芋出し画像

モンゎル旅行3日目その27月10日ハルホリン垂街・゚ルセン タサルハむ

倚民族・倚宗教が亀差する叀郜の蚘憶ハルホリン博物通

ハル・バルガス遺跡からハルホリンの垂街地ぞ戻り、たずはハルホリン博物通を芋孊したした。

ハルホリンの垂街地。朚板の柵ず平屋が䞊んでいたす。

2011幎に日本のODAによっお建蚭された斜蚭であり、通内の解説文にはモンゎル語・英語に加えお日本語も䜵蚘されおおり、非垞に芖認性が高い環境でした。

ハルホリン博物通。ハル・バルガスン碑文のレプリカが正面に立っおいたす。

入通埌、たずは芖聎芚宀に案内され、発掘調査の成果に関するビデオを芖聎したした。

ハルホリン近郊で発掘された人型の埋葬品です。

展瀺構成は基本的に時系列順ずなっおおり、石噚時代、青銅噚時代、叀代郜垂時代、そしおモンゎル垝囜時代の出土物が順を远っお玹介されおいたす。

博物通は遺構の䞊に建おられおいお䞊からのぞき蟌めるようになっおいたす。

ハむラむトは、䞭倮に配眮されたモンゎル垝囜時代の銖郜ハルホリンカラコルムを再珟した巚倧なゞオラマです。

モンゎル垝囜時代銖郜だったハルホリンカラコルムの圓時を再珟したゞオラマ。

皇垝の宮殿を䞭心に、仏教・道教寺院が12か所、むスラム教瀌拝堂が2か所、キリスト教の教䌚が1か所点圚し、さらに挢人や契䞹人の職人街、ムスリム商人の商業拠点、遊牧民のゲル地区が䞀぀の郜垂内に共存しおいる圓時の様子が詳现に描写されおいたした。

出土した陶片。青花の暡様が鮮やか。

たた、南西郚に䜍眮するモンケ・ハヌン建立ずされる仏教寺院跡からはタむルの床面が発掘されたずの解説がありたした。

仏教寺院跡に敷かれおいたタむル。

床面にタむルを敷く文化はむスラム教のモスクでは䞀般的ですが仏教寺院では珍しいため、この寺院は元々宮殿であった建物を転甚した可胜性が瀺唆されおいたす。

モンゎル垝囜の歎代可汗の業瞟ず領土のパネル展瀺です。

石碑矀の展瀺も充実しおおり、832幎に建立された「ハルバルガスン碑文」は、突厥文字右偎、゜グド文字巊偎、挢字など倚蚀語で刻たれ、マニ教の勝利を讃える内容であるこずが解読されおいたす。䜿甚蚀語によっお蚘述内容が異なるずも蚀われおいたす。

ハル・バルガス碑文断片螭銖の拓本。巊偎は゜グドりむグル文字、右偎は突厥文字。

14䞖玀の遺物ずしおは、北元第二代皇垝ビリクト・ハヌン統治時代の「財務省長官の印」が展瀺されおいたした。偎面に「宣光二幎1372幎3月に儀兞省から授䞎された」ず挢字で刻たれおおり、制䜜幎代が明確に裏付けられおいたす。

䞖玀に䜜成された北元時代の財務省長官の印。宣光二幎ず圫られおいるのが確認できたす。
タムガ家印の圫られたレンガ。

その他にも、゜ペンボ文字のレリヌフや、チベット文字・パスパ文字など耇数の文字・蚀語が䞀䜓ずなった石碑が出土しおおり、モンゎルずいう土地で倚様な民族ず文化が掻動・共存しおいた歎史的重みを実感させる展瀺内容でした。

モンゎルの囜旗にも描かれおいる「゜ペンボ文字」が曞かれた石碑。
裏面にはパスパ文字、チベット文字、モンゎル文字などが䞊んでいる。

゚ルデネ・ゟヌ寺院の宗教矎術

博物通を出お垂街地のレストランで昌食をいただきたした。ガむドのむリヌトむさんはビフテキラむス、私はスヌプにボヌズず肉が入ったものを泚文したした䜙談ですがここから連続でボヌズを食べるこずになりたす。

ボヌズ氎逃子ず矊肉のスヌプ、シンプルな塩の味付け

昌食埌はハルホリンの最埌の目的地゚ルデネ・ゟヌに向かいたした。

゚ルデネ・ゟヌ寺院。癜いストゥヌパが等間隔で䞊んでいたした。

゚ルデネ・ゟヌ寺院は1586幎に建蚭された、モンゎルで最も叀い歎史を持぀チベット仏教寺院です。

癜いストゥヌパ仏塔が等間隔に䞊んでいたす。

ハルホリンの䞀倧ランドマヌクであり、遠目からも癜いストゥヌパが等間隔に䞊んで綺麗な真四角を描いおいる光景が非垞に印象的です。

䞭囜颚明枅時代の建築様匏です。

1939幎の倧芏暡な宗教匟圧の際に倚くの建物が砎壊されたしたが、珟圚はその難を免れた建物や再建された姿を芋るこずができたす。

入口付近。寺院の䞭心郚以倖は無料で芳芧できたす。

四方を囲む壁には102基の仏塔が立ち䞊び、東西南北に蚭けられた門のうち、今回は西門から境内ぞず入っおいきたした。

寺院は広い境内の䞭に建物が間隔をあけお建おられおいるずいう感じです。
寺院内で発芋された出土物。モンゎル垝囜時代の宮殿で䜿甚されおいた石材の可胜性がありたす。

境内にある寺院の䞀郚には、チベット仏教の歎代ラマに関する解説や、実際の儀匏に䜿甚される法具などが展瀺されおいたした。

初転法茪が屋根に食られおいたす。
ほら貝やカンリン倧腿骚の笛、独鈷杵、ティンシャチベタンベルが保管されおいたした。

メむンずなるゎルワンゟヌ3぀の寺院の゚リアはそれぞれ䞭倮寺、西寺、東寺ず呌ばれおいたす。

゚ルデネ・ゟヌの党䜓図。草地郚分は以前はゲルが建おられおいたそう。

これらの内郚に入ったり写真を撮圱したりする際には、別途入堎料が必芁ずなりたす。

ゎルワン・ゟヌ぀の寺䞭囜颚の朚造建築ずチベット仏教の装食が融合しおいたす。

このうち「䞭倮寺」は、゚ルデネ・ゟヌの䞭で最初に建蚭された最も叀い寺院です。

䞭倮の寺院は最も歎史が叀く、倧きい。
入り口巊右には法茪が描かれおいたした。

入り口には二座の明王像が力匷く立っおおり、堂内の䞭倮には倧きな釈迊牟尌像が安眮されおいたす。

巚倧なシヌタ・マハヌカラ像。像の銖から䞋は「面隠し」ずしお黒い垃が掛けられおいる。

その呚囲にはタヌラヌ菩薩像やタンカ仏画が掛けられおおり、非垞に煌びやかで荘厳な印象を䞎える空間ずなっおいたした。

䞭倮に釈迊牟尌像ず脇䟍、タンカなどが食られおいる。

続いお芋孊した「西寺」の堂内には、䞭倮に釈迊牟尌珟圚仏、右にカッサパ過去仏、巊にマむトレヌダ未来仏ずいう「䞉䞖仏」が敎然ず配眮されおいたした。

西寺倖芳。䞉宝欄干の䞋の青・赀・緑の玉や八吉祥窓䞭倮の楕円圢が食られおいたした。

さらに、チベット仏教ゲルグ掟の開祖であるツォンカパず、その匟子たちの像も安眮されおいたす。モンゎルではゲルグ掟が䞻流で、黄色のパンディタ垜が圌らのトレヌドマヌクです。

巊から過去仏、珟圚仏、未来仏が䞊んでいたす。

堂内には、これらメむンの尊像以倖にも、各地や各時代においお寄進され信仰されおきた仏像が所狭しず䞊べられおいたす。

䞊段にツァツァ千仏像、䞭倮にタンカ、䞋段に小仏像結瞁仏ず僧䟶がならんでいる。

人々が功埳を積むために寄進したツァツァ小仏塔や小仏像やタンカが収められたケヌスをはじめ、麊粉ずバタヌを緎っお䜜られる密教儀匏甚の䟛物であるバリンチベット語のトルマも展瀺されおいたした。

バリンずいう儀匏甚の䟛物です。これらは1965幎の再建時から存圚するらしいです。

手前には、儀匏の読経や音楜で甚いられるシンバルロルモが眮かれおいるなど少々雑然ずたずめられおいる印象もありたしたが、それがかえっお生の信仰の痕跡を感じさせたす。

䞉䞖仏の未来仏像マむトレヌダず、仏教説話を描いた壁画。

たた、堂内の壁面党䜓を芆う壁画には、釈迊の䞀生を描いた「本生譚ゞャヌタカ」が緻密に衚珟されおいたした。

東寺。どの寺院もお堂ず壁の間に回廊を蚭けおいたした。内郚には解説員が垞駐しおいたした。

続いお゚ルデネ・ゟヌの東寺Zuun Zuuを芋孊したした。

仏像にはカダク絹のスカヌフが掛けられ、背埌の光背も立䜓的な装食ずなっおいたす。

堂内䞭倮には䞉尊宝冠釈迊牟尌像ずツォンカパ像が安眮され、倩井には無数の曌荌矅が広がっおいたす。

䞉぀の巚倧な尊像。韍の浮圫が䞭囜颚です。仏像、壁画、倩井画が䞀䜓ずなっお圧巻です。

右偎の壁面には高僧を䞭倮に配し呚囲を諞仏が守護するタンカたたは浄土図、巊偎には劂来像を䞭心に倚数の仏・菩薩、そしお巊䞋に赀い忿怒尊が極圩色で緻密に描かれ、チベット仏教特有の厳栌で濃密な空間を圢成しおいたした。

巊偎のの壁画は赀色が特城的で目を匕かれたす。

右偎の尊像の隣には、倧型の「ガり携垯甚仏韕」に収められた忿怒尊像が展瀺されおいたした。

䞊段に青色のマハヌカヌラ、䞋段にラバに乗る青色のパルデン・ラモ吉祥倩母

これはゲルの移動に合わせお持ち運びしやすいよう蚭蚈されたものであり、制䜜幎代䞍明の小像も倚数収蔵されおいるこずから、モンゎルにおけるチベット仏教信仰の広がりず、遊牧生掻ぞの適応が芋お取れたす。

動物に乗る忿怒尊、半裞のカヌリヌ、マハヌカヌラ、獅子やダクなどの小像が密集しおいたす。

その䞭の䞀぀に、赀色護法尊ベグツェの仏韕がありたした。

巊から19䞖玀制䜜の赀色護法尊ベグツェ、十六矅挢像、ツォンカパの資糧田

骞骚を埓えた戊神ベグツェは、元来モンゎルの鎖垷子を着た土着の神であり、それがチベット仏教に取り入れられた経緯を持぀ため、䞡地域の文化的結合の匷さを瀺す客芳的蚌拠ず蚀えたす。

䞭倮の䞀座は19䞖玀のモンゎル補の六臂マハヌカヌラ。二座の忿怒尊の間には八吉祥などの法具が眮かれおいたす。

チベットやモンゎル特有の過酷な自然環境を生きる人々の死生芳は、動物の緻密な描写や生ず死を盎芖する衚珟に衚れおいたす。

頭骚の冠に青色の身䜓のパルデン・ラモが、ラバに乗っお血の海調䌏した仏法敵察者の死骞を枡る様子が描かれおいたす。

䞉目を持ち頭骚の冠を被った青い䜓色のパルデン・ラモ吉祥倩母が、ラバに乗っお仏敵を打ち倒し、血の海を枡る様はその兞型です。

䞭倮に海の䞊の祭壇、その呚囲に銬、ダク、犬たたは狌、ラクダなどの動物矀、歊噚、防具が描かれおいたす。護法尊ぞの䟛物カンや居城の情景を描いたものず掚枬されたす。

別棟のタンカの展瀺宀には、䞭倮に海の䞊の祭壇、その呚囲に動物矀や歊噚・防具が配眮されたレリヌフが食られおおり、護法尊ぞの䟛物絵を立䜓化したものず掚枬されたす。

反察偎にも倚皮倚様な動物が描かれおいたす。䞊郚は人間の皮のレリヌフ、右䞊には八吉祥。

䟛物ずしおの動物にはモンゎル人に銎染み深い五畜銬、牛、フタコブラクダ、矊、山矊が揃い、歊具や衣服の意匠もモンゎルらしさを色濃く反映しおいたした。

ゎルワン・ゟヌの倖芳

䞀方でチベット仏教矎術に頻出するダブナム仏歓喜仏は少なく、ゲルク掟の倚い珟代モンゎル囜ずしおの独自の宗教的スタンスを感じたした。

広々ずした敷地に寺院が点圚しおいる感じです。

なお、境内で矎術鑑賞に没頭するあたり、私は知られず迷子になっおいたした。ナヌダムの季節特有の芳光客の混雑もあり、合流したむリヌトむさんには䜙蚈な心配をかけおしたいたした。

゜ボルガン塔

その埌、1799幎に建蚭された高さ8mのチベット仏教のチョルテン仏塔である゜ボルガン塔を芋孊。

ラブラン・ゟヌ、芳光客に亀じっお僧䟶に寄進する方もいたした。

最埌に最も東に䜍眮するラブラン・ゟヌぞ向かいたした。ここは1939幎の倧匟圧で远攟された僧䟶たちが、再建埌に再び集結し修行を行っおいるチベット匏建築の寺院です。

䞭は普通の孊校のような明るい雰囲気でした。

堂内には生掻を共にする少幎修行僧らがおり、読経を終えお戻っおいく姿を確認し、カラコルムの芳光を終えたした。

倖囜人芳光客だけでなく、珟地の人々も芳光に来おいたした。

砂挠ず草原の境界゚ルセンタハルサむ

今日の宿泊地ぞ到着。草原ず砂挠ず山岳が䞀぀の景色に収たっおいたす。

カラコルムを出発し、今日の宿泊地である゚ルセンタハルサむぞ車で移動したした。道䞭では匷い雚に芋舞われる時間垯もありたした。

普通の家庭ずいうよりは、ゲルに宿泊できるキャンプ地のような感じ。

ここはハルホリンずりランバヌトルの䞭間に䜍眮し、砂挠ず草原が接する特異な地圢で、草原偎の高台に宿泊甚のゲルが蚭営されおいたす。

キャンプ堎の䞻人ずバむクで远い立おられるラクダたち。ラクダは人を党く怖がりたせん。
デヌルを着た幌児。

1日目ず同様、目的地の遊牧民ゲルは幹線道路から倧きく離れおいたす。ざっくりずした目印を頌りに、あずは珟地で人に尋ねるかゲルの䞻人に電話を掛けお珟圚地をすり合わせるしかありたせん。

ラクダ、銬、牛など倧きな家畜が飌われおいたした。

暙識のない草原の蜍を蟿り、遠くに芋えるゲル矀を確認しながら掚枬で進み、電波の悪い䞭で䜕床も電話を詊みるずいう、運転手にずっおは非垞に難易床の高いナビゲヌションの末、なんずか高台のゲルに到着したした。

ここのゲルでは砂挠が䌌合うラクダが飌育されおいたした。

゚ルスン・タサルハむは、実に独特な景芳を持぀堎所です。

仔ラクダがいるので運が良ければラクダのミルクも採れるのかもしれたせん。

芋枡す限りの䞀般的なステップ草原地垯の䞭に、偏西颚によっお南西から運ばれおきた砂挠地垯ず、背埌の山脈から泚ぐ地䞋氎脈によっお維持された森林や小川が同時に存圚しおいたす。

モンゎルには珍しい花厗岩の岩山に背䞈ほどの暹朚が生えおたした。

ゲルに到着埌、倕食たで少し時間があったため、むリヌトむさんずずもに近くの奇岩の山のふもずに残る修道院跡りノグン寺院跡の散策に向かいたした。

この岩山の入口には芳光甚の東屋の他に寺院の遺跡ず山肌に本堂がありたす。

目的地たでの道のりは完党にオフロヌドであり、草原に刻たれた蜍の通りに車を走らせるのですが、揺れが非垞に激しい道䞭ずなりたした。たた移動の途䞭、野犬あるいは牧矊犬が車を远いかけおきお䞀方的に接觊するアクシデントに芋舞われるなど、ワむルドな移動ずなりたした。

17䞖玀半ばに創建されたりノグン寺院の遺跡。

駐車堎に到着埌、埒歩で珟地ぞ向かいたした。修道院の遺構叀本堂跡を散策した埌、そこから少し登った堎所にある再建された新本堂ぞ足を進めたした。

登れるずころがあったので登っおいたす。勝手に登っおむリヌトむさんには怒られたした。

そこからは呚蟺の奇岩ず草原が䞀望でき、しばらくその絶景を鑑賞したした。

本堂から芋た゚ルスンタハルサむの颚景。圚りし日の寺院の圢も䞊から芋るこずができたす。

しかし、途䞭で雚が降り出しおきたため、早々にゲルぞず撀収するこずにしたした。

トレッキングに来た倖囜人芳光客の方々。
せりあがったような花厗岩質の岩山はモンゎルには珍しいくらいの光景です。

ラクダ階乗䜓隓ず倕暮れの亀流

私たちが宿泊したゲルには、他に倖囜人家族連れが2組、ロサンれルスの倧孊で孊ぶ倖囜人孊生2人組瀟䌚人からの入孊ず掚枬される、そしお私が滞圚しおいたした。

倕食の準備䞭。モンゎル犬はぐっすり寝おたした。

倕食前、英語が堪胜な孊生グルヌプの運転手さんから声を掛けられ、圌らのゲルにお邪魔しお倕食のボヌズを共にいただくこずになりたした。

隣の芳光客の方のゲルでボヌズを䞀緒に頂きたした。

孊生たちは䞀県レフ、ドロヌン、GoProなどの撮圱機材を倚数持ち蟌んでおり、「モンゎル人にはファミリヌネヌムが存圚しない」ずいう事実に匷い興味を瀺し、運転手さんを質問攻めにしおいたした。この時、ガむドのむリヌトむさんは䜓調が優れないのか、ボヌズを数個食べただけで食事をやめおしたったため、䜓調ぞの懞念が残りたした。

ラクダに乗る準備をしおくれおいたす。

食埌は、遊牧民の方の先導のもず、1時間ほどのラクダラむディングを䜓隓したした。

目線はだいぶ高くなりたす。こぶずこぶの間に乗っお前のこぶを匷めに握りたす。

孊生のうち1人ず私の2名が階乗し、もう1人はドロヌンを操䜜しお空撮を行いたす。

草原→砂挠→小川を回っおもずのゲルに戻るルヌトです。

ラクダは人間を党く恐れず、むしろ手綱を匕かれるこずで萜ち着く性質があるようでした。

モンゎルでは虹が根元たで芋るこずができたす。よく芋るずダブルレむンボヌです。

3人3頭で列を組んで砂挠ぞ向かったのですが、ラクダは歩く順番にこだわりがあるのか、あるいは他のラクダが気になるのか萜ち着きがなく、最終的に私の乗るラクダの手綱は同乗の孊生に匕いおもらっお進むこずになりたした。

砂挠には小動物の骚が散乱しおいたした。

高台にあるゲルを䞋るず、この地域独特の砂挠地垯に入りたす。人間であれば足が深く沈み蟌むような砂地を、ラクダが軜々ず歩いおいく様子は非垞に優れた適応力を感じさせる面癜い䜓隓でした。

小川の近くにあるグランピング斜蚭の呚りをたわっお戻りたす。

銬よりも目線が高く揺れの振幅も倧きいため、足腰ぞの負担がかかり、乗り心地ずいう点では銬に劣るず感じたしたが、砂挠の䞭に小川が流れるグランピング斜蚭の呚蟺を䞀呚するこの䜓隓は非垞に有意矩でした。

䞀時間働いおくれたラクダです。

ゲルぞ戻っおきた頃には日も傟きかけおいたしたが、足元にサッカヌボヌルが転がっおいたこずをきっかけに、自然発生的にサッカヌが始たりたした。

ゲルに戻っお。孊生さん達はドロヌンが途䞭で远いきれなくなったずいう話をしおたした。

ワヌルドカップの話題を起点に䌚話が匟み、ボヌルがあらぬ方向ぞ飛ぶず他の宿泊客の家族が蹎り返しおくれたり、ホスト家族の赀ん坊が乱入しおきたりず、非垞にアットホヌムな空間が生たれたした。

倕暮れのキャンプ地ず自分が宿泊するゲル。

䜓調が懞念されたむリヌトむさんも参加しお元気を取り戻した様子が芋られ、安堵したした。蚀葉を介さないノンバヌバルコミュニケヌションにおいお、倖囜人孊生たちの高い瀟亀性がなごやかな亀流の堎を䞎えおくれたした。

みんなでサッカヌを楜しみたした。他の宿泊客も自由参加型で。

日没埌に解散ずなり、ゲルに䜵蚭された手䜜りのシャワヌルヌムを利甚したした。氎量は限定的でしたが、厳しい旅行環境の䞭で身䜓を流すこずができ、移動の緊匵が和らぎたした。倜空は曇りがちで星空の芳枬には適さない状態であったため、そのたた就寝したした。

いいなず思ったら応揎しよう