新型キックスから読む日産の物語
(文中敬称略)
第1章 カルロス・ゴーン逮捕から8年、日産は今どこにいるか
2026年6月18日、日産自動車から新型キックスが発売された。
この記事ではキックスについての評価を行うが、試乗インプレッションは後回しにさせてもらう。なぜなら、このクルマを正しく理解し、評価するには、まず2018年まで時計を戻さなければならないからだ。

新型キックスは2026年に脈絡もなく突然現れた一台ではない。本質的には世界中のどのクルマも同じだが、製品と経営状況は密接に関係している。特にここ数年の日産のクルマを理解・評価するには、最低限この会社が、2018年からの8年間で何を失い、何を守り、何を諦めて来たのかを知らねばならない。もっと言えば半世紀を超える長い激動の時間の流れの中で転落と復活を繰り返した歴史上の、今この瞬間にこのクルマは存在している。
日産は今、このキックスで、失った何を取り戻そうとしているのか。そしてそれが果たせたのかを考えたい。だから今回の主役はキックスでありながら、同時に日産という会社そのものでもある。
その意味でキックスは「答え」ではないし、「起死回生の一台」でもない。2026年という時点での日産が、現在どのような健康状態にあるのかを示す経過観察の結果なのである。
こういう書き方をすると、「たかが一台の新型車にそこまで話を広げる必要があるのか」と思われるかもしれない。しかし企業というものは、突然変わることはない。今日発売された商品は、数年前の経営判断の結果であり、その経営判断はさらに数年前の企業体質や経営環境に影響を受けている。商品は企業活動の最終成果物であると同時に、その会社の歴史や意思決定を映し出す鏡でもある。だから新型キックスを評価するということは、同時に2026年の日産という企業を評価することでもある。口はばったいことを言えば、この記事を読み終わった時にはその意味がわかると思う。というかそうすべく書くつもりだ。
そしてもうひとつ、この機会にやっておきたいことがある。
振り返れば、この8年の間、筆者は折に触れて日産について書き続けてきた。2018年11月、カルロス・ゴーン逮捕直後には短期集中連載を書いた。その後も決算のたびに経営分析を続け、中国市場の変化を書き、EV論争を書き、SDV論争を書き、レジリエンスについても繰り返し論じてきた。
それぞれの時点では、そのとき起きている出来事を説明するための記事だった。しかし、それらを時間順に並べると、単なるニュース解説ではなく、一つの企業の変遷を記録した長期観測記録になるはずだ。リアルタイムでは見えにくかった因果関係も、数年という時間を経ることで、ある意味答え合わせが済んだ一本の物語として振り返れるようになった。せっかく蓄積してきた観測記録を、そのままアーカイブに眠らせてしまうのは惜しい。今回はそれらを現在の視点で再構成しながら、「2018年から2026年までの日産の物語」として読み解いて、その現時点での評価をキックスのインプレッションで締める、という形にしたいと思う。
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では時計を2018年へ戻そう。始まりはカルロス・ゴーンの逮捕、ではない。その何十年も前から何度も問題は表面化していた。ゴーン逮捕という事件は、長い物語の途中で起きた出来事のひとつに過ぎなかった。
第2章 社内抗争に溺れた日産をゴーンが救った

2018年11月19日、当時日産の会長だったカルロス・ゴーンが金融商品取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された。世界中のメディアはこのニュースをトップで報じ、「日産に何が起きたのか」という論調で一斉に騒ぎ始めた。
報道では、彼の報酬や私的流用疑惑ばかりに焦点が当たっていた。しかし、そうした個人スキャンダル報道では、日産という法人の問題は説明できない。そこで筆者はまず、個人の部分に関して金融商品取引法違反や特別背任とは何か、企業の資産とは何かという基本から整理し、その上で「資本主義経済に対するテロ行為」と表現した。興味があれば、ITmediaビジネスの短期連載「ゴーン問題の補助線」にまとめてある。
第1回「資本主義経済に対するテロ行為」
第2回「日産リバイバルプランがもたらしたもの」
第3回「フランス政府の思惑」
第4回「ガバナンスの失敗」
その一方で、刑事事件と経営評価は分けて考えるべきだとも書いた。法に触れたのであれば、その責任は司法の場で問われればよい。しかし、それとは別に、「カルロス・ゴーンという経営者は何を残したのか」という問いもまた避けて通れない。
そこを考えるには時計をさらに1999年まで戻す必要がある。現在では信じられないほど忘れ去られているが、ルノーが資本参加した当時の日産は、文字通り瀕死だった。
数字をみれば明らかで、1990年代を通して黒字を確保できた年は数えるほどしかなく、有利子負債は2兆円を超え、このままでは自力再建は極めて難しい状況に追い込まれていた。金融機関の支援が止まれば、それはすなわち死刑宣告という瀬戸際。あの時代の日産は、それほど深刻な経営危機の中にあったのである。
では、なぜそこまで悪化したのか。当時の記事で筆者は、その原因を社内のセクショナリズムに求めた。
1966年の合併に遡る旧日産系とプリンス系の対立、学閥、系列、労使の癒着。甚だしきは経営が労組に乗っ取られたことまであった。それぞれが自らの組織を守ることを優先し、本来ワンチームであるべき会社の中に、いくつもの会社が存在しているような状態だった。その権力闘争の結果として、同じクラスのクルマを別々のチームが開発し、同じような技術を重複して持ち、意地の張り合いで工場もプラットフォームも必要以上に増え続ける。競争相手と戦う前に、社内でエネルギーを損耗していた。一言でまとめれば、日産の歴史は社内抗争の歴史だったのである。
ゴーンが最初に着手したのはまさにその、社内抗争が生んだ歪んだ複層構造の改革だった。工場を減らし、プラットフォームを統合し、販売会社を整理し、人員削減を断行する。この日産リバイバルプランによって営業利益は急速に改善し、有利子負債も大幅に圧縮された。

実際の数字を見てみよう。日産リバイバルプランによって営業利益は1999年度の830億円から2000年度には2900億円、2001年度には4900億円へと急回復した。営業利益率は7.9%に達し、有利子負債も2兆1000億円から4350億円へと圧縮されている。
要するに、借金を返しながら利益を増やし、営業利益率まで教科書が求める水準へ引き上げたのである。まさに魔法のような手腕だった。経営指標だけを見れば、その改革は稀に見る成功だったと言っていい。
だから当時の筆者は、ゴーン改革そのものを否定はしなかった。あの時点の日産には、財務を軸にした何らかの大手術が必要だったことは間違いない。もし改革が行われなければ、日産という会社そのものが消えていた可能性は高かった。しかし同時に、この大成功は一つの大きな問題を産んでいる。
この改革は確かに日産の財務的な危機を救った。しかし、その後の日産が「何を最も大事にする会社」になるのかという中期的目標が取り残された。
今、2026年という現在地から振り返ると、ここで取り残された問題が、いかに大きな影を日産に落としていくのかが見えてくる。財務面での成功体験に酔った日産は、「何を大事にするか」を考えることを忘れ、成功したメソッドに夢中になって、ひたすら「もっと効率のよい経営を」と暴走し始めるのである。
第3章 財務の成功で痩せ衰えていく商品群
端的に言って、日産リバイバルプランの成功は、S評価でもよいと思う。しかし問題は、危機を脱した後も、その非常時の経営手法が平時の経営思想として残り続けたことだった。
本来、財務再建とは会社を再び「商品で戦える状態」へ戻すための手段である。借金を減らし、利益を出し、将来へ投資する余力を取り戻したなら、次にやるべきことは「商品開発力の再建」だったはずだ。ところが日産では、財務効率を高めることそのものが経営の中心となり、商品や販売網、開発リソースは数字を作るための従属変数になっていったように見えた。非常時には正しかった財務指標というKPIが、そのまま平時にも最上位に置かれ続けたのである。
しかも不幸なことに、商品への投資が減っても影響はすぐには表れない。商品開発は数年単位の仕事だからだ。今日の販売は数年前の開発投資の成果であり、今年削った開発費の影響が数字になって現れるのはさらに数年後になる。だから財務指標だけを見ている限り、しばらくの間は支出だけが減って収入はそのまま、経営は極めてうまくいっているように見える。
すでに売っている商品があり、ブランドの蓄積があり、販売店には既存顧客がいるうちは困らない。その裏側では、次の商品、その次の商品へと繋がる投資が少しずつ削られていく。これが5年、10年と積み重なれば、商品力は確実に痩せ、ブランド価値は下がり、顧客は店から遠ざかっていく。BtoC企業にとって商品開発への投資を削ることは、未来の売り上げを削ることと同義なのである。

その変化は日本市場にはっきり現れた。普通の乗用車のラインアップは次第に薄くなり、モデルチェンジの間隔は伸び、商品力の更新が追いつかなくなる。一例として、マーチは2010年以降、新興国向け企画へとシフトし、海外生産車を国内へ投入する形となり、国内コンパクトカー市場では厳しい戦いを強いられるようになった。ヒット作だったジュークも長期間モデルチェンジされず、コンパクトSUV市場が世界的に拡大する中で後継商品の投入は遅れた。かつての看板モデルだったプリメーラやセドリックも静かに消える。
これらの背景には、「日米で削った分の開発リソースを、新興国戦略へ振り向ける」という経営判断があった。中国市場の躍進を見た結果、次の成長マーケットにいち早く着手することで「人とカネを、効率良く儲かる市場に投下しよう」ということだ。その象徴がダットサンプロジェクトだった。
2012年、日産はインド、インドネシア、ロシアなどの成長市場での大量販売を目指してダットサンブランドを復活させ、翌2013年にはインドネシア第2工場を稼働させるなど、本格的な投資を進めていく。所得が伸び始めた市場へ徹底してコストを下げたクルマを投入し、大量販売によって収益を確保するという構想である。
財務の視点だけで見れば、実に魅力的な戦略だった。既存資産を活用し、装備を簡素化し、低コストで大量に売ることができれば、少ない投資で高い収益が期待できる。

しかし現実はそうならなかった。自動車は価格だけで売れる商品ではないからだ。新興国の顧客も、限られた予算だからこそ少しでも価値の高い商品を選ぶ。安価であることと、価値があることは決して同義ではない。安いが魅力がないダットサンのクルマは市場から拒否され、販売計画を大きく下回る結果となった。
その一方で、日本では2012年頃から国内への新型車投入は目に見えて細り始め、2013年以降はその傾向がさらに強まり、2015年、2016年にはブランニューモデルが1台も発売されないという異例の状況に至った。
日産は、これまで利益を生み出してきた日本と北米の商品開発を抑え込み、その原資を「もっと儲かる」と期待した新興国戦略へ振り向けた。しかし、その賭けは実を結ばなかった。
ダットサンブランドは期待した販売規模を実現できず、わずか7年後の2020年にはインドネシアの第2工場のみならず旧来からあった第1工場までも閉鎖するとともに事実上終焉を迎える。この不発プロジェクトのために、日産は主戦場の商品開発に充てる「取り返しのつかない時間」を失ったのである。
新興国での拡大に挑戦すること自体は悪くない。しかし、日米で行うはずの開発投資をその原資にしたことは重大なミスだった。挑戦の失敗によって、日産は新興国での損失に加え、主戦場の商品競争力まで失うという二重の損失局面へ入っていく。

ここで「商品力の問題」をもうすこし具体的に考える。問題の所在は個々の商品ではなく、会社全体として継続的に商品を育てる仕組みである。
BtoC企業に必要なのは、数年に一度の話題作ではない。例えば新型GT-Rが発売されれば、世界中でお祭り騒ぎになるだろう。もちろんブランドアイデンティティのためにはそういうことも必要だ。
けれども、その大事なブランドを続けていくためにもさらに優先されるべきなのは、各市場で必要とされ、会社のメシの種になる商品、数が売れて利益を稼ぐクルマである。後にこうした一群のクルマが「コアモデル」と定義されることは後述するが、そしてそういう車種の商品力を上げるには、必要なタイミングで装備やデザインを更新し、「古くなった」という印象を与えないように、途切れることなく市場へ送り出し続けることである。
そのためには商品企画、設計、生産、販売までを含めた長い投資の連鎖が欠かせない。しかし各期、あるいは各四半期での財務KPIが最優先になれば、その連鎖は「短期での採算」という物差しで寸断される。そうして会社は少しずつ商品で戦う力を失っていく。
ゴーン改革が日産へ残した大きな影は、コストを削ったことそのものではない。財務再建で驚異的な成功を収めた結果、その成功を生んだKPIを誰も疑えなくなったことにある。危機を乗り越えるために採用した非常時の評価軸が、危機を脱した後も経営の常識として残り続けた。
経営指標が良ければ、その間に商品が痩せていることは見落とされやすい。しかし自動車メーカーは金融会社ではない。BtoC企業が商品で戦わなくて、一体何で戦うのか。その当たり前の原則を日産が取り戻すまでには、さらに長い時間が必要になるのである。
第4章 商品力はすぐには戻らない
2018年のゴーン逮捕以降、日産は長い混乱期に入る。社内では経営体制の再構築が続き、ルノーとの関係も揺れ動き、中国市場では競争環境が激変し、新型コロナウイルスの世界的流行も重なった。加えてウクライナ紛争。もちろん、それらは日産だけが直面した問題ではない。しかし日産の場合、それら外部環境の変化へ対応するための基礎体力そのものが、すでに大きく低下していた。
ここで改めて思い出してほしい。第3章で述べたように、商品開発とは数年単位の仕事である。今年発売されるクルマは数年前の経営判断の結果であり、今日経営が迷えば、その影響は数年後の商品となって現れる。つまり2018年以降の日産は、嫌も応もなくゴーン体制下で積み重なってきた課題を抱えたまま、新しい時代へ突入することになったのである。
しかも経営トップが交代したからといって、その瞬間から商品が変わるわけではない。開発中の車種は途中で造り直せない。工場も販売網も、サプライヤーとの関係も、一朝一夕には変えられない。巨大企業であるほど慣性は大きい。だから経営改革には時間がかかるし、その成果が商品として現れるまでにはさらに時間が必要になる。この時間差を理解しないと、「経営者が替わったのに、なぜ日産は変わらないのか」という疑問が生まれる。
実際には、変われないのではない。変えようとしても、過去の経営判断が未来の商品を予約してしまっているのだ。これは自動車産業という巨大装置産業の宿命でもある。
だから2018年から2026年までの日産を見て、「8年間何もできなかった」と評価するのは正確ではない。実際には、その多くの時間は失われた商品競争力を立て直すための準備期間でもあった。ただ、その準備期間も市場は待ってくれない。世界では電動化が急速に進み、中国メーカーは想像以上の速度で成長した。ソフトウェア開発競争も激しくなり、ADASやコネクテッドサービスへの投資規模は年々膨らんでいく。一方で、従来型の内燃機関車についても排出ガス規制や安全規制は厳しさを増し、どのメーカーも開発負担は重くなる一方だった。つまり立ち止まること自体が後退を意味する時代になっていたのである。
そうした状況で日産が直面した現実は厳しかった。商品ラインアップには空白が目立ち、販売店には売るべき新商品が十分に供給されない。話題も活気も失われ、ブランドの存在感が下降線をたどったのも無理はなかった。販売台数が落ちれば開発投資も苦しくなる。開発投資が不足すれば商品力はさらに低下する。この悪循環を断ち切ることこそ、日産の経営陣に課せられた仕事だった。

2020年に入るとようやく新型車が投入され始めた。前年12月に就任した内田誠社長(当時)の下、2020年5月の決算発表で6712億円の赤字を計上した日産は、「NISSAN NEXT」を掲げ、18か月で12モデルの新型車投入を打ち出した。その後の日産にはアリア、ノート、エクストレイル、セレナなど、遅まきながら新しい世代の商品が少しずつ揃い始める。
もちろん個々の成功や課題については様々な評価がある。しかし重要なのは、その評価そのものではない。長く止まっていた商品開発の歯車が、ようやく再び回り始めたという事実である。商品で勝負するメーカーにとって、それはスタートラインへ戻るための最低条件だった。
ここで、どうしても整理しておかなければならない出来事がある。経営そのものというより、市場の誤解が生み出したノイズについてである。
新型車不足で販売戦略をもっぱら値引きに頼っていた日産は、コロナ禍による世界的な自動車の供給不足で一度“小さく”V字回復した。やっとの思いで新型車を並べ始めたところで、突然需給が締まったおかげで値引きせずにクルマが飛ぶように売れたのだ。
そこまでは良かったのだが、この間、品不足でパニックに陥った米国販売店の過剰発注が原因で、需要に供給が追いつき始めると途端にディーラーで車両がダブついた。V字回復の反動がきたのである。在庫過多でキャッシュフローが悪化した販売店は値引きで切り抜けようとし、せっかく刷新された新型車の高付加価値ビジネスを崩してしまった。いわゆる過大インセンティブである。これによって日産は2024年度の第1四半期決算で営業利益の99%ダウンを喫する。
実態としては、最大の懸念材料であった商品の刷新は確実に進展しており、過大インセンティブ問題さえ対処すれば回復できる一過性の問題だったのだが、これをメディアが「日産の利益が99%ダウン」と面白おかしく切り取って広めた結果、日産の経営危機説が急速に広まった。筆者の責任で断言しても良い。この時点での「日産経営危機」報道は限りなくデマに近いものだった。
ところが市場はこれに反応し、そこに極めて運が悪い悪いタイミングでホンダとの提携話が加わったことで「瀕死の日産をホンダが救済」という事実無根のナラティブが出来上がったのである。公式説明では、例えばVtoXの統一規格など「数をまとめないと主導権が握れない」技術について、かつてのVHS連合の様な緩やかな協力体制を築きたいという話に過ぎなかった。しかし降ってわいたナラティブによって、一方的に「往生際が悪いダメ企業」のレッテルを貼られ、立て直しの道半ばで内田社長は退任を余儀なくされた。詳細は過去記事「『日産・内田社長の責任』を問う、無責任な各位へ物申す」にあるので詳述は省く。
さて、ノイズの説明はこのくらいにして本題に戻ろう。
新型車がリリースされ始めたことは朗報ではあるが、それだけではまだ十分ではなかった。第3章で見てきた問題は、新型車が出なかったことではない。財務指標が経営の中心となり、本来会社の存在理由である商品が従属変数になってしまったことだった。だとすれば、本当に立て直さなければならないのは新型車の台数ではない。経営そのものを、もう一度商品中心へ戻すことだ。

内田社長の後を受けたイヴァン・エスピノーザ社長は、その方向性を、「Nissan Vision」という形で明確に打ち出した。筆者がその資料を読んで最も印象に残ったのは、販売台数でも利益率でもない。商品そのものを経営の中心へ据え直そう、というごくまっとうな、しかし日産にずっと失われていたBtoC企業としての本筋である。
その象徴が、商品群を4つに分類した考え方だった。従来の商品戦略は、市場規模や販売台数、採算性といった尺度で語られることが多かった。しかしNissan Visionでは、商品を「HEARTBEATモデル」「コアモデル」「グロースモデル」「パートナーモデル」という4つの役割で整理している。ここで重要なのは分類名そのものではない。それぞれの商品が会社の中でどのような役割を担うのかを、経営として先に定義したことである。

例えばHEARTBEATモデルはブランドの象徴であり、コアモデルは日産の経営を支える中核商品、つまり会社のメシの種。グロースモデルは将来の成長を担う戦略的モデル、パートナーモデルは協業によって商品ポートフォリオの歯抜けを補完し、利益を上乗せする。これらは単なる商品企画上の分類ではない。会社として「なぜこの商品を持つのか」を最初に決め、その役割に沿って投資し育てていくという経営思想の中核そのものである。
筆者がここに注目した理由はもうお分かりいただけるだろう。第3章で見てきたように、かつての日産は財務指標を最優先にした結果、商品が経営の従属変数になってしまった。採算性だけを物差しにすれば、商品は簡単に整理・縮小の対象になり得る。しかし商品を会社の骨格として位置付ければ、短期的な数字だけを理由にその存在意義を判断することはできなくなる。もちろん市場環境が変わればモデルの統廃合は今後もあるだろう。しかし少なくとも、「この商品は会社にとってどんな意味を持つのか」という問いを最初に置く発想へ戻ったことには、大きな意味がある。
言い換えれば、これは商品戦略の話であると同時に、経営思想の話でもある。自動車メーカーは商品で飯を食う会社である。その当たり前を改めて経営の中心へ据え直そうとしたことに、筆者はNissan Visionの本質を見ている。
もちろん思想を掲げただけで会社が変わるわけではない。商品開発には時間がかかる。工場も、人も、技術も、販売網も、一夜で変わることはない。しかし経営のコンパスが財務から商品へ向き直ったのであれば、その成果はいずれ商品となって現れるはずである。
少々メタな話になるが、その思想が現実の商品としてどこまで結実しているのか。その現在地を測る最新の材料が、新型キックスという存在なのである。これは起死回生を狙った奇策ではない。失われた8年間を経て、商品を軸に会社を立て直そうとする日産が、現在どこまでその思想を実体化できているのか。その答えを、キックスというクルマから読み解いていこう。
第5章 新型キックスは何を語っているのか

さて、ようやく今回の主役である新型キックスに話を移そう。キックスは4分類で言うコアモデルであり、日産の利益を担う大黒柱となるべきクルマである。
結論から言えば、新型キックスには「商品力回帰」が現実になってきたことを感じさせる。それは明確だ。一方で率直に言って「商品力自体の課題」もまだ残る。具体的に見ていこう。
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