「去るものを追わず、来るものは “だいたい“ 拒まず」
「来るものは拒まず、去るものは追わず」中国戦国時代(紀元前300年頃)の思想家「孟子」の逸話が基とされています。
孟子の弟子が盗みの疑いを掛けられたとき、孟子は「自分は弟子に関して『往く者は追わず、来る者は拒まず』という態度をとっているから、いろいろな人間がいてもおかしくない」と述べたことが由来と言われています(諸説あり)。
「来るものは拒まず」は、「人間としての度量の大きさ」「懐の深さ」を示す。「去るものは追わず」は「ビジネスライクに割り切れる性格」という意味で使われることもある。
さて、この記事のタイトル「去るものは追わず、来るものは “だいたい“ 拒まず」は、僕の主に仕事上の対人スタンスです。
まず「去るものは追わず」、孟子の逸話に由来するこの言葉は、僕がマネージャー職を務めていた時期に退職したいという社員を慰留して、結果良かった試しがないという経験則も手伝い腹落ちします。
退職希望者を慰留することは短期的に見れば業務の継続性を担保できるかもしれませんが、中長期で見た場合にはメリットは少ないと思います。
退職したい理由にもよりますが、給与や仕事内容を理由に辞めたい人間を引き止める行為は残る人間のモチベーションを下げかねないです。特別な条件交渉に応じた場合などは、その弊害はさらに大きくなります。
もちろん退職理由が、出産・育児、親の介護、あるいは職場内のハラスメントの場合などは、全く事情は異なるため問題解決に向けて伴走します。
そして「来るものは “だいたい“ 拒まず」、これは僕なりのアレンジです。
「いや来るもの全部受け入れるのは無理だわ」、これが50年弱生きてきた正直な感想です。
拒む理由は色々、もう言語化できない"好き嫌い“みたいな理由もあるし、それでも良いと思ってる。だって人間だもの(みつをか!)。
マネージャーになったころは、何事も妥協せずに、“こうあるべき“という思考が働きやすく自分にも周りにも理想を求める傾向がありました。
マネージャーであるからには、どんな部下のことも最後まで見捨てずに親身になり成長を助ける必要がある。
ただ自己満足だったな、と今は思います。そもそも部下がみんな、それを求めている前提も今になって考えると気持ち悪い…。
それだけの熱量で接したことでお互いに深い信頼関係を構築できた相手もいます。
ただ逆に今も僕に対して苦手意識を持っている元部下もいると思います。
年齢を重ねるごとに時間が有限であることを思い知らされます。
仕事だけでなく、家庭やプライベートの時間も大切にしたい、価値観も変わってきました。となると来るもの全部拒まずは厳しい、そもそも孟子みたいになろうとすること自体が無理ゲーなんですよね。
だから「去るものを追わず、来るものは “だいたい“ 拒まず」でオーケー、そう言葉に出すだけで少し気持ちも軽くなる気がします。
みんなが去っていって、来るものも選り好みしてたら周りに誰もいなくなるんじゃないかって?
そうなったら家族と、そしてnoteと向き合う時間を増やせて一石二鳥というやつです(笑)。
