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第32話 古代史 高句麗建国の時期は新約聖書に合わせられた?!本当はいつ?!

今回も前回までの続きとして「東アジアにおける日本列島」の歴史の背景を考察していきたいと思います。

高句麗の建国神話も古代エジプト文化や古代ユダヤ文化を含む「総体としての西方文化」の影響を受けていると思われ、高句麗はクレオパトラ七世の自死によってプトレマイオス朝が滅亡した頃、キリストが誕生する少し前に朱蒙によって建国されたと伝わっていますが、結果的にその建国時期や朱蒙が生きたとされる時期はキリスト誕生の少し前となってはいるものの、本来的にはその建国時期や朱蒙が生きたとされる時期はキリストの誕生やキリストが生きた時期に合わせられていた可能性があり、正確な暦を持たなかった時代に作成された建国神話であるために、その建国時期や朱蒙が生きたとされる時期とキリストの誕生やキリストが生きた時期との間に少しズレが生じたものと思われます。

いずれにしても、伝えられている高句麗の建国時期や朱蒙が生きたとされる時期はキリストの誕生やキリストが生きた時期に合わせられた可能性があり、それは朱蒙が生きた本当の時代や朱蒙が高句麗を建国した本当の時期ではないのではないかと思われます。

では、朱蒙が生きた本当の時代や朱蒙が高句麗を建国した本当の時期はいつなのでしょうか?

百済の建国時期がヒントになるかと思います。
まず、百済を建国した温祚王は朱蒙の子とされ、百済の王統は高句麗の王統と同じく扶余に起源を持つ、扶余に繋がる王統とされていますが、私はこの説を支持します。
そして、百済の建国時期については、現在、韓国では3世紀後半とする説が最有力とされていて、それに従えば、朱蒙は百済を建国した温祚王の父とされますので、高句麗を建国した朱蒙は3世紀に生きた人物であり、高句麗が建国されたのは3世紀半ば頃となる、
そのように考える余地があると思われます。

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