白と黒のあいだで気づいたこと 京都の旅が教えてくれた、計画に縛られない生き方
私は以前、物事は白か黒かで分けられるものだと思い込み、計画を立ててその通りに行動しなければ落ち着かない性格でした。
一人で旅行やお出かけをしていた頃も、綿密に計画を立て、それを実行することで満足感を得ていたように思います。

そんな私が京都へ旅に出たのは、仕事で心がすり減っていた時期でした。
社歴の長い、声の大きい人から常にプレッシャーをかけられ、白か黒かの選択を迫られる毎日。 息苦しさは積み重なり、仕事を辞めることまで真剣に考えていました。
このままでは心がもたない──そう思い、有休を取って京都へ向かうことにしました。
少しでもリフレッシュして、冷静に自分を立て直したかったのだと思います。
そして、その旅で、私の考え方を大きく揺さぶる出来事が起こりました。

春と秋だけ公開されるお寺があり、ずっと前から「いつか行きたい」と願っていました。
今回の旅行で必ず実現させようと意気込んでいた私は、初日の行程に無理やり組み込み、「ギリギリ行けるだろう」と高を括っていました。
しかし現実は甘くなく、夕陽を高台から眺めながら「失敗してしまった」と落ち込むことになりました。
旅では計画が崩れることもある──その当たり前のことを、私はその時初めて知ったのです。

「どこかの行程で行ければいい」最悪「いつかいければいい」そう思い、その日は諦めました。

そして三日目。
予定通りに回っていたら、思いがけず時間が余りました。
どうしようかと迷ったとき、初日のことがふと頭をよぎり、「今なら行けるのでは」と思い立ちました。
その結果、念願のお寺を訪れることができたのです。

その時、私は気づきました。
計画は必ずしも完璧に遂行しなくていい。
ダメならその時はその時。
チャンスが来たら活かせばいい。
でもあきらめない!
結果が同じなら、プロセスがグレーでも構わない。
そう思えた瞬間、肩の力がすっと抜け、気持ちが軽くなりました。
その後、地元の秋祭りで酔った人が写真を撮れないと通行人と揉めている場面に出くわしたときも、京都での気づきが頭をよぎりました。
「酔っぱらいは嫌だな」「祭りのノリってこういうものか」と思いながら静かに離れつつ、こだわりがかえって人に迷惑をかけている、みんな楽しんでいるのだから譲り合えばいいのになどと感じました。
旅行やお出かけにはトラブルや思い通りにいかないことばかり。
むしろトラブルがない、かえってスムースに進んでいるのは、誰かが自分の代わりに譲ってくれているからかもしれない。
そう思うと、ありがたさと申し訳なさが入り混じった気持ちが湧いてきました。

白と黒は確かにある。 でもそのあいだには必ずグレーがあって、さらにその外側には無数の色が広がっている。 そして、その色にはそれぞれ意味があるのかもしれない。
ならば、全部ひっくるめて受け止めてしまえばいい。 そうすれば、いろいろな視点から物事を見ることができるし、感じ方も考え方も変わっていく。 私はその旅をきっかけに、そう思えるようになりました。
そうして私は、「こだわり」を手放しました。
それが、この旅で得た一番の収穫だったのだと、今でも思っています。
あのとき思い切って京都へ“逃避行”できたことを、今では心から良かったと感じています。

今でも人混みや行列は得意ではありません。
けれど、それも旅やお出かけの醍醐味のひとつだと受け入れるようにしています。
せっかくの気分転換なのだから、イライラしていてはもったいない。
あの時の気持ちを忘れず、これからもお出かけを楽しんでいこうと思います。
そして、物事を白と黒だけで見ないこと。
その間にある無数の色を認めること。
それは旅行だけでなく、仕事や日々の暮らしにも通じる大切な視点なのだと、今では感じています。

