写真がへたくそなカメラ好きおじさんと化してしまっている件。
ここ最近、地元紙のフォトコンテストに写真を出している。
結果は、箸にも棒にも、である。
一度だけ次点になったこともあるが、それだけ。
僕の写真は、選ばれない。
なぜ選ばれないのか。
選ばれた写真を見て、なるほどなあ、うまいなあ、いいなあ、と思うものがある。
毎月のように選ばれている人もいて、そういう人はいったいぜんたい、なぜそんなレベルを維持できているのか、その力量に脱帽するばかりだ。
しかし、なぜ、自分の写真が一度も選ばれないのか、その写真とこの写真とのどこに差があるのか、言語化できないこともある。
要は、そういうことなのだろう。
選ばれる写真と、選ばれない僕の写真との差が分からないくらい、
僕はへたくそなんだ。

そんなへたくそなおじさんが、ライカを始め、複数台のカメラを持ってウハウハしているなんて、気持ち悪いじゃないか。

揶揄の言葉としてカメラおじさんという語があるが、僕はカメラおじさんなのだろうか。
個人的には、おじさんであることは否定しようもない。
だが、精神的にはまだガキんちょである。
(若い、というのではない、ガキんちょなのだ)
だが、まあ、おじさんである。
そしてカメラが大好きなおじさんである。
知識だけが先行していてそれだけのカメラおじさんである。
そういうカメラおじさんは、きっと周りからしたら面倒くさい。
関わり合いになりたいなんて思う人は皆無にちがいない。
さて、そんな人間になってしまった僕はどうしたらいいのだろう。
カメラをやめる?
それもいいかもしれない。
だが、きっと家に引きこもる生活になってしまいそうだ。
それは避けたい。

だいたい、うまい写真ってなんだろうか。
一枚で見る人を唸らせるような写真を撮ってみたいと思うけれど、それって、どういうものなのだろうか。
そんなことを考え始めると、ふと思うことがある。
一枚写真のすごさと、写真集としての写真のすごさにはどんな違いがあるのだろうか、というものだ。

そんなに数はないが、写真集が好きである。
この前、ハービー山口さんのフォトエッセイ集を手に入れた。
何かに連載していたものをまとめたものだったはずだ。
こういうのも面白い。
その前は、川内倫子さんの「うたたね」を古本屋で発見、購入した。
ぱっと見て、ふーんと思い、しばらくしてからもう一度観て、うーん……と唸った。なにかぞっとするような、直視しすぎると重い日常がそこにあるような気がした。
植田正治氏の展覧会の写真集、それから奥様の写っている写真をまとめた「僕のアルバム」は、編集者の再編成がとっつきやすくなっていておもしろいと思った。
(「童暦」が欲しい)
あとは最近だとみんな大好きソール・ライターとか。
先日は落合陽一の写真集を手に入れた。フォトエッセイ集だ。
そういう写真集は、一枚一枚で見ていくと、コンテストの写真とは確かに違うように思う。僕はむしろ、そういう写真の方が好きなようにも思う。

だからと言って、僕の写真が、そっちだったら花開くか、と言われれば……「ご愁傷様」である。
せめて周囲に害するカメラおじさんにならないように、カメラが好きなおじさんで居続けるくらいしか、僕には生きる道がないようである。ならばせいぜい、そのカメラおじさんを楽しもうではないか。
そのためには、心のなかの「ガキんちょ」をもう少しだけ成長させていくことも必要だとは思うけれど……。
もっとうまくなりたい! と思わないのが、問題だとは思わないのが問題なんだよな。

