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介護の朝は突然に…#20|怒涛の朝を切り抜ける、それだけで良い日だ【50代】



自分の身体の痛みなど、こういう時は微塵も感じない。

デイサービスの朝は、言葉選びが命だ。

いつものように、当日の朝1時間前に声をかける。

「今日もスポーツジムの日だよ」

回数をこなしてきた甲斐あって、
声をかければ思い出すくらいにはなってきた。
それは確かに前進だ。
だが、そこに油断すると足元をすくわれる。

母の中にある、デイサービスへの偏見や嫌なイメージ。
それが何かの拍子に混同して、突然そのモードに入る。

「あんな変な人達ばかりのところに行ったらうつってしまう」
「頭の手術もしているから多少の物忘れはあるかもしれないが、そんなところに行くべき人ではない」

一度そこへ入ると、なかなか抜け出せない。
理屈で諭しても意味がない。
説得の土俵に立っていないからだ。
だからこそ、
細心の注意と言葉選びで、一歩一歩進めていくしかない。

そこへ、父の尿道カテーテルが詰まり始めた

タイミングというのは、つくづく容赦がない。

父の尿道カテーテルが詰まり始めた。
しかも父は時折なる「うつ」っぽい精神状態にも入っていた。
この同時発生が、ダブル介護の難しさそのものだ。

昨日は妻が仕事、娘は学校。
誰もいない。
私がこなす以外にない。

しかもそこへ、出かけに娘の忘れ物が発生した。

優先順位を、瞬時に切り分ける

まずバスの時間がある。
娘の荷物を運ぶ。
速攻で戻る。
デイサービスのお迎え時間に合わせながら、
母を言葉巧みに誘導する。

このあたりは、経験がそれを可能にさせてきた気がする。
うまくなったというより、
やるしかない状況を繰り返してきた、ただそれだけなのだと思う。

母を送り出してから、ようやく父へ。

本来は一番最初に見るべきだ。
だが時間的制約の中で回すため、どうしても最後になる。
状況確認し、訪問介護へ手配。
おむつ交換。
おしりに薬。
そして自分の仕事の準備。

怒涛の朝を、切り抜ける。

自分の身体の痛みなど、こういう時は微塵も感じない

不思議なものだ。
疲れもまるでなくなる。
火事場のクソ力とでも言うのか、
よくわからないが、身体がそういうモードに入る。

とはいえ、これくらいのことは日常茶飯事である。

特別な朝ではない。
介護のある家では、こういう朝が普通に来る。
複数のことが同時に崩れ、誰もいない中で、
優先順位を瞬時に切り分けながら回していく。

そういう朝が、ある。

とにかく無事切り抜けた。もうそれだけで良い日だ。

大きな達成ではない。
誰かに褒めてもらえる話でもない。
だが、切り抜けた。
全部が無事に動いた。

それだけで、今日は良い日だ。

介護とは、そういう積み重ねである。
劇的な前進などめったにない。
ただ、崩れず今日を回しきった事実だけが、静かに積み上がっていく。

また明日も、朝が来る。

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