昭和の百貨店がくれた温もり 51歳の私が忘れられないデパートの記憶
■母と祖母に連れられて歩いた百貨店の数々
私の幼少期は、百貨店に連れて行かれることが当たり前の日常だった。
母親が大のデパート好きで、祖母と一緒に私をあちこちに連れていった。
渋谷なら 東急東横店、東急本店、西武、109、東急プラザ
新宿なら 小田急、小田急ハルク、京王、ルミネ
二子玉川なら 高島屋
たまプラーザなら 東急
思い返せば、まさに“百貨店めぐり”が幼稚園から小学生までの私の生活の一部だった。
■子どもにとっての「夢の屋上」
あの頃の百貨店には、今では考えられない光景があった。
屋上遊園地。
子どもにとってはそこがまさに「夢の国」だった。
小さな観覧車、豆汽車、ゲームコーナー。
親と一緒ではなく、自由に遊べる時間が与えられていた。
おもちゃ売り場に直行してワクワクし、デパ地下では試食を当たり前のようにしていた。
今の時代なら「危ない」「迷惑」と言われることも、当時は笑って許された。
社会全体が子どもに寛容で、のびやかに息をしていた時代だったのだ。
■幼稚園児でも「自由行動」できた時代
今の私が親として考えると信じられないが、幼稚園の頃から「じゃあ、後でここで合流ね」と親と別れ、百貨店の中を一人で歩き回っていた。
今なら即アウトだろう。
だが、当時はそれが普通で、誰も眉をひそめなかった。
階段でスーパーボールを転がして遊ぶ
そんな小さな悪ふざけもよくやった。
百貨店は、ただの買い物の場ではなく、子どもにとって「社会に触れる練習の場」だったのだと思う。
■食堂での「ごちそう」というご褒美
遊び尽くしたあとは、最後に親と合流して食堂へ。
デパートの食堂には、今思い出しても胸が高鳴る「特別なごちそう」が並んでいた。
ハンバーグ、ナポリタン、パフェ。
普段は食べられないメニューに、子どもながらに「非日常」を味わった。
この「食堂で食べる締めの一食」までがセットで、百貨店の1日が完成していた。
■百貨店とショッピングモールの違い
言葉でうまく表現できないのだが、今のショッピングモールと当時の百貨店では、どこか温度感が違う。
モールは効率的で便利だ。
駐車場も広く、ファストフードも充実していて、子どもから大人まで楽しめる。
だが、百貨店には「温かみ」と「人のぬくもり」があったように思う。
エスカレーターの横で笑顔を向けてくれる案内係のお姉さん。
食堂で水を運んでくれる白い制服の店員。
屋上でソフトクリームを手に「気をつけてね」と声をかけてくれる売店のおばちゃん。
買い物以上の「人と人との交わり」が、そこには確かに存在していた。
■百貨店は「昭和の社交場」だった
今思えば、百貨店は単なる商業施設ではなかった。
家族の思い出を刻む場所であり、社会と触れ合う場であり、時代そのものを映す鏡だった。
今も残る老舗百貨店を見ると、どこか胸が熱くなる。
あの頃の空気はもう戻らないけれど、記憶の中ではいつまでも鮮やかに生き続けている。
👉 「皆さんは百貨店の屋上や食堂での思い出、覚えていますか?」
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