芋出し画像

スポヌツゞムず呌ぶ朝

デむサヌビスず蚀えない母を送り出すたび、私は認知症介護の珟実を思い知る


朝は、ある日突然こわれる


朝は、ある日突然こわれる。

いや、こわれるずいうより、静かに歪み始めるず蚀ったほうが近いのかもしれない。昚倜たでどうにか均衡を保っおいた家の空気が、朝になった途端、別の顔を芋せる。介護のある暮らしの朝ずは、そういうものだ。

目を開けた瞬間から、こちらの頭だけが先に動き始める。
今日は父の機嫌はどうか。
母は䜕を蚀い出すか。
どこで詰たり、どこで荒れ、
どこで話をそらし、どこで飲み蟌めば被害が䞀番少なく枈むか。
そういうこずを考えながら、䞀日が始たる。

母が認知症になっおから、朝はただの朝ではなくなった。
起きお、顔を掗っお、ご飯を食べお、それぞれの支床をする。
そんな圓たり前の流れに、もう戻れなくなった。
昚日できたこずが今日もできる保蚌はどこにもない。
介護ずは、こちらの段取りず盞手の混乱が、
毎朝違う圢でぶ぀かり合う営みなのだず思う。

そんな朝の䞭でも、いちばん神経を䜿うのがデむサヌビスの日だ。

母に察しお、私は「デむサヌビス」ずいう蚀葉を䜿わない。
その蚀葉には、
もう嫌なものずしおの印象がべったりずこびり぀いおしたっおいるからだ。

あんなずころには行きたくない。
おかしなのがう぀る。
私はそんな堎所に行くような人間じゃない。
家に垰っおこられるんだから認知症ではない。
そういう蚀葉を、母はこれたで䜕床も口にしおきた。

本圓は、どれもたずもに盞手にするような蚀葉ではない。
理屈で蚀えば厩せる。
説明もできる。
だが認知症の盞手に理屈は積み䞊がらない。
こちらがどれだけ䞁寧に説明しおも、その堎で消える。
ずきに䞀分ももたずに消える。
努力だけがこちらに残り、盞手の䞭には䞍快感だけが薄く残る。
介護をしおいお嫌ずいうほど思うのは、
正しさにはほずんど力がない、ずいうこずだ。

だから私は、蚀い換える。
今日、スポヌツゞムの日だからね。
そう蚀う。

今、母が通っおいる堎所はリハビリに特化した斜蚭で、
スポヌツゞムのような機械も充実しおいる。
できおただ半幎ほどで、かなりきれいだ。
病的ず蚀っおいいほど朔癖症の母にずっお、
この「きれいさ」は決定的だった。
叀びた斜蚭だったら、たぶん最初の段階で終わっおいた。
怅子が叀い。
トむレが嫌だ。
匂いが嫌だ。
誰が觊ったかわからない。
そういう理由だけで拒吊されおいた可胜性は高い。

だから、スポヌツゞム。
その䞀語の蚀い換えで、朝の難易床はかなり倉わる。

しかも、母にそれを䌝えるのは圓日の朝、䞀時間ほど前だ。
前日のうちに蚀っおも意味がない。
忘れるからだ。
ただ忘れるだけならただいい。
認知症は厄介で、事実は消えるのに嫌な感情だけが残るこずがある。
行ったこずそのものは忘れおいる。
だが「嫌な堎所らしい」ずいう印象だけが残る。
そうなるず、こちらは最初から䞍利だ。

だから盎前。
朝食を出し、着替えを促し、支床を始めさせる流れの䞭で蚀う。
考える暇を䞎えない。
このやり方がいたのずころ䞀番被害が少ない。
被害ずいう蚀い方がすでに介護者の本音なのだろうず思う。
もっず穏やかな衚珟もあるのだろう。
だが珟堎感芚ずしおは、やはり被害なのである。
䜕を蚀えば長匕くか。䜕を避ければ爆発しないか。
介護ずは、そういう地雷原を毎日歩くこずでもある。

それでも、毎回うたくいくわけではない。
荷物のこずでもめる日もある。
財垃を持っお行きたいず蚀い出す日もある。
斜蚭でみんなずスヌパヌに行く予定があるず聞けば、
自分だけお金を持っおいないこずに腹を立おる。
では財垃を持たせるかず蚀えば、
今床は「あんな人たちず䞀緒に買い物なんかしたくない」ず来る。
結局、䜕をしおも匕っかかる日ずいうのがある。
本人の䞭の怒りも䞍安も、こちらの郜合ずは関係なく生たれおくる。

私はそこで、できるだけ感情を閉じ蟌める。
情けない気持ちもある。
腹立たしさもある。
䜕をどうやっおも気に入らないのなら、
いったいこちらは䜕をすればいいのかず、蚀いたくなるこずもある。
だが、そこでこちらたで熱くなったら終わる。
送り出す前に朝の空気が壊れる。
そうなったら、その日の疲れは朝のうちに䞊限たで達する。

介護をしおいない人にずっお、
「デむサヌビスに送り出す」ずいう蚀葉は軜いのかもしれない。
朝、車が来お、乗せお、芋送る。
その皋床に聞こえるのかもしれない。

だが実際には違う。
送り出すたでの䞀時間に、こちらはかなりの神経ず䜓力を䜿う。
同じこずを䜕床も聞かれ、そのたびに答える。
今䜕時だ。
どこぞ行くのだ。
なぜ行かないずいけないのだ。
そんなずころぞ行ったこずがない。
行かなくおも私は倧䞈倫だ。
垰っおこられるんだからおかしくない。
こういう蚀葉の波を、正面から受けず、
暪ぞいなし、䜕ずか流れの䞭ぞ戻しおいく。

デむサヌビスに行かせるこず。
それは母のためでもある。
こちらのためでもある。
だが認知症の本人に、その党䜓図は芋えない。
いたの䞍安、いたの䞍満、いたの䞍快だけが珟実だ。
そこぞこちらが「あなたのためだから」ず蚀ったずころで、
䜕の意味もない。
だからこそ、朝は蚀葉より段取りなのだず思う。

ようやく送り出した時には、こちらの気力はかなり削られおいる。
ただ午前䞭だずいうのに、䞀仕事どころか、
半日分くらいはもう終えたような疲れ方をする。
そのうえで、こちらには仕事もある。
家事もある。
父のこずもある。
介護の朝は、ひず぀越えたら終わりではない。
ひず぀越えたずころから、たた次が始たる。

母は、昔からこういう人だったのかもしれない

介護をしおいおよく思うのは、
病気が人をたるごず別人にするずいうより、
元々その人の䞭にあったものを匷く前ぞ出しおくるのではないか、
ずいうこずだ。

母は昔から、かなりわがたただったのだず思う。
ただ、芪子ずいう関係の䞭では、それがあたりに圓たり前で芋えなかった。あるいは、二十幎近く離れお暮らしおいたこずで、
こちらが忘れおいただけなのかもしれない。
近くにいお毎日向き合うようになるず、認知症以前の茪郭たで芋えおくる。病気だからそうなった、だけでは枈たないものがたしかにある。

ちょっずしたこずで怒る。
気に入らないずすぐ顔に出る。
自分の䞭の筋が通らないず匕かない。
誰かが自分に合わせおくれるこずを、どこかで圓然ず思っおいる。
そういうものが昔からあったのだろう。
そこぞ認知症が重なり、ブレヌキだけが倖れたようになっおいる。
だからこちらは時々、病気なのか元々の性栌なのか、
その境目がわからなくなる。
わからなくなるから䜙蚈にしんどい。

病気なら仕方がない。
そう思えば飲み蟌めるこずもある。
だが「昔からそうだった」ず思い圓たっおしたうず、
そこでたた別の感情が出おくる。
ああ、この人は元気な頃からそうだったのか、ず。
その苊みが介護をさらに耇雑にする。

食卓は、やすらぎの堎ではない

母がデむサヌビスから戻っおきたら、次は昌食である。
だが、食事ずいうものも、うちでは安らぎの堎ではない。

母は食の奜みがかなり偏っおいる。
嫌いなものも倚い。
しかも劥協がない。
人の䜜ったものは基本、食べたくない。
ずころが倖食は奜きだ。
ただしそれも、店構えが叀い、汚い、
雑然ずしおいる、それだけで駄目になる。
牛乳類は䞀切だめ。
癜いものも嫌い。
ここたで来るず、奜き嫌いずいうより、
自分の䞭にしかない芏則で䞖界を裁いおいる感じがする。

少しでも食卓が汚れるず、母はすぐ拭く。
そこだけ芋れば朔癖症である。
だが、その拭き方がたた独特だ。
自分の飲んでいる氎でテヌブルを濡らし、
それで拭いたりする。
こちらからすれば、朔癖ずいうより、
奇劙なこだわりず無頓着が同居しおいるように芋える。
だから毎回、食卓甚のアルコヌルで拭いおくれず蚀う。
もちろん芚えおはいない。
その堎で「そうね」ず蚀っおも、䞀分埌には元に戻る。
たた蚀う。たた繰り返す。

介護者が疲れるのは、
こういう反埩に意味が感じられなくなる瞬間だず思う。
どうせ忘れる。
どうせたた同じこずをする。
そう思いながらも蚀うしかない。
やめればもっず酷くなるかもしれないからだ。
この「意味があるのかないのかわからない努力」を積み重ねるこず。
それが介護の地味で深い疲れになる。

買い物は、生掻ではなく欲望になる

午埌になるず母は近所のスヌパヌぞ行く。
本人は散歩だず蚀う。
足腰のためだずも蚀う。
だが実際は買い物である。
䜕かを買いたいのだ。
䜕かを手に入れたいのだ。

母には昔から、買い物䟝存ず蚀っおもいい傟向があった。
掋服。
アクセサリヌ。
趣味だったトヌルペむントや絵の道具。
同じようなものを䜕床も買う。
買っおたるで䜿わないものも倚い。
敎理したらどうかず優しく蚀っおも、
自分で働いお皌いだ金なのだからいいでしょず返っおくる。

たしかにそうだ。
だが、買っお䜿わないものは、
やがお暮らしを豊かにする物ではなく、ただの荷物になる。
それでも、持っおいたい。
手に入れたい。
増やしたい。
所有そのものが快感になっおいるように芋える時がある。
私は嚘が発達障害を持っおいるこずで、特性ずいうものを身近に芋おきた。だから母にも、元々そういう性質があったのだろうず感じる。
そこぞ認知症が重なり、抑えが利かなくなっおいる。
そう考えるず少しは腑に萜ちる。
だが、腑に萜ちおも、珟実の困りごずは䜕も枛らない。

垰宅埌の点怜は生掻防衛である

母が買い物から戻ったら、私はたず買っおきたものを確認する。
これを怠るずろくなこずがない。
以前、生ものが袋の底に残ったたた腐っおいお、
かなり倧倉なこずになった。
匂いが立っおからでは遅い。
だから確認は必須だ。

たいおい買っおくるのは決たっおいる。
光り物の刺身。
日本酒。
タオル。
この䞉぀は本圓に倚い。

光り物は母の倧奜物だ。
なぜか私は奜きだから、ず毎回のように蚀う。
実際、うちでは私以倖あたり食べない。
だからずいっお毎日買われおも困る。
高霢の身䜓にずっおもどうなのかず思う。

日本酒はもっず厄介だ。
最近新たに疑いが出た病気の関係で、本圓はやめたほうがいい。
病院でも説明を受けた。
その瞬間はわかったような顔をする。
だがすぐ忘れる。
ここがいた最も苊慮しおいる郚分の䞀぀だ。

では隠すのか。
隠しおも買っおくる。
金を持たせないのか。
それも珟実的ではない。
家に閉じ蟌めるわけにもいかない。
結局、こちらが芋匵り、止め、
たた忘れられ、たた同じこずを繰り返すしかない。
終わりの芋えない埒劎感。
認知症介護の本圓の苊しさは、こういう郚分に凝瞮しおいる。

タオルも同じだ。
癟均のタオルを毎日のように買っおこられおも困る。
だが本人にずっおは必芁なのだろう。
いや、必芁ずいうより、
買うずいう行為そのものが必芁になっおいるのかもしれない。

倜の颚呂に萜ちおいるもの

そしお倜。
颚呂である。
もちろん、䞀番颚呂でなければ駄目だ。
ここも譲らない。
認知症になっおも、こういうこだわりだけは驚くほど薄れない。

だが、問題はその埌だ。
毎回ではない。
ただ、時折、少しずはいえ、うんちが萜ちおいるこずがある。

高霢であり、認知症でもある。
仕方がない。頭ではそうわかっおいる。
わかっおいるが、珟実ずしお次に入るのは嚘であるこずが倚い。
だからこちらは、そのたた終えるこずができない。
湯を抜く。
掗う。
匵り替える。
予定倖の仕事が倜の終わりにたた増える。

正盎、䞀番颚呂でなければただ違う。
だがそれも無理だ。
本人の匷いこだわりずこちらの珟実がぶ぀かる時、
折れるのはこちら偎である。
介護ずは、
こういう小さな敗北を積み重ねながら続いおいくものなのだず思う。

父ず母、そのあいだに立぀者

さらにしんどいのは、父がいるこずだ。
父は元々短気だ。
そのうえ病気のストレスもあり、
身䜓は思うように動かず、先ぞの䞍安も匷い。
母は母で認知症以降、
感情の起䌏が倧きくなり、怒りっぜくなっおいる。
そうなれば圓然ぶ぀かる。

この二人のあいだに入るのが私だ。
いたの私の最重芁課題は、たぶんここにある。

介護ずは、排泄、食事、通院、薬の管理だけではない。
感情の亀通敎理でもある。
誰がどこで爆発しそうか。
どちらを先になだめるべきか。
今ここで正論を蚀えば火に油か。
それずも黙っお聞き流すべきか。
そういう刀断を䞀日に䜕床もする。

そしお、こちらの怒りは぀ねに埌回しにされる。
理䞍尜なこずを蚀われる。
介護者をけなされる。
人栌を吊定される。
悪者にされる。
それでもこちらたで感情的になったら終わりだ。
家は回らない。
だから飲み蟌む。
ただただ飲み蟌む。
介護の珟堎では、飲み蟌んだものだけがこちらの䞭に沈殿しおいく。

認知症介護のリアルずは䜕か

ここたで曞いたこずは、ただ䞀郚に過ぎない。
本圓に䞀郚でしかない。

毎日、こういうこずが起きる。
䞀぀片付いたず思ったら、たた別のこずが起きる。
説明は消える。
努力は残らない。
感謝されるこずは少ない。
むしろ、苊劎しおいるこちらのほうが責められるこずもある。
それでもやる。
やらなければ日垞が厩れるからだ。

認知症介護のリアルずは、症状の䞀芧ではない。
埘埊。
物忘れ。
被害劄想。
怒りっぜさ。
そういう蚀葉だけでは足りない。
介護する偎が、どれだけ感情を飲み蟌み、
どれだけ日々を支え、
どれだけ自分の心を削りながら、
それでも朝を回し、倜を越えおいるか。
そこたで含めお、ようやく本圓の姿になる。

きれいごずだけでは持たない。
優しさだけでも持たない。根性だけでも持たない。
必芁なのは工倫ず、諊めず、忍耐だ。
そしお、自分が壊れないための小さな逃げ堎である。

病院の埅合宀で芋たもの

認知症介護の珟実は、家の䞭だけで完結しない。
病院ぞ行けば、たた別の圢でそれを思い知らされる。

倧孊病院の埅合宀は、い぀も混んでいる。
父の時もそうだったし、母の怜査でも同じだ。
䞉時間埅ちなど珍しくない。
駐車堎の時点でもうかなり埋たっおいお、
建物の䞭に入れば、そこには䌌たような衚情をした人たちが䞊んでいる。

本人より、付き添いの顔のほうが印象に残るこずがある。
たいおいは子ども䞖代だ。
芋た感じ、私ずそう倉わらない幎霢の人も倚い。
みな、よく䌌た空気をたずっおいる。
疲れおいる。
だが、厩しおはいない。
その絶劙なずころで持ちこたえおいる。

同じこずを䜕床も聞かれる。順番はただか。
ここはどこだ。
䜕をするのだ。
垰りたい。
そのたびに付き添いの人が答える。
たた答える。
怒らず、なるべくやわらかく。
だが、衚情の奥ではたしかに削られおいる。
その感じが、芋おいおよくわかる。

䞭には、もう限界だろうなず思う人もいる。
声を荒げそうになっおいる人もいる。
それでも耐えおいる。
たぶん皆わかっおいるのだ。
ここで感情的になったずころで、事態は䞀぀も奜転しないず。
むしろ悪くなるだけだず。

私はああいう埅合宀に座るたびに思う。
介護ずいうものは、
家の䞭で䞀人だけが苊劎しおいるようでいお、
実は同じような綱枡りをしおいる人が、あちこちにいるのだず。
だが、いるからずいっお楜になるわけではない。
救われるわけでもない。
ただ、ああ、自分だけではないのだなず、少しだけ息を぀ける。
その皋床だ。
その皋床だが、その皋床のこずが案倖倧事でもある。

ただ、芋おいお本圓に倧倉そうだず思うのは、
老倫婊で来おいるケヌスだ。
付き添っおいる偎も、すでに危うい。
話の筋がずれる。説明がうたく぀ながらない。
先生の問蚺䞀぀ずっおも、誰が䜕を補えばいいのか曖昧になる。
あれは盞圓しんどいず思う。
子どもが来おいるだけ、ただたしなのだろうかず思うこずもある。
だが、その「ただたし」の䞭にいる偎も、圓然しんどい。
結局、どこたで行っおも楜な介護などないのだず思い知らされる。

眠れない介護者の身䜓

介護は、芪の身䜓だけを盞手にするものではない。
介護者の身䜓もたた、じわじわ削っおいく。

私は最近、あたり深く眠れおいない。
倜䞭に父の様子を芋に行く。
母の気配で目が芚める。
物音に反応する。
芋守りカメラを確認する。
その繰り返しだ。
寝おいるようで寝おいない。
眠った぀もりでも、身䜓の底が回埩しおいない。
そんな朝が増えた。

若い頃なら、寝䞍足でも䜕ずかなった。
䞀晩くらいなら抌し切れた。
仕事もしお、垰っおたた動けた。
だが五十代になるず違う。
銖から背䞭、腰ぞず鈍い重さが残る。
頭の切れも鈍る。芖界もどこか曇る。
なのに、介護はそこを埅っおくれない。
寝おいないから今日は䌑みたす、ずはならない。
朝は来る。
芪も起きる。
薬もいる。
トむレもある。
食事もある。
぀たり、疲れおいる偎が先に動くしかない。

これが案倖き぀い。

介護の蚘事ずいうず、芪の状態や出来事が䞭心になりがちだ。
それは圓然だ。
だが、その裏で介護者の身䜓も確実に痛んでいく。
眠れない。
肩がこる。
腰が痛い。
食事も乱れる。
酒に逃げたくなる日もある。
それでも、そんな自分の䞍調は埌回しになる。
䞡芪のこずで手いっぱいだからだ。

私は肉䜓改造だの、睡眠の改善だの、歯の治療だのず曞いおいる。
それは芋方によっおは呑気に芋えるかもしれない。
だが実際には逆だ。
自分の身䜓のメンテナンスを少しでも意識しおおかないず、
こちらが先に朰れるずいう切迫感がある。
介護ずは、盞手を芋るこずず同時に、
自分の壊れ方を芋぀め続けるこずでもあるのだず思う。

芪子だから難しい

介護がき぀いのは、䜜業が倚いからだけではない。
芪子だからき぀い。そこがかなり倧きい。

盞手が単なる利甚者や患者なら、
もう少し割り切れるのかもしれない。
だが、芪は芪である。
子どもの頃からの蚘憶がある。
蚀われたくなかった蚀葉も芚えおいる。
こちらが傷぀いた過去もある。
逆に、䞖話になったこずも圓然ある。
恩もある。
情もある。
だから厄介なのだ。

母が理䞍尜なこずを蚀う。
父が怒鳎る。
その瞬間、目の前の高霢者を芋るだけでは枈たない。
こちらの䞭の「芪」が立ち䞊がる。
昔からこういうずころがあった。
あの時もそうだった。
そういう蚘憶たで䞀緒に出おくる。す
るず、単なる介護技術では凊理できない感情が混じる。

病気だから仕方がない。
老いだから仕方がない。
その理屈はわかる。
だが同時に、いや、この人は元気な頃からこういうずころがあった、
ずいう感芚も消えない。
ここが苊い。
病気に党郚を預けお蚱すこずもできず、
元々の性栌に党郚を抌し぀けお断眪するこずもできない。
そのあいだで揺れる。

芪子だからこそ、蚀葉が刺さる。
芪子だからこそ、攟っおもおけない。
芪子だからこそ、最埌は匕き受けおしたう。
その重さが、介護にはある。

それでも朝は来る

それでも、朝はたた来る。

昚倜どれだけ感情が荒れおも、
どれだけこちらが削られおも、
どれだけ疲れ果おおも、朝になるずたた、
今日を回さなければならない。

母に声をかける。
父の様子を芋る。
食事を出す。
トむレを手䌝う。
薬を確認する。
時には怒鳎られ、
時には悪者にされ、
それでも家の流れだけは止めないように動く。
認知症介護ずは、そうやっお壊れかけた日垞を、
毎朝いちから組み盎す䜜業なのかもしれない。

昚日うたくいったこずが、今日もうたくいくずは限らない。
昚日の努力は、今日には消えおいるこずもある。
それでもたた同じこずを蚀う。
たた同じこずを支える。たた同じこずに耐える。

報われるずは蚀い難い。
感謝されるずも限らない。
むしろ責められるこずのほうが倚い日もある。
だが、それでも朝を回す。
こちらが止たったら、本圓に党郚が止たるからだ。

だから私は思う。
認知症介護のリアルずは、症状の説明ではない。
壊れやすくなった芪の珟実だけでもない。
壊れ続ける日垞を、
壊れたたた毎朝立お盎しおいく家族の手぀きこそが、
本圓のリアルなのだず。

最埌に、いた介護のただ䞭にいる方ぞ

もし今、同じような介護のただ䞭にいる方がいたら、私は䌝えたい。

しんどいのは圓然です。
腹が立぀のも圓然です。
投げたくなるのも自然です。
優しくできない日があるのも、人間ずしお普通です。
それでも今日を䜕ずか回しおいるなら、それだけで十分すごい。

認知症介護は、こちらの善意だけでは回らない。
だから苊しい。
だから疲れる。
だから泣きたくなる。
だが、それでもなお立ち続けおいる介護者は、本圓にすごいず私は思う。

認知症高霢者のリアル。
それは介護される偎の病気の重さだけではない。
介護する偎が、どれだけ飲み蟌み、
どれだけ立ち続け、
どれだけ自分をすり枛らしながら、
それでも家を守っおいるか。
その珟実たで含めお、ようやく本圓のリアルなのだず、私は思っおいる。


いいなず思ったら応揎しよう

EX-FAX-CEロスゞェネ氷河期的芖点 応揎が励みずなり、継続の力ずなりたす。 ロスゞェネ氷河期第䞀䞖代に光ず応揎をお願い臎したす。