞いた時、落とした片方の手袋がみつかったような気持ちになった。彼もまた、誰かの輝きに目を伏せたことがあるのだろうか。たとえそうでなかったとしても、携帯の電源を切ってしまった私に、「そういうこともありますよね」と声をかけてくれる気がした。

この人となら、ままならない人生を一緒に引き受けていけるかもしれない。

私たちは三年ほど付き合い、結婚を決めた。

ただ最後まで、母には子どもができないことを言えなかった。

理由は二つある。

一つは、母が子どもに関わる仕事をしていたからだ。母の周りには、いつもたくさんの子どもがいた。「できなかったことができるようになったの」と話す母は生き生きとしていた。生まれ変わっても同じ仕事に就きたいという。そんな母を、私は誇りに思っていた。

二つ目は、母の性格にあった。母は思ったことをそのまま口にする。希釈も遠慮もしない。私は大学二年生のとき、一ヶ月ほどアメリカへ留学した。初めての海外で、それまで当たり前だと思っていたことが次々にひっくり返り、刺激的な毎日を送った。充実感を胸に帰国すると、「こっちはあんたの留学費用で火の車だよ」と母は真顔で言い放った。膨らんでいた気持ちがしぼんでいく。

当時、父の借金で家計はひっ迫していた。バイトを増やし、私も留学費用の一部を支払っていたが、母は容赦なく本音をぶつけてきた。

「子どもができない」と伝えたら、どんな言葉が返ってくるか分からない。結婚を反対されるかもしれない。いつもの私だったら対抗できても、子どものいない人生を歩むことは私も不安でいっぱいだった。「おめでとう」に続く「子ども」の話が怖くて、友人にさえ結婚したことをなかなか言い出せなかった。

私の心配をよそに、母から子どもに関することを直接言われたのは一度しかない。言われたというより、渡されたのだ。

母が旅行のお土産で、子宝お守りを買ってきてくれた。私が結婚したばかりだったので、軽い気持ちでエールを送ってくれたのだろう。「ありがとう」と受け取ったが、目を合わせられなかった。母を傷つけたくなかったし、自分も傷つきたくなかった。

そのあと、妹が結婚し、子どもを産んだ。自然にスポットライトが移っていく。初孫の誕生に母は張り切って世話を焼いていた。しかし、手がしびれても妹の子を抱き続ける私のことも、気にかけていたのだろう。

そのうちに、母の口調が変わってきた。

昔から一貫して、子どものいる人生の素晴らしさを語っていたのに、「あの夫婦は子どもがいないけれど、楽しそうに暮らしているわね」と別の生き方を示唆するようになった。以前だったら考えられないことだ。最初に聞いた時は驚いて、うまく相槌がうてなかった。

母の中にはもう、私は子どもを産めないんだろうなという予感があるのかもしれない。

そんな母に今なら話せるかもしれないと、何度か口を開きかけたことがある。けれど、どんな言葉を選んでも、母を心配させることに変わりはない気がした。年を重ね、腰が痛い、膝が痛いとこぼすようになった母に、これ以上なにかを背負わせることはためらわれた。

それに母が知りたいのは、子どものことではなく、私と夫が幸せかどうかなのではないだろうか。自分の結婚を「苦労ばかりだった」と嘆く母なら、なおさらだ。

私と夫は、結婚十年を迎えた。

十という数字だけでは実感が湧かなかったが、寝返りをうてなかった赤ちゃんが十歳になって走り回っていると思うと、月日の重みを感じる。記念日には疎い私たちだったが、この節目に写真を撮ることにした。写真館での撮影は結婚式以来だ。すこし緊張してしまう。

撮影当日、手に取ったのは母のワンピースだった。両家顔合わせの後、譲り受けたのだ。久しぶりに広げてみると、なんだか違うワンピースに見えた。

いや、変わったのはきっと私のほうだ。

「子育ては大変だ」と笑い飛ばす妹の声には、まっすぐな強さがある。目の前には私とは違う景色が広がっているのだろう。それがどんな絶景なのか、思いをはせることはある。

けれど、夫の「ただいま」が聞こえると、両手を広げて玄関へダッシュする私の姿も、なかなかの迫力だ。

夫は私が体調を崩すと、ヨーグルトやゼリーを買って冷蔵庫へ入れてくれる。大量に買ってくるので消費が追いつかず、最後は罰ゲームのように頬張る。「お茶しよう」と夫を誘うと、自販機の前へ連行されることもあった。世界史のハプスブルク家については流暢に語れるのに、ロースとカルビの違いはいつまで経っても覚えられない。

おかしすぎて、お腹がいっぱいだ。

そのせいか、久しぶりにワンピースを着たら後ろのチャックが途中で引っかかってしまった。夫を呼んで手伝ってもらう。私がふんっと息を止めると、チャックが勢いよく上がった。振り返ったら夫も息を止めている。「止めるのは私だけでいいんだよ」と笑ったら、夫が息を吹き返した。

写真館に到着したら「おめでとうございます」とスタッフの方が迎えてくれた。新婚の時は受けとめられなかった言葉を、今ようやくかみしめる。

ライトがまぶしく光った。

こんなに明るくては隠し事などできやしない。シミもシワも十年の結婚生活もすべて浮き彫りになるだろう。

「では、撮りますよ」

カメラマンが手を上げる。

夫に一歩近づいたらワンピースが揺れた。

母は私たちの写真を、陽の当たるリビングに飾っている。




いいなと思ったら応援しよう!