不登校に為りて、山河あり

不登校の親子を守る「声かけ言い換え」50選
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「国破れて山河あり」
これは、唐の詩人・杜甫の詩『春望』の一節です。
戦乱によって国は荒れ果て、人々の営みは壊れてしまった。
それでも、山や川はいつもと変わらずそこにある。
人間の世界のはかなさと、自然の変わらなさ。
そのコントラストが、とても静かに、そして力強く描かれています。
私は、この一節がずっと好きです。
高校の漢文の授業で初めて習って以来、今でもその美しさを時々思い返します。
杜甫のような戦乱はなくても、人間は常に悩みを抱える生き物です。
人生が少しうまくいかないだけで、すべてが崩れたように感じることさえあります。
不登校になったとき、引きこもっているとき、社会から少し距離を取っているとき、自分の世界は、とても狭く感じられます。
でも、ふと視線を上げると、空があり、風があり、そして山河があります。
世界は、思っているよりもずっと広く、人間の悩みなんてお構いなしにいつもと同じ姿を見せてくれます。
人間の悩みは、人間の中で起きています。
もちろんそれは当事者にとって切実なものでしょう。
でもそれは同時に、とても「人間的なスケール」の中の出来事でもあります。
自然のことを思うとき、少しだけ視点が変わります。
山は、何百年もそこにあり、川は、ただ流れ続けています。
そのスケールに触れたとき、自分の悩みが消えるわけではありませんが、そのスケール感が変わる気がします。
世界を包んでいた悩みが、顕微鏡で覗いていた小さな物であったと気づき、今の悩みもいつかは過ぎ去る物だと思えるようになります。
私の詩を作るとしたら、「不登校に為りて、山河あり」「引き篭もりて、山河あり」で始めるでしょうか。
どんな状況にあっても、世界そのものがなくなるわけではありません。
だから、どうにもならないときは、少しだけ外の世界を思い出してみることにしています。

