見出し画像

第33話 古代史 大和の開闢と高句麗の建国はほとんど同時期だった?!

今回も前回までの続きとして「東アジアにおける日本列島」の歴史の背景を考察していきたいと思います。

高句麗が朱蒙によって建国されたのは3世紀半ば頃になると思われますが、では、「日本」という国の開闢の時期はいつでしょうか?

日本書紀や古事記などの史書では2600年以上も前に神武天皇が即位したことをもって「日本」という国が開闢したことになっているのですが、卑弥呼自身が日本の最高神とされている天照大御神と同一視されてもいて、神武天皇と崇神天皇と応神天皇が同一視され、また、魏志倭人伝に記載の卑弥呼の「男弟」とも同一視できると思われますので、こうした文脈から、日本列島における統一国家である「ヤマト」、つまり、「日本」という国の本格的な開闢の時期は卑弥呼の時代である3世紀前半頃であろうと思われます。

つまり、

「日本」という国の開闢の時期と高句麗の建国の時期はほとんど同時期だったと思われます。

そして、時の経過と共に読み方や漢字表記の変換が繰り返された結果、様々な呼称や表記が発生していったと思われますが、前掲した通り、下記の国名または地名は全て語源が同じであると思われ、

高句麗(貊、狛、句麗、高麗、コウクリ、コマ)、貊句麗(ボクリ、ボケリ)、渤海

新羅(白来、シラギ、コマ)

百済(伯済、句国、旧国、クダラ、コマ)、居陁羅(クダラ)、弓月(クンダル)

日本(日出処)、蓬莱国(ホウライコク)、伯耆(母来)、日向、常陸(日高見、日出、日立)、狗奴国(クヌナラ、クナラ)、球磨(クマ)、熊野、藤原
※ 伯耆の地域は出雲の文化圏であったとされ、7世紀になってから律令制の元で伯耆国として設置されました。

いずれにしても、中華から見た時の「日出処(ヒイズルトコロ)」という観念には朝鮮半島も含まれていたものと思われます。

これらのことから、日本を含む東アジアの歴史についての非常に重要な一つの仮説が見えて来ると思われます。


※本投稿のヘッダー画像の引用:
ホンディウス作「中国図」
九州国立博物館所蔵 国立文化財機構所蔵品統合検索システムより

いいなと思ったら応援しよう!