同窓会でひと花咲かせるために、ユナイテッドアローズへ
「服はハダカを隠すもの」
この名言を吐いたのは、ほかでも私の夫だ。
「いつも同じ服を着ているよね」という私の言葉に、夫が目を泳がせながら慌てて返してきたので、名言というより迷言かもしれない。
夫は会社にスーツを着ていき、帰宅するとすぐパジャマへ着替える。
私服を着るのは休日だけで、その休日も少ないせいか服をそれほどもっていない。興味もあまりないようで、私の弟からお下がりでもらったシャツばかり着ている。弟のサイズはMで夫はL。丈がつんつるてんで、乾燥機で縮まったものを無理やり着ているみたいだ。
冬はセールで買った500円のニットを愛用している。着すぎて毛玉ができているが、彼はいくらなどつぶつぶしたものが好きなので、気にする様子はない。
ジーンズだってずっと同じものを履いている。生地がくたくたで薄くなってきた。「捨てようか?」と提案するのだが、あと何年履いたら向こう側が透けてみえるのか見届けたいという。夫の処分の基準は、ときめきではなく薄さのようだ。
お正月、夫は「つぶつぶニット」と「透け待ちジーンズ」を着て義実家へ行く。写真を見返してみると、ここ7年くらいは同じ服だ。いっそのこと顔はめパネルでもいいのではないだろうか。
そんな夫が「高校の同窓会があるので、服を買いに行きたい」と突然言ってきた。
夫は今までピアノや懸垂マシンを欲しがったことはあったが、服はなかった。いったいどうしたのだろう。優等生の同級生が、卒業アルバムに「夜露死苦」と書いていたときくらいの衝撃だった。
夫のおでこに手を当ててみたが熱はない。どうやら服が欲しいというのは本心らしい。身だしなみを整えるのはいいことだ。このチャンスを私も逃したくない。
しかし、私たちはメンズの服に詳しくなかった。
SNSで情報収集したところ「ユナイテッドアローズ」が浮上してきた。大学時代のおしゃれな先輩が就職したブランドだ。期待できるかもしれない。さっそくインスタをフォローした。
うちの夫をどうぞ夜露死苦お願いいたします。
実店舗で服を買うなんて何年ぶりだろう。
私たちが訪れたユナイテッドアローズは、明るく広々としていた。セレクトショップだけあって、フォーマルからカジュアルまで、幅広いテイストの服が並んでいる。ディスプレイの観葉植物はフェイクではなく本物で、葉が青々としていた。夏休みの宿題の朝顔すら枯らしていた私は、肩をすくめて縮こまる。
店員さんと目が合わないよう、絶妙な角度で視線を泳がせながら、一周してすぐに出た。
プールと同じで、急激な変化に心臓がびっくりしないよう身体をならしたのだ。私たちの怪しい動きにお店側がびっくりしたに違いない。
息が整ったところで、再び店内へ入る。洗練された雰囲気に圧倒されつつ、まずは様子見がてら目に入ったカーディガンを手に取った。広げてみるとサイズ表記は「1」。
い、いち?
MやLはどこへ消えてしまったのだろう。気軽に日本語で話しかけたら、流暢な英語が返ってきたような気分だ。大きいのか小さいのかも分からない。動揺のあまり見なかったことにする。
改めて店内を見回すと、服はきれいに並び、鏡には指紋ひとつついていない。ハンガーにはブランドのロゴが入っている。どこを切り取っても絵になる店内で、夫に似合う服を見つけられぬまま、私たちはルンバのようにくるくると徘徊した。3周目あたりで目が回ってきたので、ひと息つこうと、もう一度外へ出ることにした。
出たり入ったりが気まずくて、店員さんはもちろん、マネキンとすら目を合わせられず、背中を丸めて退散する。
外に自販機があったので、温かいほうじ茶を買った。いつもは飲み物を回し飲みしたりしないが、ほっとした瞬間を分け合いたくて、夫と1本のほうじ茶をちびちびと飲んだ。すこし落ち着きを取り戻す。
「無理して買わなくてもいいんだよ」
夫に声をかける。ニットの毛玉なら私でも取れるし、彼のジーンズはまだ透けてはいない。ハダカを隠せているのだから十分ではないか。
夫は首を振った。
高校の同級生と会うのは数十年ぶりだ。いい歳の重ね方をしていると思われたいという。私も久しぶりに友人と会う前は、普段手を出さない高級パックを顔に貼り付けるので、その気持ちは分かる。夫は「同窓会まで時間がないので、なにがなんでも今日買う」とペットボトルの蓋をきつく閉めながら宣言した。
あまり自分の意見を強く主張しない彼が、珍しく意思を通そうとしている。家を買う時でさえ私の希望を優先してくれた人だ。今度は私が夫の気持ちに応えたい。たとえ彼が、マツケンサンバのような総スパンコールの服を選んだとしても、「それいいじゃん。オレ!」と背中を押してあげよう。
覚悟を決めて、ユナイテッドアローズへ戻った。
とはいえまだ不安があったので、おしゃれなお客さんを見つけ、後をこっそりついてまわった。ファッション好きなのが全身からにじみ出ている。店員さんとも親しげに話しているので常連なのかもしれない。
彼がネイビーのニットを手に取ったので、すぐさま頭にインプットした。別エリアに彼が移動したのを確認し、急いでニットへ駆け寄る。落ち着いた色味だが、Vネックがすっきりとしていて形が美しい。私たちだけでは素通りしていただろう。
鏡の前で合わせてみると、緊張で紫いもだった夫の顔が、ぱっと色づいた。ついに出会ってしまったかもしれない。
気をよくした私は、勢いにまかせて店員さんへ声を掛けた。
「すみません。このニットにはどんなパンツが合いますか?」
店員さんがきょとんとしている。つられて私もきょとんとなった。このお店でそんなことを聞く人は珍しいのだろうか。天気の話でもして、もう少し空気をあたためたほうが良かったのかもしれない。ユナイテッドアローズの作法が分からず、急に恥ずかしくなる。咄嗟に近くにあったベージュのパンツを取り、「これはどうですかね?」とさっきの質問を隠蔽しようとした。
私が挙動不審な動きをしたにもかかわらず、店員さんは「素敵なコーディネートだと思います」と微笑んでくれた。おしゃれな人からお墨付きをもらい、勇気が湧いてくる。
店員さんのおしゃれオーラにびびって陳列棚の後ろに隠れていた夫を、「おーい」と手招きして呼び寄せた。
ついにコーディネートが完成した。他力本願で見つけたニットと、火事場のばか力で発掘したパンツだ。もちろん毛玉はついていないし、透けてもいない。
さっそく夫が試着してみる。
試着室の前で待っていると、カーテンがシャッと開いた。あまりの勢いに郷ひろみさんが出てくるのかと思った。入るときはそろりそろりと自信なさげに閉めていたので、すごい変わりようだ。
Vネックのニットは首の細い夫によく似合っていた。パンツの丈もちょうどいい。私が歓声を上げると夫が髪をかきあげた。「服はハダカを隠すもの」と迷走していた男はもうどこにもいない。これなら私も笑顔で同窓会へ送り出せる。
念のため、さきほどの店員さんにも確認してもらった。
さすがユナイテッドアローズの店員さんだ。スマートな提案はもちろん、私たち夫婦と少し話をしただけで、夫と妻、どちらが家庭の実権を握っているのか見抜いてしまう。夫に気を配りながらも、おしゃれに見える合わせ方を、私に一生懸命説明してくれた。
ちなみに夫のサイズは2だった。今後のためにピースと覚えよう。
一時はどうなることかと思ったが、ユナイテッドアローズの素晴らしい品揃えと、店員さんのアテンド力、そして通りすがりの素敵なお客様のおかげで、完璧なコーディネートが完成した。これで同窓会に行っても、夫は旧友たちと目を合わせて話ができるだろう。
達成感に満たされながらお店を出ようとしたら鏡と目があった。今にもぶっ倒れそうな男女が映っている。大丈夫ですか?と駆け寄ろうとしたら、夫と私だった。慣れない買い物に、普段は使わない筋肉を動かしたせいか、体育祭の後のように燃え尽きていた。10歳は老けて見える。
しかし、挑んだ者しか得られない清々しい顔つきをしていた。オレンジのショップ袋も誇らしい。
帰り道、「また何かあったらユナイテッドアローズにお世話になろうね」と、夫と声を弾ませながら焼肉屋へ入った。
夫がメニューを広げ、カルビにするか上カルビにするか迷っている。家庭の実権を握っている私は、「そこは上カルビでしょ」と即決し、注文ボタンを押した。
