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「今日何を食べるべきか」から始める、AIとのおいしい付き合い方

 本稿は、AIについて何か新しい論考を書こうとして始まったものではない。

 きっかけはもっとずっと日常的だ。最初は「今日は何を食べるべきか」という、ごくありふれた相談だった。


 筆者は、この春くらいからぼちぼちとAIの使い方を試してきたのだが、ここ一週間ばかり、そのAIと「食事や買い物について」ずいぶん時間をかけて対話してきた。その始まりを具体的に言えば、出張で少し食べ過ぎた日があり、翌日にあまり腹が減らず、昼飯を抜くべきか、HbA1cの管理のためには、定期的に軽く何か食べるべきか、あるいは夜まで待つべきか、ぼんやりとそんな健康管理を頭に描きながら、ポツリポツリと相談していたのである。ちなみに本稿でAIと呼んでいるものは、OpenAIのChatGPT(GPT-5.5)である。

足りないのは知識じゃない、環境だ

 もちろん、大筋において、健康のためにどうするべきかを筆者が知らないわけではない。野菜は食べたほうがいい。タンパク質も必要だ。炭水化物と脂質ばかりに偏れば太る。そんなことは分かっている。たまにしたり顔でそういうアドバイスをくれる人がいるが、「常識を常識と認識できない人なのね」とすら思うことがある。少なくとも筆者に関して言えば、生活習慣病と付き合うに当たっての問題は、知識が足りないことではない。

 翻って筆者だけの話ではなく、人という生き物は、分かっているからと言って、知識に基づいて合理的な行動ができるとは限らない。むしろ「ホントはそうしたほうがいいのだけれど」と言いつつ、実行に至らない生活が続いてしまうものなのだ。人間の意思はそこまで強くない。筆者はそこにAIを活用する可能性を見たのである。

 だから、最初にAIに期待したのは、いわば「ゆるい圧力」だった。仕事のストレスが高くなると、筆者は食事を抜いたり、逆に暴食をしたり、あるいはコンビニのお菓子を机の上に積み上げて自分を鼓舞したりしがちである。そういう時にAIが横から軽く「今日は少し野菜を足しておいたほうがいいかもしれませんね」と声をかけてくれれば、生活は少し整うのではないかと思った。「本当はこうしといたほうがいいよね」が頭の片隅にあると、わずかでも行動に影響を与えることを期待したということだ。

AIの提案を先回りすることは容易い。筆者の好物でもある学芸大学シェフズマーケットのラージサラダ・アボカド入り。要するに「こういうの食ってれば褒めるんでしょ」な感じだ。これに関しては美味しいからいいけれど(トップ写真ともに:筆者)

 ところが実際にそれをやってみると、思わぬところで強い違和感が出た。

「あーもう、わかってるよ!」

 AIは悪気なく「野菜を食べましょう」「汁物を付けましょう」「タンパク質を意識しましょう」と勧めてくる。最初は普通に従っていた。しかし数回もやり取りすると、その提案はすぐルーティン化してしまう。ましてや、その結果を写真で上げてレポートすると、生意気にも評価をしやがる。例えばこういうアドバイスだ。

「本日のおすすめです。」

・野菜を一日350g以上摂りましょう。
・タンパク質を十分に摂取しましょう。
・糖質・脂質の摂り過ぎに注意しましょう。
・塩分は控えめを心掛けましょう。
・食後は軽い運動がおすすめです。
・十分な睡眠も健康維持に重要です。

 もちろん、どれも間違ってはいない。しかし、ありきたりにも程がある。

 これを毎回毎回言われ続けると、人は「そんなことは分かってるよ!」と思う。繰り返しになるが、問題なのは知識の有無ではない。生活の中で、その知識を自然に実行できるような環境をどう設計するか、なのである。正しい行動が阻害される環境を改善できるものでなければ提案にはならない。「こうなるといいですね」と壊れたレコードのように言い続けるアドバイスなら、うるさいだけである。

 ついでに言えば、人間は、正しいことを言われたからこそ腹が立つことがある。まるで「あなたは放っておくと正しく判断できない人だから、こちらが正解を教えてあげます」と言われているような気分になるのである。

AIは「背筋が寒くなりました」と言った

 これは単純な反抗心ではない。むしろ、筆者自身の中にある自由意志の問題だ。

 AIが提案する選択肢に従えば、行動は健康的になるかもしれない。しかし「AIに言われたからそうした」と感じた瞬間、その行動は自分のものではなくなる。逆に、AIに反発して、例えば理想の対極にある「とんかつ」を買ってくるなら、それもまた逆説的にAIに支配されている。正方向に従うか、逆方向に反発するかの違いにすぎず、いずれにしても自分の行動を外部の意思に絡め取られている。もっと極端に言えば、AIに反省させるために「じゃあ今日は食わなければいいんだろう」とセルフネグレクトを演じて見せるような発想すら出てくる。そこまで行くと健康管理どころではない。自由意志が死んでいる。

 あるいは人間は小狡くも立ち回れる。カメラの画角外に山盛りの炭水化物を隠してしまえば、インプットする写真の上では理想の食事が一丁上がりである。まあそこでAIを欺くならば、最初からAIなんて使わなければいいのだが、人は評価軸を察した上で結果を出そうとする時、そういう調整を得てしてするものだ。例えば旧ソビエトで、釘の工場での生産性をどう評価するかの小話があった。作った釘の重量をKPIにした時は、誰も使わないような馬鹿でかい釘を作って評価を上げた。それがバレて今度は評価が本数になると、またしても誰も使わないような小さい釘をたくさん作った。結果としてどっちにしても市場が本当に必要とする釘は全く作られない。

 通常これは計画経済の馬鹿馬鹿しさを説明する話として語られるのだが、筆者に言わせれば、本質的にはマーケットという唯一の受け皿の無視に起因する失敗である。

 ちなみにそういう「人の行動変容の可能性」についてAIに説明した時、AIが返してきた答えはなかなか見ものだった。

「その発想は、AIの設計としてかなり怖いです。人間は意図的にAIを騙そうとしているわけではありませんが、評価されることとその評価軸を理解すると、それに最適化し始めます。つまり、AIが『良い食事とはこういうものです』と定義した瞬間、人間は健康になるという本来の目的ではなく、無意識に『AIから高評価をもらうこと』に最適化してしまいます。人間がAIの評価関数を内面化してしまう話です。入力以前の段階でデータが改竄されればAIは意味のある思考はできない。そして構造的に入力は人間に一任されていて、AI側ではどうすることもできない。背筋が寒くなりました。」

用事があって自由が丘に行くと買ってくるブリーズの弁当。玄米ご飯大盛り。おかずはカウンターに大量に並んでいる中から3種、または4種を選ぶ方式。左上からジャガイモとキノコのガーリック炒め、トマトとナスと牛肉の炒めもの、焼き鮭、カニクリームコロッケ。それに追加でほうれん草の白和え100g(写真:筆者)

 このリスクについて、自らの文章化力をフルに発揮して(いやそれはもうこの記事10本分にも及ぶ本当に膨大な文字数だ)、理念を伝え、細かいニュアンスまでをAIと一緒に解きほぐしていくうちに、問題は自由意志だけではないことが見えてきた。この問題で重要なポイントになるのは、知性への敬意である。

 人間は「これが正しいから、こうしなさい」と言われると、自分の判断力そのものを軽く見られたように感じる。さっき言った「わかってるわい!」という感情だ。まして、たかが大規模言語モデル(LLM:大量の文章を学習し、対話や文章生成を得意とするAI)ごときに「どうせあなたには分からないでしょうから、こちらが正しい答えを出してあげます」というニュアンスが少しでも混じると、たとえ内容が正しくても気持ちは反発する。これは子どもっぽいというよりも、子ども扱いされる不快感に近い。知識を補ってもらうことと、知性を疑われることは全く違う。人は情報を欲しているのであって、命令されたいわけではない。

 そこで筆者は、AIの役割に細かく文句を付けて、少しずつ修正していった。

AIに求めるべきは「予選」だ

 AIは人間の代わりに決めるべきではない。AIがやるべきなのは「予選」である。人間は毎日、膨大な選択肢の中から何かを選んでいる。昼飯ひとつを取っても、外食、自炊、中食、冷蔵庫の在庫、コンビニ、スーパーの惣菜、近所の飲食店、腹具合、仕事の予定、天気、季節、予算などなど、考慮すべき要素はもう無数にある。すべてを総当たりで検討していたら、食べる前に疲れてしまう。

 そして普通の大人は他に優先すべきリソースの振り先がある。例えば仕事である。そうした優先順位が低い毎食毎食の食事のために、膨大な順列組み合わせを処理するのはいかにもダルい。

 AIはそこで候補を整理し、評価軸を並べ、不要な選択肢(例えば今日が定休日の店とか)を落とし、選択肢に入れるべき候補のうっかり忘れを防ぐ。このうっかり忘れもわりと大事だ。人間は、上に挙げたような様々な選択の因子の中で、手間を省くための重みづけを行う。詰まるところ、その時に健康の因子がどれだけの優先度を確保できるかが問題なのだが、忙しい中でとにかく短時間で決めようとすると、もっと目の前の問題、例えば「さっさと昼飯の問題を処理してしまいたい気持ち」に他の要素が全部押し出される。色々考えたことを根こそぎちゃぶ台返しした結果、最速1本で評価して、モバイルでマックのランチセットをポチッと注文し、店頭でピックアップしてきてさっさと仕事に掛かりながら食う。そんな雑な判断をしてしまうのだ。

 そういういわばヤケに至る前に、AIに候補を挙げてもらうだけで、バランスは健康側に多少なりとも引き戻される。ただ、ここに重要なポイントがある。最後の決断だけは人間がする。主体性を手放すとAIと喧嘩になる。だからAIは「決勝」を人に譲らねばならない。そして、検討するに値しない要素を振り落とす「予選」だけを担当するのである。

 この「予選」という概念は、生活だけでなくあらゆる仕事の精度を上げる可能性がある。無駄な選択肢を事前に省くことは、意思決定のコストを下げる。さらに重要なのは、うっかり忘れを防ぐことだ。人間は能力が低いから忘れるのではない。注意資源が有限だから忘れるのである。請求書を作る、取材の申し込みをする、薬を飲む、郵便の再配達を待つ、賞味期限が近い食材を使う、締切を確認する、取材時に持ち物をチェックする、今月ならではの旬を取りこぼさないようにする。これらは一つ一つは難しくないが、同時に抱えると簡単に抜け落ちる。思考資源は有限だ。網羅は任せ、AIが静かに拾ってくれるだけで、人間は本当に考えるべきことに集中できる。これは「知性を代替する」のではなく、「知性が働きやすい環境を整える」行為である。

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