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【エッセイ】言葉のしんい

 〔百聞は一見に如かず〕という言葉がある。本当だと思う。幾ら言葉を尽くしても、伝えられない本物の姿は、じかに見ることによって我が物になる。それでも、言葉は事実を仲介して人に伝えるツールといえるが、時として単語をつないだ文言が見るだけでは分からない真相を明かすことがある。
 さらに言えば、言葉とは、人が使って相手に伝える媒体ともいえるが、これが発信者によっていかようにも加工できるから厄介な物になる。戦後体制が完全に崩壊しつつある現在において、言葉は、まずは疑ってみなければならない代物となった。

 世界の情勢でも、自国民は言論統制下におかれ、統治者のデマゴギーにさらされ、真実の判断ができなくなっている国がいくつか見られる。人類の叡智として築かれた民主主義の仕組みが揺らいでいる。三権分立の相互牽制が危ういような気がしてならない。理想的な憲法のもとで、日本の民主主義は万全のように見えるが、見えるだけではどうにもならない。国民のすべてが守っていくべき大事なものではないだろうか。

 ここに、デンマークの童話作家アンデルセンによって1837年に発表された意味深な『裸の王様』がある。ご存知の方が多いでしょう。胡散臭い言葉を使った詐欺の話である。要約すれば、二人組の男が地位不相応のものと馬鹿には見えない糸で見えない布地を織り上げるというもので、おしゃれ好きの王様が騙されて、仕立て上げられた目に見えない衣服を着てパレードにでるという話になる。周囲の臣下や沿道の国民も誰もが真実を言えなかったが、最後に子供が言って明らかになる。

 これは二百年ぐらい前の話だが、全く昔も今も変わらない人の性を見るようで複雑な気分になる。だます人の巧妙な言葉、それを信じる人の心、まさに言葉の作用は摩訶不思議に思えて仕方がない。会社の例をとっても、社長が周りにイエスマンだけを集めて運営すれば、いずれは真摯で有益な意見も聞けず、社運は傾くでしょう。

 いずれにしても言葉の真意は発信者の意図にかかっているわけだが、受信者がそれを見抜くのは至難の業といえる。日常の知人の話はともかくとして、初対面の人の話は用心をするに越したことはない。人と人との関係を円滑にするコミュニケーションのはずだが、障害が多々あり、これほど不便なものは無かろうと思われるほどである。一々相手の言葉をおもんばかるのでは人間不信の最たるものでなかろうか。

 


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