ショートストーリー 『地下都市ノア』
三十年前。
世界各地の巨大火山が連鎖噴火した。
灰は空を覆い、人類は地下へ潜った。
それ以来、“空”は失われた。
地下都市ノア第七区。
人工天井の白い光が、昼も夜も変わらぬ薄明かりを街へ落としている。
広場に人々が集まっていた。
その中央へ、防護服姿の男が現れる。
地上観測員――月浦瑛士(22)。
週に一度だけ地上へ出る人間だった。
地上から帰還した人間を見る時だけ、
人々は少しだけ希望に似た目をした。
子供が叫ぶ。
「今日の地上は!?」
瑛士はヘルメットを外し、淡々と答える。
「依然危険区域。噴煙濃度も高い。地上居住は不可能」
広場から落胆の息が漏れる。
子供は俯き、老人は静かに目を閉じた。
瑛士はそのまま群衆を抜け、政府中央局へ向かう。
白い通路。
無機質な照明。
監査室の扉が開く。
監査官が机越しに言った。
「報告を」
瑛士は防護服を脱ぐ。
監査官は続けた。
「今日の地上は?」
「変化なしです」
監査官は頷き、報告書を書き換える。
『視界不良』『外気汚染:危険域』
それが三十年間続く、“公式の地上”だった。
「大統領がお呼びだ」
監査官は書類から目を上げないまま言った。
「……了解しました」
瑛士は短く答え、中央通路の奥へ歩き出す。
地下都市ノア第七区。
その最深部にある大統領室へ。
「月浦瑛士君。君は地上観測員になって何年だったかね」
「四年です」
「四年……」
大統領は椅子に深く腰掛けたまま、人工窓の白い光を眺める。
「なら、ノア第七区がどれほど安定しているか理解しているはずだ」
瑛士は「はい」と答える。
「暴動もない。飢餓もない。酸素供給も安定している」
大統領は静かに微笑した。
「三十年前を知る人間からすれば、奇跡のような都市だよ」
「君には十分な報酬を与えている」
大統領は机の上で指を組んだ。
「専用居住区。優先配給。医療保障」
白い照明が、大統領のシワを薄く浮かび上がらせる。
「地上観測員は都市の英雄だからね」
「……分かるね?」
「はい」
瑛士は、大統領に敬礼をした。
***
そして一週間後。
月浦瑛士が、週に一度だけ地上へ出る日が来た。
地下都市ノア第七区の広場を、防護服姿の瑛士が歩いていく。
住民の一人が言った。
「今日こそ空が見れると良いな」
その言葉に、人々が小さく笑う。
瑛士は足を止めると、静かに腕を上げた。
広場に、小さなどよめきが広がった。
厳重警備された地上隔離昇降機の前に、
武装警備員たちが立っていた。
瑛士が認証端末へアクセスキーを差し込む。
『個体認証確認』
無機質な音声が響く。
続けて、長い認証コードを入力する。
警備員の一人が、腰の拳銃へ手を添えたまま瑛士を監視していた。
重い隔壁が、低い駆動音と共にゆっくり開く。
瑛士は無言のまま、地上隔離昇降機の中へ入った。
***
地上に出た瑛士は、いつものように防護服を脱いだ。
そこには、澄んだ青空が広がっていた。
太陽の光が、草花を静かに照らしている。
瑛士は目を細めた。
「俺だけが、こんな景色を見ているなんて……」
風が吹く。
草が揺れる。
「戻れば、また嘘をつく。地下の秩序を保つために」
瑛士は唇を噛んだ。
もう、いつまでこの嘘を続けられるのか、
自分でも分からなかった。
青空の中を、一羽の鳥が横切っていく。
***
地上隔離昇降機の隔壁が開く。
瑛士が、防護服姿のまま広場へ現れた。
民衆が一斉に駆け寄る。
「今日の空はどうだった!?」
瑛士はゆっくりヘルメットを外した。
そして、白い人工天井を見上げる。
「……もう、外に出られる」
広場が静まり返った。
「地上は、とっくに元に戻ってるんだ」
その瞬間。
地上隔離昇降機の前にいた警備員たちが、
一斉に瑛士へ銃口を向けた。
広場の空気が凍りつく。
だが瑛士は動かなかった。
白い人工天井を見上げたまま、静かに言う。
「あの青空を……みんなに見せてやりたい」
警備員の一人が無線で短く呟く。
『対象、規定違反を確認』
数秒後。
無機質な声が返った。
『処理を許可する』
次の瞬間。
銃声が、地下都市へ乾いた音を響かせた。
瑛士がゆっくりと倒れる。
広場の人工天井に、大統領の顔が映し出された。
『地上観測員、月浦瑛士君は、
地上汚染物質の影響による精神錯乱を発症したようだ』
白い光の下で、大統領は静かに続ける。
『現在、地下都市の安全に問題はない。
住民諸君は安心して生活を続けてほしい』
警備員たちが、
血を流して倒れた瑛士の遺体を無言で担ぎ上げる。
赤い血痕だけが、白い床に長く残った。
人々は、その横を避けるように歩いていく。
配給所へ向かう者。
仕事へ戻る者。
子供の手を引いて帰る母親。
もう誰も、振り返らない。
***
「今度、地上観測員に配属されました」
「冴島野乃花です」
若い女が頭を下げる。
大統領は静かに頷いた。
「分かっていると思うが、君は単なる観測員ではない」
白い人工照明が、大統領の顔を淡く照らす。
「君は民衆の広告塔だ」
大統領は静かに続ける。
「そして、地下都市の秩序は何より優先される。分かるね?」
野乃花は「はい」と敬礼して答えた。
今日も地下都市ノア第七区は、静かに秩序を保っていた。
あとがき
スッキリしない社会に、
一発スカッとするような物語を書こうと思っていましたが、
気づけば、まったく違った話になっていました。
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