エンゲルス ビスマルクとドイツ労働者党
1881年7月23日付の『ザ・レバー・スタンダード』紙に掲載されたフリードリヒ・エンゲルスの社説「ビスマルクとドイツ労働者党」の内容です。
この資料は、ドイツ宰相ビスマルクによる社会主義者鎮圧法下の激しい弾圧の実態と、それに対する労働者党の驚異的な躍進、そしてイギリスの新聞の沈黙の理由を鋭く分析したものです。主な内容は以下の通りです。
1. イギリス新聞の沈黙とアイルランド問題
エンゲルスは、イギリスの中間階級の新聞が、ビスマルクによるドイツ労働者への暴虐行為に対して沈黙を守っていることを指摘しています。
二重基準の回避: イギリスの新聞が沈黙する理由は、ビスマルクの弾圧を攻撃すれば、同時にアイルランドにおけるイギリス政府(フォースター氏)の弾圧措置をも非難せざるを得なくなるというジレンマがあるためです。
2. 社会主義者鎮圧法による徹底的な弾圧
1878年の皇帝狙撃事件をきっかけに制定された「社会民主党を法の外に置く法律(社会主義者鎮圧法)」の下で行われた凄惨な実態が詳述されています。
組織の破壊: 54の労働者新聞が禁止され、協会やクラブは解散、基金は没収されました。
追放の恐怖: 「特別事態宣言」が出されたベルリン、ハンブルク、ライプツィヒなどの都市では、警察が社会主義の宣伝を疑う者を誰でも追放できる権限を得ました。
家庭の破壊: プロイセン警察はあえて家族持ちの人間を標的にして追放し、数千人の労働者家族を絶対的な困窮へと追い込みました。
警察の専横: 警察は党員の妻や娘に対して極めて不当な取り扱いをし、昇進のために司法と結託して「新しい犯罪」を発明してまで弾圧を強めました。
3. 驚異的な犠牲者数
1879年10月から1年間のプロイセンだけで、政治的な理由で投獄・処罰された者は合計で1万1202人に達しました。
大逆罪や不敬罪などで処罰された者が1118人、ビスマルクへの侮辱や政府誹謗などで処罰された者が1万94人にのぼります。
4. 弾圧に屈しない労働者党の躍進
これほどの弾圧にもかかわらず、ドイツ社会民主労働党は勢力を衰えさせるどころか、さらに強固な組織へと成長しました。
得票数の増大: 1877年の50万票から、1878年には60万票へと急増しました。
地方選挙の勝利: マンハイムの市議会選挙では、労働者側の候補者16名全員が3対1の圧倒的多数で当選しました。
ベーベルの当選: 指導者の一人であるベーベルは、選挙委員会の全員が追放されるという妨害を受けながらも、ザクセン議会選挙で大差をつけて当選しました。
5. 弾圧がもたらす歴史的必然性
エンゲルスは、ビスマルクの弾圧はアイルランドにおけるイギリスの失敗と同様に、何の効果ももたらさないと結論づけています。
非合法手段への誘導: 合法的に意見を主張する手段を一切奪われた人民が、やがて「非合法手段」に訴えるようになるのは避けられないことであり、その責任は弾圧を行う側にあると警告しています。
この社説を通じて、エンゲルスはビスマルクの「鉄血」による支配が労働者の団結を強める結果にしかなっていないことを示し、イギリスの労働者に対してもその戦いから学ぶよう促しています。
