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推しのグッズ、どこまで集める?『コレクター欲』と『推し欲』の違い。

キャラクターを好きになってしまうと、当然様々なグッズが欲しくなる。

特に「ちいかわ」ほどの社会現象級大人気コンテンツともなれば、日々ありとあらゆる新作グッズが次々に発売されているし、過去グッズも駿河屋などで調べてみると、軒並み定価以上のプレミア価格になっている。

私はもともと、様々な地下・サブカル・マイナー作品のオタクをしていたので、定価の何倍にも高騰したプレミア価格のグッズを、オークションなどで買ったことも当然ある。

しかし、今まさに大量消費の渦の中にいる「ちいかわ」のグッズを、定価以上のお金を出してまで集めることには慎重になっている。

もちろん、ブームの真っ只中にいる作品を好きになるのは楽しい。

街へ出れば、そこかしこで好きなキャラクターに出会えるし、次から次へと新しいイベントが開催される。

今まで流行しているものを避けがちだった私にとって、むしろこの「みんなが好きなものを、みんなと一緒に楽しむ」という感覚そのものが新鮮だった。

だから今は、コラボカフェや期間限定のイベント、体験型のアトラクションには足を運びたいと思っている。

その時、その場所でしか味わえない体験は、ブームが終わってから取り戻すことができないからだ。

一方で、グッズについてはかなり強くブレーキを踏んで立ち止まるようにしている。

このブームがもしも落ち着いたとき、大量に買い集めたグッズを眺めて虚無感に襲われるのが怖いからだ。

もちろん、そのときもキャラクターは変わらず好きだと思う。

しかし、今まさにトレンドのど真ん中で、大量消費の渦にいると、次から次へと「欲しい」という欲求が掻き立てられ、本来の気持ち以上に「欲しい」にバフがかかるため、いつかそのハリケーンが過ぎ去った時に、「ここまでたくさん集める必要があったのか」と冷静になる瞬間が訪れる気がしている。

「世間で流行しているもの」に対して私が常に距離を取っていた背景には、逆張り意識に加えて、「流行り」という要素を抜きにしても本当に手に入れたいものなのか、慎重に吟味する姿勢もあった。

だから私は、ラッコ先生のぬいぐるみを、たった一体だけ持つことにした。

その一体は、「ちいかわ」の映画を観た日に、吉祥寺のキデイランドで買ったものだ。

実は、この一体すら買うまで30分近く悩んだ。

一体買ったら二体目も欲しくなるかもしれない。

タガが外れたようにグッズを集めはじめてしまうかもしれない。

自分がそうなってしまわないか怖かった。

ぬいぐるみは家にすでにたくさんいる。

それでも店内を行ったり来たりしながら考えているうちに、「これは買わずに帰ったら、家に帰ってからも頭から離れないかもしれない」と思った。

仕事が手につかなくなるくらい後から欲しくなるくらいなら、もう連れて帰ろう。

そう決めた。

さらに、同じ棚に並んでいたラッコ先生の中で、私が選んだ一体だけPP袋に入っていなかった。
そして、他の個体にはついている頬のチークもなかった。

袋に入っていないぶん、いろいろな人の手垢だらけかもしれないし、他の個体にはあるチークが無いぶん、このまま売れ残るかもしれない。

そう思うと、「この子は私が連れて帰らなきゃいけない」という気持ちになった。

実際に見比べてみても、私はチークのない顔の方が好きだった。

あざとさが少なく、キリッとしていて、精神的に心細い日にもこの子は頼れる存在になる感じがした。

そうして我が家へやってきたラッコ先生は、今では出かけるときに一緒に連れて行く相棒になっている。

ここで私は、自分の中にある「好き」の違いについて気づいたことがある。

「コレクター欲」と「推し欲」は似ているようで、かなり違うということだ。

私は旧作『パワーパフガールズ』のマニアで、1997〜2005年頃に展開されていたグッズを長年、世間の流行とは全く無関係に集めてきた。

部屋にはフィギュア、ぬいぐるみ、玩具、文房具、雑貨、バッグ、布製品など、数え切れないほどのパワーパフガールズのグッズがある。

特に私が集めてきたのは、今では入手困難になった当時物のヴィンテージグッズだ。

この場合、私を動かしているのは「この子を家に迎えたい」という感覚とは違う。

もう二度と手に入らないかもしれないものを見つけ、回収し、保護し、できる限り良い状態で未来へ残しておきたいという気持ちが強い。

パワーパフガールズの場合、ぬいぐるみが何体増えても、一体一体に人格や意志のようなものを感じることはあまりない。

私にとっては、それらが集まった状態そのものに意味がある。

年代やメーカー、造形やデザインの違いを見比べながら、ひとつの作品がどのような商品展開をしてきたのかを現物資料として残しておきたい。

私にとってパワーパフガールズのグッズコレクションは、人生最大に好きになった作品の歴史を保護する活動でもある。

一方で、今のラッコ先生に向けている感情はかなり違う。

私はラッコ先生のグッズを網羅的に集めているわけではない。

ラッコ先生の商品を片っ端から集めたいわけでも、コンプリートしたいわけでもない。

ただ、人生の中で偶然出会い、強烈に惹かれた「一体」を迎え入れた。

そして、その一体そのものをとても愛している。

だから、同じキャラクターの新しいぬいぐるみが発売されたとしても、それが今いる子の代わりにはならない。

同じ商品であったとしても、私にとっては別の個体なのだ。

こう考えてみると、「作品をコレクションすること」と「一体のぬいぐるみを愛でること」は、同じようにグッズを所有する行為でありながら、私の中ではかなり違う方向を向いている。

コレクションは「集めること」に意味が生まれる。

年代違い、メーカー違い、珍しいもの、現存数の少ないもの。

点が増えていくほど全体像が見えてきて、ひとつの作品の歴史を物語る現物として意味がある。

しかし、特定のキャラクターや一体のぬいぐるみに愛着を持つ場合は、むしろ数を増やすほど愛情が深くなるとは限らない。

一体と長く過ごし、その子との思い出が増えていくことで、愛着が深くなっていく。

だから私は、パワーパフガールズは自宅に大量に並べていても、ラッコ先生を同じように何十体も自分の部屋に並べたいとは思っていない。

私が欲しかったのは「ラッコ先生のコレクション」ではなく、あの日、吉祥寺で出会った、たった一体のラッコ先生だったからだ。

ただし、他人がラッコ先生のグッズをたくさん集めているのを見るのはとても好きだ。

SNSでラッコ先生推しの人が、ぬいぐるみやグッズをずらりと並べている写真を見ると、普通に「かわいい」「いいな」「こんなグッズもあるんだ」と思うし、見ていて和む。

その人はきっと、ラッコ先生を推していると同時に、ラッコ先生のコレクターでもあるのだと思う。

たぶん、「推し欲」と「コレクター欲」と「特定の個体への愛着」は、それぞれ別々に存在している。

三つすべてが強い人もいれば、どれか一つだけが強い人もいる。

同じ「推し活」という言葉でまとめられていても、実際にその人を動かしている欲求はかなり違うのだと思う。

私は作品そのものを集めたいのか。

キャラクターを応援したいのか。

それとも、目の前にいるこの一体を可愛がりたいのか。


そこを自分の中で区別できるようになると、「好きなキャラクターのグッズだから」という理由だけで、何でも買う必要はないのだと気づく。

そして私は昔から、ぬいぐるみをある程度「意志のあるもの」のように扱うところがある。

もちろん、家にいるすべてのぬいぐるみを毎日抱きしめたり、話しかけたりしているわけではない。

ほとんどは部屋のインテリアとして過ごしている。

それでも気持ちの上では、単なる「物」としてバカスカ増やしたくない。
どこかペットを迎える感覚に近い。

一体増えれば、そのぶん愛情を向けたい存在も一体増える。

できるだけ平等に愛情を分けたいからこそ、新しいぬいぐるみを迎えるときはかなり慎重になる。

ちなみに、我が家にはたくさんのぬいぐるみがいるが、今の気分で「神6」を選ぶと、
写真のビアーチャン、うさるさん、リラックマ、ねてるくん、あまぐりちゃん、ラッコ先生。

この6体になる。

中でも最も古株なのがリラックマだ。

小学3年生の頃から一緒にいるので、もう20年以上の付き合いになる。

辛い夜を何度も一緒に乗り越えた存在なので、汗と涙が沁みまくってる。
ついでに子供の頃にスープとか飲ませたことがあるので、口元にはスープシミまである。

31歳のおじさんだが、私にとってぬいぐるみは家族そのものだ。

中には流通量が少なくて希少性の高いプレミアぬいぐるみもあるが(ビアーチャンとかうさるさんとか)、大切にしている理由はそこじゃない。

「今の自分には、この子のパワーが必要だ」と思った時に迎え入れた子たちであり、共に長い時間を一緒に過ごしたことで特別な存在になった。

新入りのラッコ先生も、まさにそんな存在である。

この一体といろいろな場所に一緒に出かけて、写真を撮って、思い出を増やしていきたい。

10年後、少しくたびれたラッコ先生を見ながら、

「この子とは2026年の夏からずっと一緒にいるな」

と思えたら、それはきっと、とてもいい推し活だと思う。

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