TJAR2026|7日12時間09分、415kmの先にあったもの
右膝への不安から、大浜海岸まで
2026年8月16日、12時09分。
富山湾をスタートしてから、7日12時間09分。
北アルプス、中央アルプス、南アルプスを越え、静岡・大浜海岸に到着しました。
距離は約415km、累積標高差は約27,000m。
ゴールした瞬間に感じたのは、大きな達成感というより、まずは安堵でした。
「終わった」
「無事に、ここまで来られた」
その気持ちが一番大きかったと思います。
2018年に完走してから8年。
その間には、中止になった大会も、抽選で出場できなかった大会もありました。
そして迎えたTJAR2026。
今回の挑戦を振り返ると、2018年との一番の違いは、走力そのものではありませんでした。
身体の状態を読み、先を予測し、その時点で必要な判断を続けられたこと。
つまり、「自己マネジメント」だったと思います。
これは、スタート前から大浜海岸までの記録です。
8月8日|魚津入り
8月8日11時、魚津入り。

富山駅までは新幹線、そこから在来線で魚津駅へ向かいました。
一人で魚津に入り、アパホテル魚津のデイユースを利用して仮眠。思っていた以上によく眠ることができました。
17時過ぎ、ミラージュランドで受付と必携品チェック。


開会式では選手紹介があり、安全祈願の祝詞が上げられました。
いよいよ始まる。

そんな気持ちはありましたが、スタート前に最も気になっていたのは、右膝でした。
約3週間前に出場したVOLCANO72で痛めた右膝。内側半月板、内側側副靱帯、脛骨の骨挫傷があり、スタートまでに走れる状態にはなっていたものの、万全とはいえませんでした。
特に不安だったのは、最初の馬場島まで続くロードです。
400kmを超える行程で、右膝がどこまで持つのかは分からない。
だからといって、スタート前から先のすべてを心配しても答えは出ません。
今の身体で、行けるところまで行く。
その中で状態を見ながら判断していく。


23時40分頃に移動を開始し、23時45分頃、早月川河口へ。
30人の選手が、日本海に向かって並びました。

8月9日0時|早月川河口スタート
8月9日0時、スタート。
天候は雨。気温は25℃ほどで、序盤から汗をかきました。
ほぼ最後尾からのスタートでしたが、焦りはありませんでした。
平地は1km6分30秒ほど。登りは歩き、下りは軽く走る。
速い選手についていくのではなく、自分の身体が最後まで動き続けられるペースを選びました。
まだ始まったばかりです。
ここで数分、数十分を稼ぐことより、何日も先まで動ける状態を残すことの方が大切でした。
沿道には多くの方が応援に来ていました。
馬場島へ向かうロードでは、前田圭紀選手に右膝の状態を伝えました。
不安が消えたわけではありません。
ただ、痛みがあるか、ないかだけで判断するのではなく、動きにどのような変化が出ているのか、悪化しているのか、進みながら見ていくつもりでした。
馬場島から早月尾根に入り、剱岳へ。


そこから大汝山、五色ヶ原、薬師岳、太郎平、黒部五郎、三俣山荘、槍ヶ岳をつなぎ、上高地を目指しました。





北アルプスは、TJAR全体で見ればまだ序盤です。
目の前の山を越えることだけでなく、その先の中央アルプス、さらに南アルプスまで身体をつなげなければなりません。
疲労、右膝、補給、睡眠、天候。
入ってくる情報を一つずつ整理し、先へ進みました。


8月11日0時過ぎ|上高地
上高地に到着したのは、8月11日0時過ぎでした。
北アルプスを越えた段階で、右膝には疲労が出ていました。
休んだあとに動き始めようとすると、膝が固まったように動きにくい。
そこで、ストレッチや自分でできる治療を行い、状態を整えました。
ここで大切だったのは、休めばすべて回復するわけではないということです。
長時間動き続けていると、休んだ直後の方が身体が動きにくいこともあります。
その感覚だけで「悪化した」と決めるのではなく、少し動いた時にどう変化するのかを確認する。
大正池ホテル前の自動販売機では、久しぶりにコーラを飲みました。
深夜にもかかわらず、知人が応援に来てくれていました。
その応援に力をもらい、上高地を出発しました。
上高地から薮原へ|走れるところは走る
上高地から先は、基本的に走りました。
天候は曇り。境峠までは強い暑さを感じませんでしたが、スーパーまるとへ下る頃には暑さを感じるようになりました。
沢渡からは、No.12鈴木亮士選手、No.29坪井伸一選手と時々一緒に進みました。
奈川渡ダムまでのトンネル区間を無事に抜けた時には、ひとまず安心しました。
スーパーまるとでは、おにぎり、スイカ、豆乳を補給。

冷水公園では、ペヤングとカップ麺を食べました。
長いレースでは、「食べられるうちに食べる」ことが重要です。
空腹になってから補給するのでは遅い。胃腸が止まってから一気に入れても、身体は簡単には戻りません。
この時点では補給できていて、右膝も何とか動いていました。
仮眠は取らず、8月11日10時頃、薮原駅のチェックポイントへ到着しました。
中央アルプス|進まないことも、前へ進む判断
14時頃、冷水公園から中央アルプスへ入りました。
入山時の天候は晴れ。
しかし、台風の影響を考える必要がありました。
予定どおり進むことだけが、正解ではありません。
稜線へ出る前に、約5時間停滞することを選び、そのうち約3時間を睡眠に充てました。
止まっている時間だけを見れば、大きなロスです。
それでも、危険な時間帯に無理をして稜線へ出るより、安全な場所で待ち、身体も休ませてから動く方が、結果として先へつながると判断しました。
行動を再開したあとは、強い風と雨。
それでも行動できる範囲で、身体の状態と右膝に大きな問題はなく、食事と水分も取れていました。
木曽駒ヶ岳、宝剣山荘を越え、空木岳へ。
空木岳を通過したのは13時10分頃でした。
下りでも走ることができ、中央アルプスを越えられたことに、ひとつ安堵しました。
駒ヶ根高原、菅の台バスセンターを経て、市野瀬へ向かいました。

8月13日6時|市野瀬。「ここから再スタート」
8月13日6時、市野瀬に到着しました。
ここで約3時間半の睡眠を取りました。
熟睡しすぎて、予定より30分寝坊しました。
それでも、身体の状態に大きな問題はなく、補給もしっかりできていました。
北アルプスと中央アルプスを越えてきましたが、自分の中にあったのは、「ここから再スタート」という感覚でした。
ここまで進んできた距離を考えるのではなく、南アルプスへ向かう新しい一日として考える。
過ぎた時間ではなく、今の身体と、これからの行程を見る。
それが長いレースで気持ちを途切れさせないためにも必要でした。
仙丈ヶ岳から熊ノ平へ|雨の中で眠る
地蔵尾根から仙丈ヶ岳へ。
登り始めには、選手一人ひとりの顔をプリントしたTシャツを着た応援団が待っていました。

8月13日13時頃、仙丈ヶ岳を通過。

天候は曇り。身体の状態は良く、眠気もありませんでした。仙丈小屋で給水し、仙塩尾根へ進みました。
この日の仙塩尾根では、すれ違った登山者は3人だけでした。
三峰岳でNo.9高木直之選手と合流し、そのまま熊ノ平へ。

熊ノ平に着く頃には雨が強くなっていました。
強い雨と風の音の中で、約2時間仮眠。
8月14日0時頃、再び行動を開始しました。
十分に眠れる環境ではなくても、今取れる睡眠を取る。
睡眠は、単に眠気を消すためだけのものではありません。
判断力を保ち、身体を動かし続けるための補給の一つでした。
塩見岳|眠気の先にあった朝日
塩見岳への登りでは、眠気が最大になりました。
そのまま我慢して進むのではなく、10分ほど仮眠。
短い睡眠でも、状態が変わることがあります。
塩見岳山頂は快晴。

雲海の向こうから昇る朝日を見ることができました。
つらさが消えるわけではありません。
それでも、あの景色は、夜の時間を越えてきた身体と気持ちを前へ向けてくれました。
8月14日9時20分頃、三伏峠に到着。
水を購入し、2018年の時の話をしました。
身体の状態は良好。時間にも、2018年より余裕がありました。
ただし、ここで安心しすぎることはできません。
南アルプスは、まだ続きます。

荒川岳、赤石岳|眠気と冷え

荒川岳から赤石岳にかけては晴れ、暑さがありました。
補給はできていましたが、眠気が出てきました。
赤石岳では風も強く、百間平で突然強い眠気に襲われました。
まず10分ほど休みました。
しかし、身体が冷え、動けない状態になりました。
そこでストックシェルターを使い、約1時間ビバークしました。
予定どおりに進めない焦りより、今の身体を戻すことを優先する。
ここで無理に動いても、身体も判断もさらに悪くなる可能性があります。
目を覚ました時に、No.12鈴木選手と合流。その後は一緒に進みました。
時間を確認し、現状であれば完走できると判断していました。
止まったことは、諦めたことではありません。
もう一度進むために、必要な時間でした。
聖岳、茶臼岳|南アルプスを越える
聖岳へは、No.9高木選手、No.12鈴木選手と行動しました。
登りは長く感じましたが、登り下りの動きに大きな問題はなく、右膝も動いていました。
聖岳は、南アルプス最後の大きな山です。

ここまで来られたことに安堵しました。
聖平小屋では、竹内さんと2018年の思い出話をしました。

8年前の記憶と、今ここにいる自分がつながる時間でした。
茶臼小屋では、選手の顔パネルを持った応援団と朝倉さんに元気をもらいました。


山の中で名前を呼んでもらえること。
待っていてくれる人がいること。
その一つひとつが、次の一歩につながりました。

8月15日16時30分頃|畑薙。「ここからがスタート」
畑薙に到着したのは、8月15日16時30分頃。
吊り橋では、父が応援してくれていました。
北・中央・南アルプスを越えました。
けれど、まだゴールではありません。
ここから大浜海岸までは、長いロードが残っています。
自分の中に出てきた言葉は、またしても、
「ここからがスタート」
でした。
17時30分頃、白樺荘へ。
入浴し、カップラーメンを食べました。


山を越えた安心感で気持ちを緩めるのではなく、身体を整え、次の区間へ向かいました。
井川、井川ダム、富士見峠を越え、大浜海岸へ。




ゴールが近づいても、意識するのは、そこまでの残り全部ではありません。
今の一歩を前へ出せるか。
次の補給まで進めるか。
身体の状態は変わっていないか。
最後まで、やることは同じでした。

8月16日12時09分|大浜海岸

8月16日12時09分、大浜海岸に到着。
記録は7日12時間09分。総合19位でした。
2018年に続き、2度目の完走です。

海に着いた瞬間、大きな達成感が一気に押し寄せたというより、まず出てきたのは安堵でした。
右膝に不安を抱えた状態でスタートし、雨、風、暑さ、眠気、冷えを繰り返しながら、最後まで身体を運ぶことができた。
そして何より、気持ちを途切れさせず、大浜海岸まで来られた。
2018年の完走から8年。
進んだことも、止まったこともありました。
うまくいったことも、失敗したこともありました。
食べられなかったこと。
眠れなかったこと。
身体を壊したこと。
無理をして失敗したこと。
反対に、休んだから動けたこと。
そのすべてが、今回の判断につながっていたのだと思います。
走り続けるために必要だったもの
今回のTJARで、改めて感じたことがあります。
長いレースを完走するために必要なのは、「どれだけ我慢できるか」だけではありません。
大切なのは、身体から入ってくる情報の意味を考え、行動を選び続けることです。
「脚が重い」
「眠い」
「食べたくない」
「膝が痛い」
同じ感覚でも、原因が違えば対応は変わります。
進むのか。
食べるのか。
眠るのか。
身体を整えるのか。
天候を待つのか。
その場の感情ではなく、安全を最優先に、補給と睡眠を考え、身体が動き続けられる状態をつくり、そのうえでペースを選ぶ。
市野瀬で3時間半眠ったこと。
中央アルプスの稜線手前で約5時間停滞したこと。
塩見岳の登りで10分眠ったこと。
百間平でビバークしたこと。
どれも、その瞬間だけを見れば「止まった時間」です。
しかし、415km全体で見れば、前へ進むために必要な判断でした。
経験とは、レースの回数や走った距離だけではないと思います。
「こうなるだろう」と予測し、実際の結果を見て、次の判断を修正してきた履歴。
その積み重ねが、今回の自己マネジメントにつながりました。
415kmを支えてくれたもの
今回の旅は、自分一人の力だけで完結したものではありません。
山の中で、街の中で、深夜や早朝にもかかわらず応援してくださった皆さん。
大会を支えてくださったスタッフ、関係者の皆さん。
一緒に進んだ選手の皆さん。
日頃から支えてくれた家族、仲間、そして応援してくださったすべての方へ。
本当にありがとうございました。
7日12時間09分という記録だけでは表せない、多くの出会いと判断の積み重ねがありました。
ゴールして終わりではなく、この経験を、身体のこと、走ること、挑戦を続けることとして、これから伝えていきたいと思います。
そして2年後。
また、あのスタートラインに立ちたいと思っています。
