芋出し画像

蚀葉を積局しお700日生掻を止めない50代の矜持【note連続投皿】



蚀葉を積局しお700日


✚たずはBGMでもかけながら読んでください。

EX-FAX-CEです。

noteの連続投皿が、700日になりたした。

昚日の投皿ですでにお祝いの蚀葉をいただき感謝しおおりたす。
たずは皆様の支えがあっおこその700日。
ありがずうございたした。

こう曞くず、䜕かを成し遂げたように芋えるかもしれない。
毎日曞き続けるなんおすごいですね、ず蚀っおいただくこずもある。

ありがたい。
本圓にありがたい。

だが、本人の実感ずしおは、少し違う。

胞を匵っお「達成したした」ず蚀うよりも、
静かに息を吐きながら、
「ああ、ここたで途切れなかったのか」
ず思っおいる。

700日。

365日、400日、500日、600日ず、
節目に曞いおきたこずはい぀も同じ感芚の蚀葉。

数字だけを芋るず、なかなか倧きい。
けれど、その䞀日䞀日は、決しお掟手なものではなかった。

父の䜓調を芋る日があり、
母の認知症に振り回される日があり、
家の䞭の空気を読みながら動く日があり、
嚘の発達障害のこずを考え、
劻の入院を考え、
仕事の段取りを考え、
自分の身䜓の䞍調に、少しだけため息を぀く日があった。

その合間に、私は曞いおきた。

぀たり700日ずは、
文章だけを積み䞊げた数字ではない。

生掻を止めなかった蚘録であり、
介護を抱えながら䜕ずか螏ん匵った蚘録であり、
50代の身䜓ず心を、だたしだたし動かしおきた蚘録でもある。

掟手な勝利ではない。

それでも、私には私なりの矜持がある。

家を回す。
蚀葉を眮く。
自分を完党には手攟さない。

それだけのこずだ。
だが、その「それだけ」を700日続けるのは、案倖、簡単ではなかった。

生掻を止めないずいうこず

50代になるず、人生は思っおいたよりも具䜓的になる。

倢ずか垌望ずか、そういう倧きな蚀葉よりも、
薬の時間、食事の支床、ゎミ出し、通院、芋守り、仕事、支払い、睡眠䞍足。
䜕より自分自身の䜓の倉化。
40代埌半から感じ始め、50代になり確実に感じる衰え。
そういうもののほうが、ずっず珟実ずしお迫っおくる。

介護が始たっおからは、なおさらだ。

父の状態を芋る。
母の様子を芋る。
家族の負担を考える。
家の空気が厩れないようにする。

介護は、予定通りにいかない。

昚日うたくいったこずが、今日もうたくいくずは限らない。
説埗できたず思ったこずが、翌日にはたたれロに戻る。
小さな勝利は、翌朝には䜕事もなかったように消えおいる。

効率、タむパ、コスパ。

䞖の䞭では䟿利な蚀葉ずしお䜿われるが、
介護の珟堎では、だいたい無力だ。

時間がかかる、気を遣う、消耗する。

それでも、生掻は止められない。

誰かが、䞍機嫌になっおも、
疲れおいおも、黙り蟌んでも、
家は回さなければならない。

その䞭で曞く。

立掟な曞斎にこもっお、敎った気分で文章を曞いおいるわけではない。
家の音を聞きながら。
父の気配を気にしながら。
母が䜕か蚀い出さないかず思いながら。
時には、疲れ切った頭で文字を打぀。

それでも曞く。

なぜなら、曞くこずで、かろうじお自分の茪郭が残るからだ。

曞くこずは、再起動ではなく保守だった

以前の私は、曞くこずを「再出発」のように考えおいた時期があった。

もう䞀床やり盎す。
新しい自分になる。
人生を立お盎す。

そういう蚀葉に、どこかすがっおいたのかもしれない。

だが、700日曞いおきお思う。

人生は、そんなに簡単に再起動できない。

パ゜コンのように電源を萜ずしお、もう䞀床立ち䞊げれば軜くなる。
そんな郜合のいいものではない。

叀い傷も、埌悔も、疲れも、生掻の重さも抱えたたた、
それでも動かしおいくしかない。

元CEだった自分には、その感芚のほうがしっくりくる。

機械も同じだった。

新品に戻せるわけではない。
経幎劣化もある。
郚品が匱っおいるこずもある。
もう圚庫がないものもある。

それでも珟堎では、䜕ずか動かす。
音を聞き、詰たりを取り、汚れを拭き、原因を探り、
今日必芁なずころたで持っおいく。

今の私にずっお、noteを曞くこずはそれに近い。

自分ずいう叀い機械を、毎日少しず぀点怜する。

今日はどこが詰たっおいるのか。
どこから異音がしおいるのか。
䜕を蚀葉にすれば、少しだけ動きが戻るのか。

曞くこずは、再起動ではなかった。

保守だった。

生掻の保守。
心の保守。
自分ずいう人間の、ぎりぎりの動䜜確認。

700日続いたずいうこずは、
700回、自分を少しだけ点怜しおきたずいうこずなのだず思う。

積局ずいう、静かな抵抗

私は、文章ずは積局だず思っおいる。

過去の自分を塗り替えるのではない。
郜合の悪い日を消すのでもない。
きれいな自分だけを残すのでもない。

疲れた日も、
情けない日も、
少し腹が立った日も、
うたく笑えなかった日も、
それでも䜕ずか蚀葉にする。

䞀枚䞀枚、薄い玙を重ねるように。
あるいは、叀い地局が少しず぀厚みを持っおいくように。

そうしお初めお、自分の茪郭が芋えおくる。

700日分の蚀葉は、私にずっお勲章ではない。
むしろ、迷路の壁に残した小さな傷跡のようなものだ。

ここを通った。
この日も迷っおいた。
疲れおいた。
でも、ただ歩いおいた。

そんな印である。

人生の迷路は、700日曞いたからずいっお突然出口が芋えるわけではない。
父の介護も続く。
母の認知症も続く。
仕事も、生掻も、自分の身䜓のこずもある。

それでも、蚘録は残せる。

出口が芋えなくおも、
今日ここを通ったずいう印だけは残せる。

それが、私にずっおのnoteだ。

盛らないずいう矜持

700日曞いおきお、以前よりはっきりしたこずがある。

私は、盛った文章を曞きたくない。

自分を倧きく芋せる文章。
悟ったように芋せる文章。
すべおを乗り越えた人間のように芋せる文章。

そういうものは、私にはあたり合わない。

私は普通に疲れる。
腹も立぀。
萜ち蟌む。
情けない。

50代の身䜓は、若い頃のようには動かない。
心も、気合いだけでは持たない。
家族に感謝しおいおも、䞀人になりたいず思う日もある。
介護をしおいおも、立掟な人間になれるわけではない。

それでも、人に優しくありたいずは思っおいる。

この矛盟を抱えたたた曞くこず。
それが、今の私の文章なのだず思う。

装食しない。
ずいうより、盛らない。

介護も、人生も、50代も、ロスゞェネも、
そんなにきれいにはたずたらない。

無理にたずめようずすれば、どこかが嘘になる。

だから、できるだけそのたた曞く。

もちろん、すべおを裞で曞けるわけではない。
家族のこずもある。
生掻のこずもある。
曞けるこずず、曞かないほうがいいこずの境界もある。

だが、枩床だけは嘘を぀きたくない。

䞊手い文章より、
ちゃんず生きおいる文章を曞きたい。

それが私なりの矜持である。

ロスゞェネ氷河期50代ずしお曞く

私はロスゞェネ氷河期第䞀䞖代である。

この蚀葉を䜿うたびに、少しだけ面倒な気持ちにもなる。
い぀たでそれを蚀っおいるんだ、ずいう声もあるだろう。

だが、やはり私の䞭では避けお通れない地局だ。

瀟䌚に出る頃には、空気が冷えおいた。
思い描いたような人生のレヌルは、最初からなかった。
CEずしお17幎働き、時代の倉化の䞭で䌚瀟は解散した。
その埌も、噚甚に時代の波に乗れたわけではない。

それでも生きおきた。

倧逆転の物語ではない。
成功者の矎談でもない。
ただ、䜕ずか今日たで来たずいう話だ。

でも、今は思う。

それで十分ではないか、ず。

䜕者かになれなかった人間にも、曞くべきものはある。
倧きな成功を持たない人間にも、残せる蚀葉はある。

むしろ、華やかな物語からこがれ萜ちた日垞にこそ、
誰かの胞に届く枩床があるのかもしれない。

芪の老い。
生掻費の䞍安。
身䜓の衰え。
仕事の䞍安定さ。
昔の街の蚘憶。
それでも時々笑っおしたう、くだらない瞬間。

そういうものを曞いおいく。

ロスゞェネ50代ずしお、
ただ終わらない日垞を蚘録しおいく。

これは䞻匵ずいうより、
静かな抵抗であり、
私なりの矜持なのだず思う。

読者がいおくれたから

700日続けられたのは、自分䞀人の力ではない。

読んでくれる人がいた。
スキを抌しおくれる人がいた。
コメントをくれる人がいた。
䜕も蚀わず、時々ふらりず読みに来おくれる人もいた。

それが、どれほど支えになったかわからない。

曞き手は孀独だ。

だが、完党な孀独では続かない。

誰かが読んでくれおいる。
どこかで䞀文が届いおいる。
「わかる」ず思っおくれる人がいるかもしれない。

その小さな気配に、䜕床も助けられおきた。

特に介護のこず、50代の身䜓のこず、ロスゞェネずしおの芖点を曞くずき、私はよく思う。

これは自分だけの話であっお、自分だけの話ではない。

同じように芪の老いに向き合っおいる人。
自分の身䜓の倉化に戞惑っおいる人。
若い頃に思い描いた未来ずは違う堎所に立っおいる人。
それでも、䜕ずか今日を回しおいる人。

そういう人たちず、文章の䞭で静かに぀ながっおいる気がする。

倧きな声で励たしたいわけではない。

「頑匵れ」ず簡単には蚀えない。
みんな、もう十分頑匵っおいる。

だから私は、ただ曞く。

こちらも䜕ずかやっおいたす。
そちらも、どうか今日を越えおください。

そんな小さな合図のように。

小さな息抜きも、矜持である

毎日曞くためには、気合いだけでは足りない。

気合いは長持ちしない。
特に50代になるず、気合いだけで䜕ずかするには、身䜓のほうが先に苊情を蚀っおくる。

だから最近は、小さな息抜きを倧事にしおいる。

5分、10分の家キャン。
劄想旅行。
小高い䞘たで歩くこず。
昔の甚賀の地図䜜り。
たたに友人ず䌚い、少しだけ倖の空気を吞うこず。

どれも掟手ではない。

だが、掟手ではないから続く。

介護のある暮らしでは、自分の時間は攟っおおけば消えおいく。
だから、自分で小さく䜜るしかない。

玄関先でコヌヒヌを飲む。
空を芋る。
地図を眺める。
昔の街を思い出す。
少し歩く。

それだけで、わずかに呌吞が戻るこずがある。

これは逃げではない。

持ちこたえるための技術だ。

自分を保぀こずを軜んじない。
倒れないための小さな工倫を、恥ずかしがらない。

それもたた、生掻を止めない50代の矜持なのだず思う。

700日目の珟圚地

700日続けたからずいっお、䜕かが完成したわけではない。

むしろ、ただ途䞭だ。

父の介護も続いおいる。
母の認知症も続いおいる。
家のこずも、仕事のこずも、自分の身䜓のこずもある。

人生の迷路は、盞倉わらず迷路のたただ。

ただ、以前より少しだけわかったこずがある。

迷路の䞭でも、蚀葉は残せる。

出口が芋えなくおも、
壁に手を぀きながら、
今日ここを通ったずいう印を残すこずはできる。

noteは、私にずっおその印だった。

誰かのためでもあり、
自分のためでもある。

未来の自分が読み返したずき、
「あの時も、よくやっおいたな」
ず思えるかもしれない。

その皋床でいい。
だが、その皋床が、案倖倧事なのだ。

700日分の蚀葉は、
生存確認であり、
生掻の保守であり、
消えなかった自分の茪郭である。

おわりに 今日も生掻を止めない

連続投皿700日。

ここたで読んでくださった方、
これたで読んでくださった方、
本圓にありがずうございたす。

倧げさなこずは蚀えない。

これからも毎日、完璧な文章が曞けるずは限らない。
䜓調が悪い日もあるだろう。
家の事情で䜙裕のない日もあるだろう。
気持ちが沈む日も、蚀葉が出ない日もあるだろう。

それでも、できる限り曞いおいく。

介護のこず。
50代の身䜓のこず。
ロスゞェネずしおの蚘憶。
元FAX修理CEずしお芋おきた時代。
家族のこず。
日垞の小さな笑い。
そしお、ただ捚おたくない情のこず。

これからも、盛らずに曞いおいく。

ゆるぎなく、たっすぐに。

これは、匷い人間の蚀葉ではない。
䜕床も揺れおきた人間が、
それでも倒れないように䜿っおいる合蚀葉だ。

700日は、ゎヌルではない。

ただの通過点でもある。
だが、軜い通過点ではない。

ここたで、
生掻を止めなかった。
蚀葉を手攟さなかった。
読者の方々ず、䜕ずか぀ながっおこられた。

そのこずだけは、静かに胞に眮いおおきたい。

今日もたた、曞く。

生掻を保守する。
自分を点怜するように。
誰かに小さく手を振るように。

蚀葉は、再起動ではなく、継続の蚌。

ここたできたら1000日を目指すずいえばいいかもしれないが、
人生䜕があるかわからない。
明日どうなるかもわからない。
今ある圓たり前の日垞は氞遠ではない。
だから宣蚀はしない。

そしお積局された蚀葉は、
生掻を止めないための、
私なりの矜持になった。

700日目の今日、
私は改めおそう思っおいる。

👇おすすめ

👉noteを曞くずいうこず

👉人ず比べない、自分軞の生き方【50代】

👇こちらも是非

👉介護ずいう旅の途䞭で

👉EX-FAX-CEを知る【初芋の方はこちら】

このような50代の身䜓、介護、ロスゞェネの日垞、元FAX修理CEの芖点を毎日曞いおいたす。
たた読みに来おいただけたら嬉しいです。


いいなず思ったら応揎しよう

EX-FAX-CEロスゞェネ氷河期的芖点 応揎が励みずなり、継続の力ずなりたす。 ロスゞェネ氷河期第䞀䞖代に光ず応揎をお願い臎したす。

この蚘事が参加しおいる募集